家族
屋敷に帰り、出仕書を父に手渡した。
「私の不徳の致すところ。お父様にまでご迷惑をおかけ申し訳ありません」
家族だけのリビングで、私はソファに座った父、母、兄に頭を下げた。
「ふん…まあ、想定内だ。あの餓鬼が」
チッと、舌うちが聞こえた。
公爵は、普段、笑っていなくても笑っているような顔をしている、柔和な人物だ。
……と、一部の人間以外には思われている。
家族の中だけでは、素の公爵が出るので、怒っているときは、娘だとしても怖い。
「下品ですわよ、あなた。・・・婚約破棄、ねぇ。まあ、いいですけど?」
どうなってもしりませんけどね?
そんな言葉が聞こえてきそうな母がにこやかに笑った。
こっちは、笑っているのにどうして怖いのだろう。
私は、息を吸って、決意を固める。
「お父様―――」
言葉を発する前に、手で制され、侯爵が先に口を開いた。
「私は、隠居することにした」
ひゅっと、自分の息を吸う音が聞こえた。
声が出る前に、よたよたと父に駆け寄り、一生懸命に首を振る。
父が、隠居。
そんなことはあってはならない。国に必要な人間だ。
「お、お願い、です。や・・・やめてくださ・・・」
なかなか出てくれない声を絞り出すように、父に懇願する。
まず、私の話を聞いて欲しい。決して、迷惑をかけることはしない。
「大丈夫。後は私が継ぐよ」
いつの間にか後ろに来ていた兄が、父に縋り付かんばかりにしている私の肩を抱く。
「私、私のせいで、公爵家に傷がつくことなど・・・っ!」
静かな瞳で私を見る父には何を言っても無駄だと、兄を振り返る。
「お願いです、私を切り捨ててください!追放でも、出家でも、何でも受け入れます。
どうか、どうか、私のために・・・
―――こんな他人のために犠牲にならないでっ!」
心のまま叫べば、家族中が怒りにあふれたことが分かった。
目の前の兄が、冷たい視線で私を見下ろした。
「私を、侮辱する気かい?」
冷たい視線に、至上の愛を感じる。
家族からの怒りの気配に、喜びを感じる自分を叱りつけたい。
「この程度、妹を犠牲にしなければ解決できないと?さらに言えば、お前以上に守らないといけない家名ではない」
公爵家って、王家についで一番の家名だ。
そんな兄の言葉にも、父母は苦笑いだけで済ましている。
「私は、家族を犠牲に助かりたくはないのです!」
だから、どんなに辛くとも、兄の手を払いのけた。
「シャルロッテ、お前が何の罪を犯した」
兄の怒りの前で、私には発する言葉を持っていなかった。
私には、心当たりがないのだ。
嫌味は言った。苦言も呈した。
嫌がらせ?無視?していない・・・と、思う。
けれど、嫉妬はしていた。自分の婚約者に近づく女に。
態度には、出していないつもりだったけれど、睨むくらいは、したかもしれない。
どの行動をそうやって捉えられているか分からないから、何度も反芻した。
だが、考えても、王から呼び出されるほどのことをしていない。
けれど、相手は、エルクハルト王太子殿下。
彼ほどの頭が良い方が、何もなしに婚約破棄をできると考えているはずがない。
ならば、どこからどんなものを持ってきて、私を罪人にしようとしているか分からないのだ。
「私の未熟さが招いた事態。私が、出家しようと・・・」
「させない」
兄が、私の言葉にかぶせ、否定の言葉を吐く。
冷たい態度とは真逆の優しさで、頬が撫でられる。
「公爵家を守りたいと言うお前が、家族の一番の宝物を、奪っていってしまう気か?」
涙腺が、決壊した。
目を見開いたまま、涙を流す私を、兄は、面白そうに見て、困ったようにハンカチを差し出してくれた。
「お、にいさま」
泣いたまま話すものだから、ひっくひっくと、情けない声が間に入ってしまった。
それさえも、楽しそうに、「なんだい」と返事をする兄へ。
「あいしています」
兄が目を見開いた。
そうか、こんなに大事な言葉も私は伝えたことがなかった。
普段から、笑顔以外をあまり見せない兄が驚いて固まってしまうほど。
「おとうさま」
泣いているせいで、舌っ足らずが恥ずかしい。
「あいしています」
だけど、今、言わなくては、伝えるときがない。
父は、少し嬉しそうに、ちょっと戸惑うように視線を揺らした。
「おかあさま」
「ふふ。なあに?」
「あいしています」
「わたしもよ。可愛いシャルロッテ。愛しているわ」
母に伝えるのが最後になってしまっても、一番期待してワクワクする時間が長かったと、ことのほか喜んだ。
「嬉しいです」
私は笑った。大好きな家族のために。