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「まったく、君は相変わらずお人好しだね。ぼくの『未練』まで引き受けようっていうのかい?」
「そうだ。『未練』を引き受けるのがぼくの仕事だからな」
呆れたように肩をすくめた彼にとっては耳にタコなセリフだろうが、それが事実なのだから仕方ない。ぼくはぼくのために、己の欲望に従って「未練」を引き受け、「彼ら」を救うと決めたのだから。
その「彼ら」というのは、何も自殺志願者だけではない。初めての患者に死なれてしまい、それと同じ悩みを持っていた少女との関係に悩んでいた友人。その彼という生きる意味を見つけたものの、それが彼の重荷になっているのではないかと思い、すべてを抱えこんでいた少女。自殺と間違えて助けに行ったことがきっかけで、同じ警察官になった後輩。その後輩と生きる意味の有無について喧嘩をして、悩んでいたその同僚。
彼らはみんな、ぼくが助けたい「彼ら」なのだ。知り合いだろうが、赤の他人だろうが、ぼくは「彼ら」を救いたい。たとえそれが大きなお世話で、その人にとって迷惑なことだとしても。だって、ぼくは自分のことしか考えないエゴイストなのだから。
そして、目の前で復讐を実行しかけているぼくの相棒だって、例外ではない。だから、ぼくは彼を救いたい。
「実は、ぼくも一つ推測してみたんだが」
「はあ、君もかい? 『彼女』の死を汚すようなことはやめてほしいんだけど。ああ、君は死者には残酷だったもんね。いや、これは生きているぼくにとってもかなり酷い仕打ちなんだけどね」
いつか「罪」について話したときのことを思い出しているのだろうか。彼の皮肉が胸に突き刺さる。しかも、つい先ほど「誰も傷つけない」と言ったはずなのに、彼の言うとおり、早くも彼を傷つけているではないか。
ならば、せめてこれ以上は誰も傷つかない、誰もが幸せな結末を――ただ、それは「ぼくだけがそう思っている幸せ」なのかもしれないけれど――迎えられるように、ぼくは努力したい。
「すまない。でも、聞いてほしいんだ」
「仕方ないな、これで最後だよ。もういい加減、復讐を終わらせて楽になりたいんでね」
あきらめたように彼がはあ、とため息をつくと、腕の中にいた彼女がビクッと震えた。おそらく、彼のセリフに反応したのだろう。彼女は今、遠ざかったはずの「死」に近いところにいる。
だけど、
「復讐は、させない」
「残念だけど、君にはぼくを止められないよ」
互いににらみ合うように視線を合わせれば、そこにはわずかな拮抗が生まれた。しかし、ぼくはすぐに目をそらしてから、ふう、と一つ息を吐き、そしてまたしっかりと彼を見据えた。
「ぼくは、『彼女』は幸せだったんじゃないかと思うんだ。『彼女』はきっと、幸せだから死んだんだよ」
「は?」
彼だけでなく、ここにいたぼく以外の全員の声がキレイに重なる。確かに突飛な意見であるとは自覚しているが、そんなにおかしな推測だっただろうか。考えがたいことかもしれないけれど、有り得ないことではないはずだ。
現にぼくと彼は、そういう理由で自殺した人間を知っている。幸福だから死ぬと言ってビルから飛び降りた、一人の男性を。
「何を驚いているんだ? 君は前に自分で言っていたじゃないか。人生の限界が見えたから死んだんだって。『彼女』には、まさにその限界が見えていたんだよ。生きる意味をさがしていたけど、見つからなかったんだろう?」
「そうだよ。だから『彼女』は彼に相談したんだ。だけど、彼は何も言えなかった。だから、彼女は死んだんだ」
蔑んだ瞳で見下ろされ、友人は何も反論できずにぐっと押し黙る。そのカオは悔しそうで、しかしどこか自分の過ちを受け入れているようでもあった。
「だから、『彼女』は絶望して死んでいったんだよ。幸せなんてどこにもない。君の推測は見当違いだ」
「確かに、生きる意味を見つけられなかったことは大きな絶望だったかもしれない。だけど、それでも『彼女』は幸せに死んでいったんだ。だって、『彼女』は最後に生きる意味を見つけたんだから」
はっきりとした確信を持ってそう述べれば、またぼく以外の全員が驚いたような表情をしていたが、その中でも最も驚いているように見えた彼が真っ先に口を開いた。
「それ、矛盾してない? 生きる意味が見つかったのなら、『彼女』が死ぬ必要はなかったはずじゃないか」
「確かに、生きる意味が見つかった、というのは語弊だったかもしれない。だから、そうだな、自分の存在価値に気付いた、とでも言うべきだろうか」
「存在価値?」
「ああ。自分に対する肯定と言ってもいいかもしれない。これも君が言っていたことだぞ。『彼女』は自分という人間が生きるだけの価値をさがしていたのかもしれない、ってな」
「確かに言ったけど、それがどう『彼女』の自殺と関係しているっていうのさ」
「君は、『彼女』に何と言ったんだ?」
「え?」
少し苛立っている彼をよそに、へたりこんでいる友人のほうを振り返り、尋ねる。急に話を振られた彼は焦ったような表情を見せたものの、質問の意味を把握したのか、またすぐ暗い顔をしてうつむいた。
「ぼくは、『彼女』に何も言えませんでした」
「そんなはずはない。君は言ったんだろう? 『ぼくは、あなたが死んだら哀しいですよ』と」
「確かにそうですけど、でも、それが何か……」
「君は?」
「え?」
「君は『彼女』が死ぬ前に姿を見せたとき、何て言ったんだ?」
今度は友人を放置して、その奥にいた後輩の彼女に目を向け、同じ質問をする。彼女も最初は戸惑っていたものの、少し考えてからすぐに口を開いた。
「彼女には『わたしが死んだら哀しいか』と聞かれたので、『当然だ』と答えました」
「そうか」
彼女は冷静で、状況判断が早いから助かる。わかりやすい返答にうなずいて、ぼくは再び正面にいる相棒を見据えた。
「そして、君だ。君も彼女と同じ質問をされ、同じように答えた。そうだったな?」
「そうだけど、それが何だっていうんだい?」
わけがわからないというように顔をしかめてこちらをにらむ彼に対して、ぼくは先ほど以上の確信を抱きながら、にっと笑ってみせた。
「だからだよ」
「は?」
「だから、『彼女』は死んだんだ」




