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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第一章 ぼくの中のエゴと偽善
6/44

06

「はい」


 す、と缶コーヒーが差し出されたのを横目で確認する。ぼくがうなだれたままそれを受け取ると、彼ははあ、と一つため息をついて、ぼくのトナリに腰を下ろした。

 自分も何か飲み物を持っていたのだろう、ずず、とそれをすする音が聞こえた。それがやけに大きく鼓膜に響いて、何も聞こえなかったこの前とは大違いだ。


「体の具合でも悪いの?」

「……何故だ」

「だって最近負け続きじゃないか。こんなに連敗なのも珍しいね」


 「負け」というのは、「自殺を止められずに人が死んだ」という意味だ。もちろん、そんなことは勝ち負けで数えるものではないけれど、確かに敗北感はある。

 いや、これは無力感と言ったほうが正しいだろうか。どうしてぼくは、誰かを救えない? 彼らを理解できないから? 彼らの気持ちがわからないから?

 ――違う。わからないからこそ、ぼくは彼らを救いたいんだ。人生は苦痛ばかりじゃないと、生きていればきっといいことがあると、ほんのわずかでいいから彼らにわかってほしいんだ。そのために、ぼくは声を張り上げてきたんだ。

 それなのに、


(我が人生、死して悔いなし)

(サヨウナラ)


 みんな、死んでゆく。ぼくの目の前から、消えてゆく。

 ぼくは、彼らを救えなかった。ぼくは、ぼくが、彼らを「殺した」――?


「なあ」

「何だい?」

「ぼくが、彼らを殺したのだろうか」

「そうだよ」


 彼は即答した。あまりの速さに思わず顔を上げれば、その口は笑っているものの、蔑むような冷たい目がこちらを射抜いている。


「君はよく言うよね、『ぼくには理解できない』って」

「ああ」

「彼らにとって、それは死刑宣告と同じだよ」

「死刑、宣告?」


 「殺す」というのと同じくらい物騒な単語が出てきたことによって、心臓がドキリと跳ねる。それは、ぼくが彼らの死ぬきっかけを作った、ということだろうか。


「そう。彼らは心のどこかで止めてほしいと思っている。自分を理解してほしいと思っている。それなのに、理解できないなんて言われたら、絶望するしかないじゃないか」

「違う、ぼくは理解できないからこそ彼らを……」

「それも君の悪いところだよ」


 ピシリ、はっきりとした指摘が容赦なくぼくに突き刺さる。彼は正直な人物だと思っていたけれど、それが自分に向かってくると、こんなにも痛いものだったのか。ずっと一緒にいたのに経験して初めてわかるなんて、皮肉なものだ。

 そんな彼はまた一口コーヒーを飲んでから、先を続けた。


「君の言いたいことは理解できなくもない。でも、彼らに正論は通じないんだ」

「正論?」

「そう。君の言うことは正しい。だけど、彼らはそんなことをわかりきった上で、それでもなお死にたいんだよ」

「何故だ」

「たとえば、生きていればいいことがある、と君が言ったとしよう。だけど、そんな保証がどこにある? 確かにそうかもしれないけれど、逆に悪くなる可能性だってあるじゃないか。そしたら、彼らはさらに絶望するんだよ。君はそんな彼らに何を言ってあげるの? ウソつき、って言われて終わるだけじゃないのかな?」


 そういえば、ぼくがこれまで助けてきた「彼ら」は、今どうしているのだろうか。もしかして、彼の言うように、さらなる絶望に沈んでしまったのだろうか。ぼくを憎んで、ぼくの知らないところで死んでしまった人がいるのだろうか?


「彼らには、希望が必要だ。だけど、まず必要なのは正論じゃない。それはただの綺麗事にしかすぎないからね。彼らが一番にほしいのは、共感だよ」

「共感……?」

「そう。こんなにつらかったんだ、苦しかったんだっていうことに対する、心からの共感さ。君は何故死ぬのかとは聞くけれど、共感はしない。それどころか、自分にはわからないと言って、彼らを突き放すんだ」

「違う、ぼくはそんなつもりじゃ」

「受け入れるふりをして拒絶する。そんなの、君が彼らを殺したも同然さ」


 そこで彼は一息ついてから、ぼくの目を真っ直ぐに見据え、静かにこう告げた。


「ただ『死ぬな』じゃ救えないんだよ」


 ああ、蔑むような冷たい視線の理由は、それだったのか。

 ぼくは今まで、彼らに生きていてほしいという一心で、希望や、たとえ「未練」だとしても、何かこの世にとどまらせるためのものを与えようとしてきた。

 だけど、ぼくが見ていたのはその「何か」だけで、「彼ら」ではなかったんだ。自分が「彼ら」を理解し、その「何か」になろうとはしなかったんだ。それでは、確かに彼の言うとおり、誰も救えないだろう。

 しかし、ぼくの中にはそれらを悔いる気持ちと同時に、彼に対する怒りも生まれていた。何故なら、


「だったら、何故君が救ってやらないんだ。君は彼らの気持ちがわかるんだろう? 君は何のためにここにいるんだ!」


 そうだ。こんなにも彼らの気持ちがわかるのに、何故彼は何もしない? 自分でするのが嫌なら、せめてぼくに教えてくれてもいいじゃないか。そのせいで、今まで何人の「彼ら」が死んだ? 何人救えなかった? 何人、殺した?

 ふと顔を上げると、彼はにこり、とキレイに笑った。なあ、何故だ? ここは、笑うところじゃないだろう?


「言っただろ、ぼくはある男に復讐するって」


 酷く穏やかな声で、穏やかではない言葉が紡がれる。何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってきて、ぼくはすっくと立ち上がった彼を目で追うことしかできなかった。


「それだけが、今のぼくを生かしているものだ。ここにいるのだって、『あの男』との接点が見つかるかもしれないから。ただ、それだけ。だから、ぼくには彼らが死のうが生きようが関係ない。むしろ死んでいける彼らがうらやましいくらい――」


 ぱしり、と乾いた音が響き渡り、嫌でも自分が何をしたのかが実感させられた。


「……痛いなあ」


 へにゃり、ぼくに叩かれたほおを押さえた彼が、眉を下げて笑う。それを見て、思わず謝りそうになったけれど、ぼくにはそれよりも先に言いたいことがあった。


「君がそんなやつだとは思わなかった。見損なったぞ」

「ははっ、安いセリフだなあ。君はいつまで青春ごっこを続けるつもりなんだい? まあいいや、ここはぼくも安いセリフで返してあげよう」


 ふふ、と何故か愉快そうに笑う彼。そのせいで、また怒りがこみ上げてきたが、それはすぐに絶望へと変わった。


「君に何と思われようと構わないよ。これはぼくの人生だからね。君に理解してもらおうとは思ってないし、――そもそも、君には理解できないだろう?」


 呆れたように吐き捨てられた言葉は、凶器だった。その鋭利な刃物で、ぼくの傷を容赦なく抉ってくる。

 仲間であるはずのぼくと彼は今、完全に敵対していた。しかし、ここでは彼が圧倒的に正しい。そんな状況で、ぼくにどんな反論ができるだろうか。

 ただただ絶望的な表情で、何も言えずに彼の顔を見つめていると、彼が今度は困ったように微笑み、


「やっぱり調子が悪いみたいだね。二、三日休みをもらったほうがいいんじゃない?」


 と言って、去っていったのだった。

 必然的に一人になったぼくに残されたのは、絶望と苦悩と後悔と未練と、すっかり冷たくなった未開封の缶コーヒーだけだった。




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