【第1話】それでも前を向いて
視界に映るのは、見渡す限りの、白い石か何かでできた大小さまざまな廃れた建物。
風に舞う、たくさんの砂埃。
顔を上げれば、頬を濡らす小雨。
・・・・え?
顔に落ちてくる雨を受けながら、私は茫然と空を見つめた。
その先には、雲間から見える赤と白、2つの・・・あれは、月?
ここは・・・どこ?
知らない景色。
知識に無い光景。
それらを自覚したとたん、心臓の鼓動が早くなり、体がカタカタと震えだした。
『唯っ!』
兄の声がして、ハッと後ろを振り返る。
そこにはあったのは、壁にはまった私2人分くらいの大きさの曇った長方形の鏡だった。
鏡には泣き出しそうな顔をした私だけが映っている。
「お兄ちゃん!どこ?!」
声は聞こえれども姿が見えない兄を、しきりに見回しながら一生懸命探し求める。
それでも兄の姿は見つけられなくて、心細くなった私の目からはとうとう涙が溢れ出した。
「お兄ちゃんっ!おにいちゃ~んっっ。」
何度呼びかけても兄からの返事は返ってこない。
もうどうしたらいいのか分からなくなって、最初に兄の声が聞こえたと思った鏡によりかかって、そのままずりずりと座り込んだ。と、
『唯っ!』
当然また聞こえた兄の声に、ガバっと立ち上げる。
最初に聞こえた声よりもハッキリと兄の声がした。
「お兄ちゃん?!」
それなのに、やはりこちらから呼びかけても兄からの返事は無い。
「もう、なんなの…。」
右手を鏡につけて、鏡に映る自分を見ながら左手の甲で涙を乱暴にぬぐう。
『唯っ!』
「・・・え?な・・・。は・・・?」
予兆も無く、突然自分しか映っていなかったはずの鏡が、兄の声とともに兄の姿をそこに映し出した。
状況が理解できなくて茫然となり、言葉が出ない。
鏡の向こう側にいる兄は鏡を叩いているような仕草をしているけれど、私にはその音も衝撃も伝わってこなかった。
ただ兄の私を呼ぶ声だけが、その現実を私に教える。
「・・・お兄ちゃん・・・?」
私が小さな声で呼びかけると、兄は鏡を叩くのを止めて、私の手のひらに自分の手のひらを合わせてくれた。
兄の手の温もりが伝わってくることもなかったけれど、なんだか心が温められた。
私はホッと一息ついて、冷静になるために浅い深呼吸を繰り返した。
そして、現状を打破する為に兄に声をかけようとした時、
ゴ・ゴ・ゴゴゴッ
すごい地鳴りがして、立っていることがままならないくらいに地面が大きく揺れ始めた。
「きゃ―っ!!」
思わず鏡から手を放して、頭を抱えるようにしてその場にうずくまる。
だが、目の前の壁からもミシミシと軋むような嫌な音が聞こえてきて、私は必死に壁から離れた。
刹那、壁が鏡を巻き込んで砂煙をあげながらガラガラと崩れていく。
目の前のこの壁だけでなく、至るところから唸る倒壊音が轟音となり、倒壊による風圧とともに私を襲ってきた。
強い風が吹き、気づけば、自分の荒い呼吸音と体全体が心臓になったかのようにバクバクする心音しか聞こえなくなっていた。
先ほどまで私がいた場所は、鏡の破片と白い石の巨塊で埋まってしまっている。
危機一髪。とか、九死に一生。とか、テレビのドキュメンタリーででしか見たことの無い熟語が脳裏に浮かんだ。
初めて経験した災害に、私は口を閉じることもできず、ただただ倒壊してしまった壁を見つめた。
どれくらい時間がたっただろうか。
最初に私を濡らしていた雨雲と2つの月が消えて、代わりに温かな太陽の光が私を照らした。
涙の後が頬に張り付いていて、日の出を見ようと表情を動かすと小さく引きつる。
でも、その引きつった小さな痛みが、私を正気へと戻した。
「・・・お兄ちゃんっ!」
倒壊する直前に兄と言葉が交わせないか試してみようとしていたこと思い出して、私は砕けた鏡に慌てて手を伸ばした。
でも、長く座り込んでいた足はなかなかいうことをきいてくれなくて、それでも気力で四つん這いになりながら壁だった瓦礫の間に見える鏡の破片を寄せ集める。
「お兄ちゃんっ!お兄ちゃんっ!」
手の届く範囲で集めた破片を地面に並べてお兄を呼ぶ。
けれど、鏡の破片は兄の姿どころか声すらも届けてくれなかった。
何度も何度も呼んで、終いには声が枯れてきて…。
「・・・おにぃちゃ~ん・・・。」
最後に私の掌よりも一回り小さい、けれども破片の中では一番大きい欠片を両手で握りしめて、かすれる声でお兄を呼んだ。
一縷の望みをかけた問いかけにも、鏡は何の反応も示さない。
鏡はただの鏡に戻ってしまっていた。
いつまでも、こうしている訳にはいかない・・・。
私は、最後に掴んだ鏡の欠片だけをお守り代わりにハンカチに包んで、ジーパンの後ろポケットにねじ込んだ。
そして朝同様、気合いを入れるために両頬を強めにベシベシと2回叩く。
「よっしゃあ~!負けるか~!」
私は、気合いを入れて力強く立ち上がった。
両手でグイグイと顔をこすって、黒のストレッチジーンズとグレーの長袖のフルジップパーカーについた砂をはたく。
パーカーの中に着ていたお兄のお下がりの若草色の(私だとロングになる)七分丈のTシャツもお尻の下敷きになっていた部分の砂を落とした。
先の見えない不安に手が震えるけれど。
独りぼっちの寂しさに心も震えるけれど。
それでも、目を閉じれば私を待つ家族の笑顔に勇気をもらう。
不安なんかに負けるもんか。
寂しさなんかに負けるもんか。
自分のおちょこちょいで招いた結果なんだから、今は前を向いて進むのみ!
負けんな私っ!
絶対に皆の元に帰る方法を探すんだっ!
私は自分の意志で、大きな大きな一歩を踏み出した。
辺りを見回し、比較的行きやすそうな場所を選んで少しずつ前に進む。
瓦礫の山となった廃墟群をよじ登っては飛び降りて、躓いてはこけて。を繰り返して、やっとの思いで抜けた時には太陽は私の真上を照らしていた。
「やったー!抜けたー!」
妙な達成感に思わずガッツポーズをとってしまったのは仕方のないことだと思う。
その時、お腹の虫がグ~っと大きく鳴いた。
「お腹減ったな~。」
散々泣いて体力を消耗した上に、アスレチック化した瓦礫の山のせいで、お腹が空腹を訴える。
汗をかいたせいで、喉もカラカラだ。
けれど、
「思いっきり体動かしたから、なんかスッキリしたかな。」
汗と一緒に鬱々とした気分までもが吹っ飛んだようだ。
殊の外、私は単純にできているらしい。
廃墟群を外から見れば、私の背丈くらいの外壁(一部崩れている)が廃墟を守るようにぐるりと囲んでいた。
その外壁も至る所にひび割れができていたり、穴が開いてたりするから、ココは放置されてから長いと予測する。
じゃあ、ココに住んでいた人達はどこに行ったんだろう・・・。
私は廃墟群に背を向けるようにくるりと体の向きを変えた。
廃墟群は山の中腹よりちょっと下くらいにあって、私は見下ろす形で辺りを見まわした。
右手には川が流れていて、上流は山の中、下流は私の前を突っ切るようにして森の中に続いている。
左手もやっぱり森で、麓に向かう森よりも鬱蒼としていて、なんか入ったら抜け出せなさそうな感じだ。・・・たぶん。
川は、中学校の25mプールの倍は幅がありそうで、真ん中の方はここから見ても流れが速いことが分かる。
「ってことは、選択肢ナシの一択か~。」
私は軽い足取りで、山の麓を目指して歩き始めた。
川に沿うように、麓を目指す。
人の手が加えられていない山道は、思った以上に進むのが大変だった。
けれど、歓迎されているような迎えられているような不思議な感覚に導かれて、私は足を動かした。
お腹も減ったし喉も乾いていて、現状何も解決していないのに、そのおかげで何故か恐怖心すらわいてこない。
「森の癒し効果は抜群だな~。」
横を流れる川のせせらぎの音。
そよ風に揺れる木の梢のすれる音。
遠くに聞こえる野鳥の歌声。
日本でも癒し系音楽としてCDも出ていたけど、やっぱり生で聴く自然の音は段違いに私を癒してくれているようだった。
私は和んだ心のまま川辺に近づき、しゃがみ込んで、底が見えるほど透き通る綺麗な水を両手ですくった。
すくった水をそのまま顔にバッシャっとかけて拭いてから、その冷たい水をゴクッと飲む。
無味なはずなのに口触りも良く、一度飲むとその美味しさに何度も喉を潤わした。
「あ~、美味しかった~。川さん、ごちそうさまでした!」
口元に残った水分を片手で拭って、川に向かって合掌、一礼。
気を切り替えて立ち上がり、次に向かったのは山の中だ。
「お水も飲めたし、次は果物でも探そう!」
川の音が聞こえる範囲で山の中を進むことを決め、私は木々の間を通り抜けた。
そんな私の後ろ姿を、興味深げに見つめるたくさんの視線があったことを、その時の私は全然気づかなかった・・・。