挑戦した日
外はざあざあ降りの大雨だ。
雨粒が木の葉や地面に当たる音。ざあざあ。ばたばた。だばだば。
こんなに五月蠅いのだから、多少の物音は隠してくれるだろうと、どこか冷静な頭の中で考える。
今、わたしの目の前には四箱の咳止め薬がある。
四箱だろうか。四瓶だろうか。箱として捉えるか、瓶として捉えるかは、中身を出しているか封をしたままかによるだろうが、わたしはなんとなく、一箱、二箱、と数えたい。
一店舗の薬局では一人一箱までと制限がかかっている風邪薬。
注意されたり、店員に目を付けられるのは面倒臭いなと思ったので、今思えばもっと面倒臭い、四カ所のドラッグストアを回って買い揃えた。
四箱なのは、わたしが歩き回るのに疲れたのが、ちょうど四店舗目での購入を終えた後だったから。
単純な理由だけれども、偶数は好きだし、四という数字もなんだかすてき。と思ったからまあよしとした。
今は梅雨だ。誰も彼もが体調や気分を崩す。季節の変わり目。気圧の変動。そんな他愛もないものに背中を押されたわけではないけれど、わたしは今日、なんとなく、死のうと思う。
それでなんとなく、この風邪薬を買ってきたわけだ。
しかして、四箱分の錠剤を飲むなんて、途中で吐き出してしまいそうだから、すりつぶして粉にすることにした。
母が良く、胡麻を摺るのに使う擂り粉木と擂り鉢を台所から拝借してきて、自室に持ち込んだ。
試しに一箱分、擂り鉢にぶち込んで、擂り粉木でごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。
意外と簡単に粉になる。でも、この量なら、フードプロセッサーの方が良かったかなと、今更少しだけ後悔。
でも、自分の死にせめてもの温かみを与えたいので、わたしはわたしを殺すために、一所懸命ごりごり。ごりごり。ごりごり。ごりごり。
四箱分すべて粉になった頃には、両腕が震えていた。
嗚呼、疲れた。でもこれで終わりじゃないのだ。
わたしは確実に死ぬために、三種類の方法をとることを決めた。
ひとつが、薬の過剰服用。所謂オーバードーズ。
ふたつが、首吊り。
みっつが、リストカット。
お父さんがビールを飲むのに使う、大きなジョッキを持ってきて、粉末状になった風邪薬をさらさらと流し込む。そこに、ばーっとグレープフルーツジュース。マドラー代わりの菜箸で、よーくよーくかき混ぜる。
溶けてるんだか、溶けてないんだか、よくわからないけれど、とりあえず満足するまで混ぜ続ける。
混ぜ終わった頃には、今度は右手首がぷるぷる。
こんなんで、残りを実行出来るのだろうか。いや、しなければならんのだ。
わたしはどうしても、今日、死にたいのだから。
自室から、良く切れると噂の剃刀を持ってくる。あと、ついでに麻縄。
麻縄なんてどこで売ってるんだと思ったら、ネットの通販で簡単に見つかった。便利な世の中になったものだ。
自殺三点セットを持って、わたしはお風呂場へ行く。
うちは戸建ての一軒家だから、ちゃんとわたしが死ねた場合、家族には多大なるご迷惑とご心労をお掛けすることとなるが、それはまぁ、今はどうでも良いことだ。
浴槽には半分だけ水を貯めておいた。
着ているのは、一番お気に入りの一張羅のワンピース。
そのままざぶん! と浴槽に入る。
服を着たまま水で半身浴してる気分。気分って云うか、状態。
一旦立ち上がって、お風呂場の窓の柵に麻縄をぐるり。ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、何とか首を括って力を抜いたらいい感じに締め付けてくれそうな結び方ができた。
ポイントは、浴槽に半身浴したまた首を締め付けられる角度だ。
まぁ、正直首吊りにはあまり、期待していないので、気を失えればそれでいいや、くらいの感覚。
さて、用意は整った。
家族はみんな外出中。わたしは体調不良を訴えて家族サービスからおさぼり。
家族サービスをおさぼりしてる最中に、家族からサヨナラなんて、笑い話になればいいんだけど。
ジョッキに溶かした風邪薬を、もう一度ようくようくかき混ぜる。下の方でどろどろになっていたのがなくなるまで、ようくようく手でかき混ぜる。汚いとか関係ないのだ。混ざればいいのだ。
グレープフルーツジュースが比較的さらさらになってから、わたしはそれを一気飲み。
ぐっ、と胃から何かせり上がってくるような、えげつない苦みが口の中を襲ってきたけど、我慢我慢。
一所懸命飲む。ごくり。ごくり。
途中で一息ついてしまったら、吐き出してしまいそうだから、息を整えるだけにして、ぐびぐび。ぐびぐび。
最後の方にどろりとしたものがあって、溶かし切れてなかったか、と脳内で舌打ち。
なんとか飲みきって、ふぅ。くらり、とめまいに襲われた。
早速薬が回ってきたのか、グレープフルーツジュースなんてものを一気飲みしたからからか。両方な、気がする。
まだ頭が冷静なうちに、と剃刀を手にする。
お風呂場の電気はつけておいた。
暗闇で死体発見、なんて怖すぎる。わたしだったらいやだ。だからやめた。
それならそもそも死体なんて、しかも自殺死体なんて誰も見たくないだろうけど、そこだけは我慢していただきたい。
だってわたしは今日なんとなく、だけれども絶対に今日、死にたいのだから。
剃刀を電気に向けて翳してみると、鈍く光った。
この鋭い刃が、今からわたしの手首とか、首とかを、すぱすぱするのかぁと思うと、なんだか感慨深い。
本来はムダ毛を処理するために使われるものだろうに。キミの役目は今からわたしの皮膚と、血管と、神経と、腱と、筋肉とを切り裂くことだよ。すまないね、なんて。
ぼけーっと見ていたら頭がぼんやりして、視界もぼやけてきた。
早くしないとオーバードーズして水風呂に浸ってる変な奴で終わってしまう。それだけは避けなければ。
その思いで、一刀両断。
翳していた剃刀の刃を手首に当てて、力一杯横に引いた。
ビリッと、弾けるような痛みが体中を襲った。
血がどくどくと溢れてきたけど、これだけじゃ駄目だ。動脈まで切らないと。
切り落とす、勢い。大切。
もう一度思い切り、同じ場所を。
ぐぅ、と奥歯を噛みしめた。奥歯が割れるかも知れない。どうでもいいや。
手首だけで、なんてしんどくて、なんて痛いんだろう。
どくどくと溢れ出続ける血液に、麻痺したように動かない左手首に少し安心して、今度は剃刀を首に当てた。
なんだか、勇気がいるなぁ。首を切ったら本当に死んじゃうなぁ。
いやいや、落ち着きたまえ。わたしは死にたくて、やってるんだから、死ねなかったら困るのだ。
勇気と呼べばいいのかわからないけれど、なにかを振り絞って、首に当てた剃刀を、ぐっと力一杯引いた。
最早感覚がない。でも、疲れた。
薬の所為かな。もう手に力が入らないや。
せっかく用意した麻縄。無駄になったな。まぁいいや。
このまま水風呂に首まで沈んでいれば、その内血液は流れ続けて死ねるだろう。死ねなかったら困る。
なんで、死にたくなったのかな。
それすらも、もうわからないけれど、とにかく。
この世から消え去りたかったのだと、それだけが浮かぶ。
「ばいばい」
出たのか、出てないのか。
わからないけれど。ぽそりと呟いて、目を閉じた。
なんだかとっても、眠いんだ。