エピローグ
相棒の「復讐未遂」から早一ヶ月。ぼくたちはいつもと変わらぬ日常を送っていた。
そもそも「復讐未遂」が騒ぎになることはなかった。「未遂」で終わったということも一つの理由だが、高いビルのフェンスの内側で起きた出来事だったので、目撃者がいなかったというのも大きな理由だろう。まあ、あの場にいた人からすれば、ぼくも含め、心底安心したのだが。
* * *
「ごめんね、君。復讐を果たすことはできなかったよ。君は無駄死にだったのかもしれないね。だから、ぼくはその罪を償うよ。そのために、もう少し生きさせてね。いつか向こうに行ったら、話を聞かせるから」
相棒である彼は、先日の休みに『彼女』と、昔ぼくが「負けてしまった」とある人物の墓参りに行ってきたらしい。後者は、自殺したいと思っていた彼と意気投合し、彼の「復讐」に興味を持って、少し死ぬことが惜しくなったと言いつつも死んでしまった少女だった。
* * *
「あっ、先輩。こんにちは!」
「どうも。今度彼が一緒に食事をしたいそうです」
「えっ、何で君が言うの?」
「君が早く言わないからだろ。いつも遠くから見てはモジモジして……鬱陶しい」
「酷い!」
後輩二人とは、以前と同じように時々すれ違ったときに話すくらいだったが、いつもどおり仲良くやっているようだった。
何より、彼女が前よりも生き生きとしているように見えた。それを伝えると、
「前と変わりませんよ。相変わらず、生きる意味なんてわかりませんし」
と冷静に返されたものの、「自分の存在を支えてくれる何か」がわかっている人は強いとよくわかるようだった。
* * *
「先生、遅れてごめんね。って、あれ? 刑事さんだ。こんにちは」
「偶然通りかかったそうですよ」
「あ、じゃあ刑事さんも一緒に水族館に行く?」
「彼はこれからまた仕事だそうです」
「そっかー。じゃあ、頑張ってね。今日も『勝てる』といいね」
友人と少女は、恋人として順調に歩んでいるようで、とても微笑ましかった。
友人のほうは、精神科医としての仕事にもいっそう精を出して励んでいる。同じような悩みを持つ人間を相手にしていることから、最近ではたまに会って互いに相談することもあった。
ただ、相手はそれぞれぼくか彼を信頼しているのだから、そこからまた違う人に相談するというのはあまりよくないのかもしれない。しかし、それで自分が潰れてしまったら意味がないし、ぼくも彼もお互いは信頼できると思っているから、本当にたまににして、あとはなるべく自分の力で解決するようにしている。
いつだったか、彼は「もう二度と『彼女』のような悲劇はくり返したくない」と言っていたが、ぼくのように、それができないこともあるだろう。だけど、彼はもう独りではない。彼には、彼女がいるのだから。
だから、きっと大丈夫だ。喜びも哀しみも、二人でなら分かち合って生きていける。手をつないで去っていく二人の後ろ姿を見て、ぼくはその確信を強めた。
* * *
「ぼくは、幸せだから死ぬんだ」
最後に、ぼくはというと、今日も屋上に立ち、今にも飛び降りてしまいそうな青年と対峙していた。
「何故、幸せだから死ぬんだ?」
「幸せだからだよ。思い残すことはもう一つもないからさ」
その言葉で、救えなかったいつかの中年男性、そして、話の中でしか知らないけれど、『彼女』のことを思い出す。
(『彼女』はきっと、幸せだから死んだんだよ)
あのとき、ぼくは自分でそう言ったが、ぼくにはやっぱりそれが理解できなかった。幸福のための自殺。そんなことは本当に有り得るのだろうか。それを実行することを、ゆるしてもいいのだろうか。
自殺する本人は幸せでも、残された人たちには大きな哀しみと苦しみを残すことになる。そして、それは彼の大嫌いな「未練」となるのだ。だから、
「でも、ぼくは君が死ぬと哀しいんだ。だから、ぼくは君を止める」
ぼくは、それも止めてみせる。彼らの話をもっとじっくり聞いて、「幸福のための自殺」を理解するために。それでもし理解できたとしても、ぼくはやっぱり彼らを止めるだろう。だって、ぼくが嫌だから。
ぼくは「生」を絶対に肯定するわけではないけれど、せっかく授かった命なら、最後までまっとうしたいし、してほしいと思っている。だから、ぼくは自ら命を投げ捨てようとする人がいるのは嫌だし、その人が死んだら哀しい。
だから、ぼくはぼくのために「彼ら」を助ける。ただ、それだけだ。




