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地球病

作者: たくわん

 窓の外に見える儚く光る青色の球体。

 

 私は目を見開いた。


『人類の憧れであり故郷だ。』


 最初は何を言っているんだと思っていた、今聞くと、なるほどしっくりくる。

 何故放射能で汚染され、腐った水溜まりがそう表現されるか不思議に思ったものだが、その青い球を見れば誰もがそう言うだろう。

 感極まって、上手く呼吸ができない。


 どうしてか、今すぐにでもあの青い球の地に足を踏み入れたくなった。

 本能があそこに行けと吠えている。

 生まれてから一度も、この部屋から出たことはなかった。

 私もそれに不満は無かったし、窓から見る景色は、十分過ぎるほど多彩だった。

 それでも私はあの青い球に行きたくてしかたなかった。


「博士。博士の言いたいことがわかった気がします。」

 私は窓の奥に映る青い球を見ながら言った。

「ああ。そうだな。」

 あまりにも素っ気ない返答に、私は思わず博士の方を向いた。

 が、それは私の早とちりだったようで、博士は満足げに頷いていた。


 私は博士に呼ばれるまで、子供のようにずっと窓を覗いていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「行きたくなったか?」

 私は博士の問に耳を疑った。

 あの光景を見て、誰が行きたくないと言えるのだろうか。

 私は当たり前だというように、博士の問に肯定した。

 だが、博士は少し不満げな表情を見せた。まるであの青い球に行きたいなど言ってほしくなかったかのような。

「わがままを言ってごめんなさい。私は別に行かなくてもいいです。このままで満足です。」

 そういうと博士は笑ってくれた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「今日は検査の日だ。」

「あれ?」

 いつもなら、あと3日程後だった気がしたのだが、勘違いだろうか。

「今日は特別だ。いや、これからはもう少し回数を増やそうと思う。」

 どうやら博士の意向だったようだ。何か進展があったのだろうか。

「何か進展でも?」

 私は思ったことをそのまま口にした。

「あぁ。このままで行けば、あと10日もかかるまい。」

「研究が終わったら、私はどうなるのですか?」

 すると博士は遠く窓の外を見た。

「もしかして…。」

「仮に実験が成功したなら君は自由だ。」

 私は嬉しさのあまり、らしくもなくガッツポーズをしてしまった。

「このまま行けばな。」

 博士は私に釘を刺すと医者を呼びに、部屋をでた。


 きっと博士の発言のせいで、脳の活性化物質が大量に分泌されているだろう。

 そんなことを考えていると、いつもの医者が来た。

「よろしくお願いします。」

 博士以外は基本的に私との会話が許されていないらしく、一方的な挨拶だ。

 私が頷くと、医者は注射針を私の腕に刺した。


 すぐに意識が飛んだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 博士は喜んでいた。

 恐らく研究のことについてだが、無知な私には具体的な内容はわからない。

「何故喜んでいるのですか?」

 私がそう問うと、博士はさっきよりも増して嬉しそうに言った。

「実験が成功しそうだ。」

 博士は研究者、私は被験体。

 博士の成功は私の成功だ。

 私は何故か嬉しかった。

「それはよかったです。」

「私としては君が出て行ってしまうというのは複雑な気分だがね。」

 博士には珍しく感情的な理由で私の意見を否定した。

 直接的ではないが、きっと否定だろう。生まれてからずっと博士と共にいた私が言うんだから間違いない。

「それでも私は行ってみたいです。」

「そうか。」

 私がそういうと博士は寂しそうに笑った。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 そんな日が何日か続いた。

 今までと同じ、違うのは窓から見える景色が変わらないことだけだ。

 青い球は見ていて飽きない。

 少しずつ回りながら生き物のように表情を変える。

 だから私に不満はなかった。

 ただ、あの球への想いは、日が増すごとに増えていった。


 博士は最近、私に本を貸してくれるようになった。

 読め、と言われたわけではない。だが、私はその本を読んだ。

 部屋には椅子と机があったが、私は青い球の見える窓の近くで本を読んだ。

 本には興味があったが、それと同じくらい青い球が好きだったからだ。

 本はあの球の話ばかりで、私は本に熱中した。

 本を読み終わったら必ず窓から球を見て、青い球の事を想った。

 

 それと、あれから検査の日が増えた。

 検査の日が来るたびに、博士の顔は曇った。

 だから私は検査の日が嫌いになった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 両手で数えられないくらいの月日が経った。いや、もっと経っただろうか。

 いつものように窓にへばりつきながら本を読む私に、博士はまた問う。

「まだ行きたいのか?」

 私は少し考えたのち、否定した。

 博士は不安げな表情を見せ

「本当のことを言ってくれ。」

 と言った。

 私は博士の悲しむ顔が見たくなかった。ここで行きたいと言えば博士は悲しい思いをする。

 だが、博士の言うことは絶対だ。私は、さっきの問に肯定を示した。

 案の定、博士は悲しんだ。

「いや、いいんだ。私が悪い。」

「そんなことないです。」

 私は咄嗟に否定した。自分がこんな事を考えてしまうのが悪いんだ。そう思ったからだ。

 博士は私を確かめるかのように私の目を覗き込んだ。

 博士はため息を付くと、部屋から出て行った。少し寂しい気持ちになったが、これもよくあることだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇


 いつもと同じ白く清潔な部屋。

 汚すものがいないのだから綺麗なのは当たり前だろう。

 博士の顔は曇っていた。それはもういつものことだ。

「博士。今日はどのような本を貸して頂けるのでしょう。」

「いや、今日は本は貸さない。」

 博士はきっぱりと否定した。

「明日は?」

「明日もだ。」

 その先は聞かなくてもわかった。

 私の楽しみの一つは無くなってしまった、という訳だ。

「君はまだあの惑星に行きたいかね。」

「はい。」

 私は即答した。案の定博士は辛そうな顔を見せた。

「行った結果、死んだとしても?」

「はい。」

 博士は目を伏せた。 

「今日、あの惑星に向かって船が一つ出るそうだ。見送ってやるといい。」

「それは興味深いですね。」

 あの青い球へは筒状の金属でできた船に乗っていくそうだ。そう本に書いてあった。

 本には船の乗り方、操縦方法、内部構造まで細かく書いてあったのだ。

 実際に動くところを見たくなるのも仕方ない。

「少しだけ顔を出しているだろう。」

 博士の見ている方を見てみると、確かに本の通りだ。金属の円柱形の物体。

 昨日は無かったので恐らく今日になって着いたのだろう。

「あれですか。」

「ああ。」

 私は、新しいイレギュラーに目を輝かせた。

 本では動いているところは見れないのだ。

「まだ早いが、私は寝させてもらうよ。」

「一日が始まったばかりですが?」

「昨日は、皆と遅くまで話し合っていてね、もう眠いのだよ。」

「それは失礼しました。わざわざありがとうございます。」

 博士は私に笑いかけると、部屋から出て行った。

 博士は疲れていたのか、扉が開いたままにしていたようだ。

 私は扉を閉じてやる。

 扉の奥から声が聞こえてきた。

 

 それは私と博士以外の声では初めての声だった。


 聞いたことのない低さの声。

 博士よりは高く、私よりも少し低い。声は枯れているわけでもないのに擦れているような、そんな声。

 いや、どんな言葉でも言い表せない。私には無理だろう。

 言葉では表せない。その事実に、私は初めて本を不甲斐ないと感じた。


 声の主に会いたかった。だが、私はこの部屋から出てはいけなかった。

 私は好奇心には逆らえなかった。

 ふと、博士の思惑か。そんな考えが過ったが、すぐにどうでもよくなった。

 

 扉を開けて外に出た。

 内臓が浮くような感じ。これが緊張か。 

 不快な気分だが、どうしようもない。対処法は本には書いてなかった。


 私は声のする方向に歩く。

 何か目的があるわけでもない。あとできっと博士に怒られるだろう。

 でも、私は歩いた。


「地球に行きたいのなら早く乗れ。」

「はい。」

 不思議な声。でも嫌悪感は抱かなかった。

 声の主達がいるのは博士の言っていた船の入口だ。そう直感的に思った。

 地球、というのは青い球の事だろうか。青いのに地球。不思議な命名だな。


 私が陰からその様子を見ていると、男に声を掛けられた。

「お前も行くのか?」

 私は何と言おうか迷った。博士は実験が成功すれば自由にしていいと言っていた。

 これは裏切りだ。

 罪悪感。そんな文字が思い浮かんだ。

「えーっと。」

 私が言い淀んでいると、その男に腕をつかまれ、船に押し込まれた。

「めんどくさいな。行くなら行け。」


 私が入ると船はガタンという大きな音を立て、私がさっきまで居た場所から離れていった。

 窓から見えたのだ。

 

 その船はそのままゆっくりと私が居た場所から離れていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 船は大方の予想通り、青い球に着地しようとしている。

 その頃にはもう、地球という呼び名に納得した。

 なにせ、土しか見えないのだ。本に書いてあったような木も草も動物もいない。

 その本は昔の話だと博士は言っていたが、面影など一切なかった。

 しいて言えば『砂漠』だが、本で書いてあるものとは大違いだ。


 船内には2人。

 男と女がはしゃいでいた。

 これが地球だ。これが陸だと。

 私に言わせれば、期待外れだ。これの何がいいのだろう。

 まるで夢から覚めたかのような気分だ。


 腹の中が空だ。今にも真空状態のアルミ缶のようにぺしゃんこになるような気分。

 異変があれば原因はある。恐らく、毎朝食べている食べ物を食べなかったからだろうか。

 それとも、腕をつかまれたせいか。

 いや、この狭い空間にいるせいかもしれない。

 とりあえず、最も解決できそうな可能性を潰そうと思う。


「あの、何かべ物はあるのでしょうか。」

 私がそういうと、男は興奮したまま

「食べ物なんてどうだっていいじゃない。これが地球だよ!」

 と、何かに夢中になっていた。

 この様子には覚えがあり、博士はこうなると、何を言っても反応しない。

 時間だけが解決するのだ。

 原因のわからない腹痛への実験的な行為の要求だったため、すぐに諦めることにしたが、だからと言って腹痛が収まるわけでもない。

 蹲ってしのぐことにする。



 ◆◆◆◆◆◆◆



 彼らは死んだ。

 その船には3人の男女が乗っていた。

 私たちの教育では、彼らを止めることはできなかった。

 否。教育というより、実験だ。

 

 地球は麻薬だ。

 地球病という遺伝子的な病だ。

 どんな薬物よりも恐ろしい。

 見ただけで人間を惹きつけ、永住を強制し、死体を貪り食う。

 それを麻薬と言わずなんと呼ぶか。

 私の研究の被験体は良い個体だった。

 珍しく地球に対する反応を理性で抑えていた。

 今までは知識を抑制することで欲求を抑えることに専念していたが、知識を与えてみた。

 本を与えたことで、知能は上がっただろう。

 本では限界がある。本はあくまで想像でしかものを見れない。

 次の段階へ進む予定だったが、遅かった。

 本により、好奇心に弱い個体になってしまったようだ。

 

 こうやって落ち着いて話しているが、我々とて、地球の捕食対象だ。

 長時間ここに長居するのも厳しい。

 被験体が全て地球に向かったら、我々も地球を離れる予定だ。

 そして彼らは行ってしまった。

 もちろん、止めたわけではない。むしろ少しだけ背中を押した。

 それでも出て行かない。それくらいの意志がなければこの実験の意味はない。

 彼らは行ってしまったのだ。

 私たちの期待を裏切って。

 地球は恐ろしい所だと教えたはずだ。

 放射能で人が死ぬことも。

 何故人は地球を追うのか。私にはわからない。

 私だって、今すぐにあの船を追って地球に行きたい欲求を抑えられない。

 

 実験が成功する日はまだ遠そうだ。

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