4章 かつての英雄ども
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「はーい。今日も一日頑張るよ! っていうことで朝のホームルームを始めますっ」
開口一番、無駄に明るく声を上げたのは、我らが委員長、蒲原志保だ。
今日は肩までの茶髪を無造作に後頭部で縛ってまとめている。
俺は久しぶりにギプスのとれた左腕で頬杖をつきながら、蒲原の話をぼーっと聞いていた。
この間の対人戦闘訓練から数日が経っていた。結局あの後、擦り傷程度では済むはずもなく、俺もテツ同様ボロ雑巾のように滅多打ちにされ、最終的には左腕の骨を折られた。あいつマジでやりすぎだ。あんなの訓練じゃないって。
まあそもそもの発端は、またテツが無意味に周りを挑発していたからなのだが、それにしても限度ってのがあるだろう。折られるこっちの身にもなれってんだ。
しかし、あれからまだ一週間と経ってはいないが、すでに俺の左腕はほとんど完治している。
これも当然というか何というか、やはり魔法の力の恩恵である。
英雄課の魔法授業や戦闘訓練では、たびたび負傷者が出る。さすがに俺やテツみたいな重傷者はなかなか出ないが。
ある程度の軽い怪我であれば、学園かかりつけの保険医が処置をしてくれる。しかし、簡単な処置では追いつかないような怪我を負うことがこの学園ではままある。
そんなときは、英雄課の「保健委員」が俺たちの傷の処置をする。
魔法を扱うこの特殊な学園においても数少ない、治癒魔法の使い手である。
余談ではあるが、俺たちはあちらのセカイで英雄・勇者という役割を演じていた。その上で、自らとともに戦う仲間を集めて世界を旅した者も多い、と思う。
その関係からか、自ら剣をとったり攻撃魔法を使用したりと、敵を倒す技術を磨いた者が多いのだ。
治癒術士は仲間としてパーティに迎え入れる。ほとんどの英雄課の生徒はそうだろう。まあ俺はその限りではなかったけど。
話がそれたが、治癒魔法の使い手であるその女子生徒が、俺たち英雄課生徒にとっての保険の先生なのである。
しかも彼女は、この学園の序列6位。つまりは学園内で6番目に強い能力を保持する生徒だ。
Sクラスに所属するエリートであり、最初に現代に戻ってきた、第一世代の一員でもあった。
そういえば、このクラスにも第一世代の一員がいたな。
俺はそっと隣の席へと視線を向ける。
その席には辰巳が背を丸くして座っていた。
クマのうっすら広がる目を机の真ん中に固定して、なにやらぶつぶつ呟いている。何を言っているのかは聞こえないが、さすがにちょっと薄気味悪い。
辰巳は確か、第一世代だったはずだ。なんかそんな話をどこかで聞いた気がする。
というかこいつも、この間の戦闘訓練でボロボロになっていたらしい。俺やテツほどではなかったらしいけど。その傷も例の保健の先生が治療してくれたのか、今となっては目に見える傷は一切残っていない。
あの戦闘訓練は、FクラスEクラス合同の訓練だった。まあそれはいつも通りのことだ。人数の少ないFクラスはいつも力量的には最も近いEクラスと合同での訓練となる。
英雄課のクラス分けは、俺たちの魔法力や戦闘力。つまりは能力の強さを基準にして序列化されている。
SSクラス、Sクラスのエリートクラスを筆頭に、A,B,C,D,E,Fクラスという順番に、クラスが分けられている。
俺たちが所属するFクラスは、言うまでも無く最下位のクラスだ。しかもただの最下位のクラスではない。
全くの無能力。簡単に言うと、魔法が使えないメンバーが集められた、ただの高校生のクラスなのである。
俺たちFクラスを除けば、実のところこの学園で一番才能が無いのはEクラスの連中だ。正直、俺の目から見ても魔法の扱いはお粗末だし、そもそも剣を振るうだけしか能がないような者までいた。
そんなお粗末な技術でも魔法という力は偉大であり、全くの無能力との差は埋めがたい。どう頑張っても超えられない壁があるのだ。
先日の訓練でも、”エアボール”とかいうたかが初級魔法を嬉々として使っていたEクラスの生徒に手も足も出なかった。
今の俺では身体強化すら使えない。これは俺に限った話ではない。蒲原だって隼人だって、全く魔法が使えない。
まだ俺たちの中で少しは戦う術を持ち合わせているのはテツくらいか。あいつは、体の中に餅つきの杵みたいな大きさの四角いハンマーを宿しており、そのハンマーを取り出して物理的に戦闘を行うことができる。
まあ戦うことは可能なのだが、いかんせん身体能力の差が大きい。たとえ微弱であれ、身体強化を施した者とでは初動がまるで違うのだ。Eクラスくらいが相手であれば、身体能力だけでもなんとか追いつくことは可能かもしれないが、魔法を使われたらひとたまりも無い。俺たちにはその魔法をよける術がないのだ。
だからこそ、悪態をつきたくなるテツの気持ちが俺にもよく分かる。
おそらく俺に関しては、向こうのセカイで使っていた能力を使用できれば、Eクラス程度なら敵にならない。もっと言えば英雄課で特に優秀なAクラスにも匹敵するだろう。
たぶん他のみんなもそれに近い能力を持っていたのではないかと思う。実際に見たことがあるわけではないので、あくまで予想でしかないが。
それにしても、今の俺たちの境遇は中々に不幸ではないだろうか。
魔法が使えなくなってしまったのは、まあ仕方ない。だが、全くの無能力である俺たちがこの学園に通わされている理由が見つからない。
他のクラスの連中からの視線を気にして、訓練ではたいして格上でもない相手に魔法でボロボロにされる。正直に言えばやってられない。
あいつとの約束がなければ、とっくに登校拒否でもしているだろう。
などと、今となってはどうしようもない取り留めないことを考えていると、教壇に立つ蒲原が、黒板にチョークで文字を書き始めていた。
カン、カン、カカンと軽快に書かれたその文字を、俺は少し首をかしげつつ見つめる。
「よしっ!」
文字を書き終えた蒲原が、持っていたチョークを勢いよくチョーク置きに投げ入れると、満足そうにみんなの方へと振り返った。
「さてっ、最後にもう一つ! もうみんなも知ってると思うけど、来週からクラス登録期間になります!」
蒲原は、黒板にデカデカと書かれた「クラス登・録・期・間!!」という文字をバンっと叩きつけながら俺たちに向かって言葉を続けた。
「一応説明しておくけど、クラス登録期間っていうのは2ヶ月に1度行われる、魔法技能の試験期間のことです! 自分たちのクラスを上げるために、魔法技能の試験を受けることができます!」
クラス登録期間か……正直な話、俺たちには全く関係がない話だ。これは言ってしまえば、クラス替えのための実力試験が行われる期間だ。Cクラスの者ならばBクラスに上がるために。Bクラスの者ならばAクラスに上がるために。
それぞれが持つ魔法能力を披露し、学園内での序列を少しでも上げるためのシステムである。
ちなみにこのクラス登録期間にて上がることができる最高ランクはAクラスである。AクラスからSクラスに上がることはできない。これには一応理由もあるのだが、そこは割愛する。
「さてみんなっ! このクラス登録期間だけど、試験への参加は自由だよ。どうする? みんなで受ける?」
蒲原が陽気な感じで俺たちに問いかける。
いくらFクラス委員長である蒲原の言うこととは言え、さすがにそれはちょっと無いな。ずっと不機嫌そうにしていた氷山も同じ感想を抱いたようで、まっ先に非難の声を上げた。
「おい蒲原。てめえは俺らを舐めてんのか? どうしたらそういう発想になるんだ、ああ?」
「ん? どして?」
蒲原はいつものようにきょとんとした視線を氷山へ向ける。氷山の発したドスの効いた声もなんのそのだ。
「その試験ってさ……」
そこで口を挟んだのはテツだ。
「なあに? 志門くん」
ホームルームの今は委員長モードなのか、普段呼ぶ”鉄人”という親しい感じの呼び方ではなく、名字でテツのことを呼ぶ蒲原。ってか委員長モードって何だ。自分で言ってて意味が分からない。
「その試験って、普通は自分のクラスを維持するために受けるもんだろ? だったら、最初から下がりようがない俺たちFクラスの人間が受ける必要性がないだろ」
「そんなことないよっ。あたしたちも、もしかしたら評価されてクラスが上がるかもしれないでしょ?」
「いや、さすがにそれはないかな……」
さっきまで黙って聞いていた隼人もテツに同調する。ついでに俺もうんうんと首を縦に振っておいた。
「むむぅ……」
一瞬で防戦一方となった蒲原委員長。しばし頭を抱え込み、うーんと唸っていた蒲原だが、突如顔を上げると、窓際の席で我関せずといったように読書していた千葉へと視線を向けた。
「ねねっ千葉さん! 千葉さんも少しでもクラス上げたいよね? この男子連中にも言ったげてよ!」
「……」
いきなり矛先を向けられた千葉は、文庫本から目を放さずにじっと動かない。
ぱらりとページをめくった瞬間、小さいその口を開いた。
「……私には、必要ない」
「そ、……そっか……」
蒲原はついにがっくりと肩を落とす。いつもは底抜けの明るさでもってクラスを引っ張る蒲原ではあるが、今回ばかりはクラスからの賛同を得られなかった。
「じゃ、じゃあ……今日のホームルーム終わるね」
そう言い残すと、蒲原はいそいそと黒板の文字を消し、自分の席へと戻ってきた。
後ろから見えるその背中があまりにもかわいそうだったため、少し声をかけようかと思っていた矢先。
くるりと体を回転させて俺の方へと向き直った蒲原が、にっこりと笑顔で俺に話しかけてきた。
「ねえねえ愛斗。あとで数学の課題見せて! あたし昨日、寮に帰ってからすぐ寝ちゃってさあ。愛斗ならちゃんと課題やってるもんね! 代わりにお昼はあたしが奢ってあげるから! しかもAランチ! お得だよ!」
「……いや、別にAランチはいらないから。課題は……ほら、これ。写していいよ」
「ほんとっ? ありがとー愛斗!」
くるくると表情を変えながら話す蒲原。俺が差し出したノートを受け取ると、ガリガリと猛烈な勢いで写しだした。
さすが蒲原だ。さっきのことはもう頭にないらしい。
ちなみにこの学園は、魔法関係の授業や訓練の他に、普通に数学や古文などの一般教養の授業もある。むしろ俺たちにとっては、こちらが本業だ。
もう普通の高校通わせてくれよ。まじで。