これがまあ終の棲家か雪五尺、、、、、ではとても、老体には住めませんね?
終の棲家、、、
なんかさびしそうで、、、
でもなんか懐かしい響きの、、
誰にも訪れる最後の時、、、
終の棲家という言葉には
どこか万感の思いがこもっていますよね。
では具体的にはどんな棲家なんでしょうか?
雪深い田舎では、老体には雪下ろしとか
極寒で、到底いまどき終の棲家としておすすめできませんよね。
いまどきの終の棲家は
特別養護老人ホームだそうですが
でもそれも確かに現実ですが
どうもいやですよね?
出来れば自宅で死んでいきたいと思う人が多いのではないでしょうか?
寝たきりになり、点滴栄養で生き延びるのでは
自宅は確かに不可能ですが
まあとりあえずお元気ならば
自宅住まいで。訪問介護でも受ければ何歳になっても、たとえ独居老人でも、
自宅暮らしは可能ですよ。
まあそうなれば手当の篤いホームに入居したほうが
安全という選択肢もあるでしょうが。
でも昔はそんなもんなかったので
みんな自宅で老いさらばえて日常が不自由になっても暮らして
そして自宅で死んでいったものでしたよね。
さて今では都心のマンションが終の棲家という人も多いですよね。
確かに都心なら病院も食料品店も近いし
老いて少しくらい足腰不自由でも便利ですね。
老いて、人里離れた山奥とか、豪雪地帯が
終の棲家では、そりゃあ、大変ですよ。
早死にしてしまいますよね。
私にとっての終の棲家ですか?
それは地方都市の郊外の
町中まで車で20分くらいのところで、
ちょっと、隠れ里的な雰囲気の残るところですかね。
そんなところで庭先に花を植えて
日向ぼっこでもしたい。?
さてここで話変わって、、、
山頭火のついの棲家探しに言及してみましょうか?
山頭火はその手記で、
『私は疲れた、あれだけ歩くことを楽しんでいたのに歩くのがイヤになった。
それほど私の心身は疲れていたのである」
と告白していますね。
そして俳句仲間を介しての終の棲家探しが始まるのですね。
山頭火は言います。
『庵居の場所をたづぬるにあたって、私は二つのわがままな望みを持っていた、
それが山村であること、そして水の良いところか、または、温泉地であることだった」と。
しかしなかなか見つかりません、
あきらめかけていた時、
俳句仲間の樹明氏が山頭火の故郷近くの
廃屋?を見つけてくれたのである、
山頭火の手記にこうある。
『二人でその家を見分に出かけた、山手の里を辿って、その奥の森の傍ら
夏草が茂りたいだけ繁った中に草ぶきの小家があった。
久しく風雨に任せてあったので、屋根は漏り、壁は落ちて、いても、
そこには、私を引き付ける何物かがあった、』
かくしてそこを終の棲家と決めて
屋根を修繕して住み着くのである。
ここで山頭火が読んだのが以下の句である。
「花いばら、ここの土になろうよ』
「ふるさとはからたちの実となっている」
「雨降るふるさとははだしであるく」
さて、、、、、、
さて、、、、、、
この私の終の棲家はいったいどこにあるのであろうか?
あるいはこのマッチ箱住宅で、老いばてるのだろうか?
それとも、現代人のほとんどがそうであるように、
ある日突然、救急車で運ばれて
ある日その病院で御臨終だろうか?
いずれにしても、
それは神のみぞ知ることではあろうが、、、、。