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愛する彼女とこころのマドンナ

作者: 正義の味方

 一年浪人して生まれ育った東京の三鷹からかなり離れた大学に入った。

 入学式のあとに同じクラスに新大学生のために2年生の先輩が‟ジュースコンパ”という親睦会みたいなものをひらいてくれて、その時の自己紹介の時「一浪」ということを告白したからか、同じ一浪の、藤寺、という名のともだちができた。

 藤寺は巨漢で、体重がぼくの倍以上あった。つまりぼくは「ガリ」で藤寺は「ブヨ」、そういうことだ。そして藤寺は「実家は東北にある」といっていた。東日本大震災が起きる15年以上前のことだ。


 東日本大震災が起きた時、ぼくは「お前の実家、大丈夫だったか?」と尋ねたが、藤寺は「大丈夫だった。でも多くの旧友を失ったことを思い出すと悲しい気持ちになる」といっていた。


 ぼくは小学校の3年生の時からずっとサッカーをやっていたので、当然のことのようにサッカー部に入部し、藤寺は麻雀同好会とサウンド研究会の両方に入った。ぼくは第一印象で藤寺は賢いと思ったから、藤寺はもっと頭を使うというか、例えば、映画研究会のようなクリエイティブなサークルに入れば、よかったのに、と思った。

 それからまた何日もたたないうちに、2年生が今度は、まだ未成年にもかかわらず、アルコールOKのクラスコンパの場をつくってくれた。

 ぼくは下戸だったから欠席しようとしたが、藤寺は大酒飲みだったので、ぼくは無理矢理連れていかれた。

 親睦会初めの乾杯の時のビールグラス一杯喉に通しただけで、トイレに駆け込み、嘔吐した。

 ぼくは、『アルコールを飲む前に牛乳を飲んでいくと吐き気をもよおさない』という都市伝説を聞いたことがあったので、ぼくはその通りにしたが、その都市伝説はウソだった。

 

 そしてひとり暮らしの大学生活になれてきたころ、サッカー部を退部した。ぼくなんかを必要とするほど大学のサッカー部は人材に困っていないことが火を見るよりも明らかだと思い知らされたからだ。

 もともとサッカーを続けたかったから、というより、Jリーグの開幕でサッカーが流行っていたので女子にモテるんじゃないか、という不純な動機で入部したのだから、やめたって、どうってことなかった。


 ぼくはただ‟女の子にモテたい”というこれまた不純な動機でバイトして金を稼ぐことにした。


 金で、女をつる。


 最低の男だ。


 そんなぼくとは対照的に、藤寺の実家は父親が建築会社の社長をしている大富豪だったので、潤沢な仕送りを使って、どこかの作家みたいに、酒ばかり飲んでいた。


 ぼくのアパートは本屋に近かったので、ぼくはさっそく求人誌を買って、ペラペラとページをめくって、世の中にはいろんな仕事があることに驚愕(きょうがく)した。みんな大変だな……。

 そしてぼくが選択したのは、スーパーマーケットの店員だ。スーパーなら、レジのバイトをする若くてかわいい女の子がいっぱいいると踏んだのだ。

 ぼくは面接なんて面倒くさいことをするのはイヤだったから、写真も貼っていない履歴書を手に、徒歩で、10分もしないところにある大型スーパーに向った。

 従業員通用口から入ってすぐのところに警備室があって、そこにすわっている警備の人に、

「あの~、わたくしアルバイトの面接にきた、ナカジマ、と申しますが」

 警備員は何もしらないだろう何の警戒もせず事務に内線電話を入れた。警備員はぼくに従業員専用のエレベーターに乗って、最上階まで行ってくださいと、いった。ぼくは警備員にいわれたようにエレベーターにのって最上階までのぼった。扉が開くと、さっき警備員が連絡した事務員らしき女性と、いかにも、働き盛り、といった感じの男性が立っていた。

 その男性は顔が真夏のサーファーのように真っ黒でおよそ純血な日本人には見えなかったが、日本人だった。それは事務員との会話でよくわかった。

 そして、ぼくがどの部署で働きたいか、なんて考えるヒマもなく、‟青果”で働くことになった。別にイヤじゃなかった。

「ナカジマくんは大学では何を専攻してるんんだい?」

日分(にちぶん)です。太宰治が好きなんで」

「そっかぁ、太宰治かぁ、俺はあまり、というか『人間失格』しか読んでないからなぁ……でも自殺だけはしちゃ遺憾ぞ」


 その人は青果のマネージャーでようするに青果の責任者だ。河北、という名前だった。こういうのを『スカウト』っていっていいのかわからないけど、ぼくの八百屋の能力を見抜いたのだ。ぼく自身、自分にそんな才能があるとは思いもよらなかった、どうしてかって働いたことがないんだから……。


 マネージャーとふたりで、さっきのぼってきたエレベーターで一気に地下1階まで下りた。エレベーターの中で初めて会った人とふたりきりになると、しかもその人が、これからぼくを雇う人だと思うと、驚異的に緊張した。

地下1階まで下り、制服とエプロンを身に着けてバックルームにつくと、ぼくと同年代くらいの人が信じられないほど大量の大根を業務用の包丁でカットしていた。その度に、コンッ、コンッ、と包丁がまな板をたたく音が響いていた。

「マツモト、今日から一緒に働くことになったナカジマ君だ、いろいろ教えてやってくれ」

 そういってぼくを紹介した。

「はい」

 マツモト君は短く返事をした。ぼくはペコリと会釈(えしゃく)した。ぼくにはマツモト君は何となく機嫌悪そうに見えた。お互い言葉は交わさなかった。


 いきなりだったけど、仕事はいたって簡単だった。

 野菜や果物の知識なんて必要ない。ただ青果のコーナーを「いらっしゃいませぇ」とか「ご利用、ご利用、どうぞぉ」といいながら、ただ商品をお客さんにおいしく見えるように丁寧に陳列する。他にやることはない。


 ぼくが入社してから丁度4週間、短大生のかわいい女の子が入ってきた。その女の子がどういう性格なのかは一目でわかったりはしなかったが、女の子が青果に配属されるのは極めて珍しいことだと、マネージャーがいっていた。名前は鮎川静香といった。彼女は午前7時から12時までの早朝の仕事だったので、大学の講義が終わってから仕事に入るぼくとはほとんど会うことはなかった。

 しかし、ぼくは大学の講義がない、土、日、は10時から働いていたので、ほんの1、2時間くらいだったが、彼女と一緒に働く機会があった。


3回目か4回目の一緒に働いた日のことだ。先に仕事を終えた彼女がエレベーターから下りてきた。そして、ぼくがエレベーターの目の前の青果のやっちゃ場のところで甘栗の量り売りをしているところへ近づいてきた。そのころまでにぼくは彼女の性格がかなり‟自由人”であることを洞見(どうけん)していた。

「今日仕事何時に終わるの?」

「たぶん6時半くらいだね」

「じゃあ夜ご飯一緒に食べようよ、いいでしょう? それとも彼女とかいるの?」

「悪かったな、彼女いなくて」

「それはどうでもいいわ。ご飯どうするの、夜?」

 ぼくは彼女のタメ口に少し、カチンときていたが、一緒にメシを食う人が性別を問わずいなかったし、それに、ご飯というのはひとりで食べるとおいしくない、ということをよくしっていたので、

「奢ってくれるのか?」

 と尋ねてみた。

 もちろん、と返してきた。

「じゃあ7時に駅前のゲーセンの前で待ち合わせ」

「うん、わかった」

 まだスマートフォンどころかPHSさえない時代のことだ。

 そして午後7時。

 ぼくより先に静香は白いサブリナパンツに薄紫色のブラウスを身に纏って、立っていた。センスいいな、とぼくは思った。

 ぼくに気づくと静香は満面の笑みを見せた。ぼくは大学の合格祝いに祖父からもらった腕時計で時刻を確認すると、もう7時を20分をすぎていた。

「ちょっといくら何でも遅すぎやしませんか」

「ごめん、ちょっと残業で」

「それでは予定を変更しましてあなたがわたしにご馳走してくれることにしましょう」

「わかったよ、しゃらくせぇ」

「じゃあ行こう」

 そういって静香はぼくの手を握って、少し強くひっぱった。ぼくは少しバランスを崩してころびそうになった。

「で、何食べんの?」

「まぁいいからついて来て」

連れていかれたのは『満腹堂』という日本食のレストランだった。扉を引いて静香が中に入ると大将は、「おっ、シズカご無沙汰じゃねぇか、えっ、そのお連れさんはボーイフレンドか?」と話しかけてきた。どうやら静香はこの店の常連らしかった。

 

一番奥の四人掛けのテーブルに静香は腰を下した。ぼくも静香と向かい合うように椅子を引いてすわった。

「シズカ、いつものでいいのか?」

 どうやら何を食べるのかも既に決まっているようだった。

 天ぷらうどんと寿司のセット。

「ここ、すっごくおいしいお店だから、本当に大切な人としか来ないの」

「ひとりでくるのはしょっちゅうなのになぁ」

「大将ッ!」

「はははは」ぼくは思わず笑ってしまった。

「もうサトルまで」

「お前さん彼氏でもない男を呼び捨てにするなよ」

「いいじゃん、わたし達初めから付き合う運命なんだから」

 何だかいろいろと振り回されそうだったが、ぼくは静香と本気で付き合っても‟いい”と思っていた。

 しかしぼくには他に憧れている人がいた。


バイトをはじめてすぐのことだ。

 ぼくの働いていたスーパーは極めて大きかったので最上階に社員食堂と小さな喫茶店が併設されていた。

 ぼくは放課後、仕事がある平日は6時の休憩時間にその喫茶店(確か、ロゼッタ、という店名だった)でホットミルクティーとピザトーストで空腹を満たし、そして働くエネルギーを充電した。そして、この世の中に、これほどまでに綺麗な女性がいるのか、と、自分の目を疑いたくなるほど美しい女性が、紅茶とピザで空腹を満たしていたぼくの目の前にピンク色のポケットティッシュを何気なく差し出した。そこにはハート型のシールが貼付されていて、たぶんその人の名前だろう『古田麗子』とプリントされていた。

 麗子――名は体ををなすとは真実なのだとぼくはこころから、そう、思った。


 若い男は単純だ。それだけならまだいい。単純の上に馬鹿でスケベだ。ぼくは彼女に一目惚れしてしまった。それからずっとぼくは、バイトの日は、麗子さんがエレベーターからおりてくるのを一日千秋の思いで待った。バイトに行くのが楽しくなった。

 そんな時、ぼくは静香と出会い付き合うようになった。

 これを、二股、というのだろうか?

 ぼくはこころの一方で麗子さんを思いながら、もう一方で静香との交際を続けた。


 中学生のころ、浪人生が、恋人がいるのに、予備校の講師を好きになってしまうドラマが放送されてた。内容は3人の予備校生が恋をして最後に陽の沈んでいく海に向かって、本当に‟想って”いるのは誰か、それを告白したシーンをぼくははっきり覚えている。主人公は恋人ではなく憧れの予備校講師の名前を叫んだ。今のぼくと同じだ。

 そんな日々が1年以上続いた。

 ぼくのこころは静香よりも麗子さんに惹かれるようなっていった。


 ぼくの大学生活もバイトも順調にいっていた。しかしこころは不安定だった。

 そんな折スーパーのマネージャーが、

「もう一人バイト雇いたいんだけど大学のともだちで誰かいないか?」

 と聞いてきた。ぼくの頭に、「藤寺の顔」が瞬時に思い浮かんだ。

 そしてぼくと藤寺は、大学の同級生だけではなく、青果のアルバイトのコラボレーターというもうひとつの顔を持つようになった。藤寺は優秀なアルバイターでぼくなんか足元にもおよばないほど作業能力があった。

 青果には、他の部署のことはわからないが、マネージャーの他にもうひとり「代行」と呼ばれる尾崎アシスタントマネージャーがいた。ようするに青果のナンバー2だ。

 ある日、藤寺が尾崎アシスタントマネージャーに、

「小松菜がないんですけど……」

 と尋ねると、

「それは『コマツタなぁ』」

 と答えたらしい。

 ぼくには、

「すみません代行、大葉がないんですけどと聞くと、

「何! クミコがない」(むかし、大場久美子さんていうアイドルがいたんですよ)

 といわれた。

 ぼくはこんな大人にはなるまいと、強く決意した。



 静香と付き合い始めてからまた数か月がたったころ、ぼくは静香とのデートの帰りの夕食を『ステーキ将軍』というステーキ食べ放題の店をよく使った。もちろんアイスやサラダやパスタやカレーも食べ放題。学生にはモッテコイの店だ。そんなある日ぼくは特上ステーキウルトラセットという3000円で30分で完食できたら無料の料理に挑戦した。静香はいつもと同じメニューをオーダーした。

 ぼくは、ウルトラセットに敗北し、それじゃあ帰ろうとした際、静香は、

「わたしちょっとトイレ」

 といって、女子トイレの赤い人型が貼ってあるトイレに入った。ぼくは先にお勘定だけ済まそうとレジに行った。

 

 そこには麗子さんがいた。


 ぼくにはどうしてだかわかっていなかった。はじめてあった時、保険の外交員をしているといっていたのに……、信じられなかったがその女性は完璧に麗子さんだった。

 それからというもの、ぼくは、ステーキ将軍、で夕食をとるのを避けるようにした。そしてステーキ将軍には行かずに安いファミレスを利用するようになった。

「ねぇ、どうして最近ステーキ将軍いかないの?」

 そう静香に聞かれたら、最近太ってきたからダイエットだよ、ダイエット、と言い訳した。


 3年目のジンクスというのだろうか? 

 ぼくと静香の恋は2年半くらいで、終わった。

 しかしぼくは全然悲しくならなかった。むしろ都合がいいというか、自分勝手というか、ぼくは麗子さん目当てに毎晩ステーキ将軍に通った。

 あっちがダメならこっち。

 ぼくは最低な男だ。

 しかしステーキ将軍で麗子さんと会うことは二度となかった。

『聖書』には――チャンスは一度しかない、と書かれているそうだ。ぼくには興味も関心もない話だ。


 ぼくは今年で40になる。

 光陰矢の如し――むかしの人はうまいこといったもんだ。

 その間、ぼくに他の恋人ができたことはない。

 そしてぼくは、今もスーパーの青果で働いている。


「この話で完結します」 

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