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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第四章 エゴと未練の贖罪
39/44

07

「話って、何ですか」


 屋上に着き、前を歩いていた人物に声をかける。それに反応してくるり、と振り向いたその人は、真っ直ぐな目でわたしを射抜いた。やっぱり、その目は苦手だ。同僚の彼や『あの人』を思い出すから。


「急にこんなことを聞いて変だと思われるかもしれないが、君は前に自分を肯定してくれた人がいる、と言っていただろう。その人は今、どうしている? 今も連絡をとっているのか?」


 何を聞かれるのかと思えば、彼――わたしの同僚の憧れの先輩――の口から出たのは、その瞳よりも苦手な、できれば触れてほしくない話題だった。

 しかし、彼の性格からして、答えなければ帰してもらえないような気がしたので、わたしは一つため息をつき、重い口を開くことにした。


「……今は、会っていません。その人は、もうこの世にはいませんから」

「、え」


 驚きの言葉を発したのは、わたしの後ろにいた同僚だった。先輩に呼ばれたのはわたしだけだったのだが、彼を目に留めた先輩が一緒に来るように呼んでいたからだ。

 しかし、やはり用があるのはわたしのほうであるためか、先輩はわたしから視線を外すことなく先を続けた。


「事故か?」

「いえ、自殺です」

「失礼だが、それはいつの話だろうか」

「わたしが大学一年生のときですから、もう五年近く前になります」

「そうか……」


 何かを考えこむように黙ってしまった先輩。それと入れ替わるようにして、同僚の彼が「ねえねえ」と言いながら服のすそを引っ張ってきた。


「それって、この前の人の話?」

「ああ、そうだよ」

「……ごめん。ぼく、その人が亡くなってたなんて知らなくて……だから君は、あんなに自分の存在を否定されることを嫌がったんだね」

「いいんだ。わたしも言っていなかったし。それに、わたしはもう、ちゃんと自分で自分の存在が肯定できるようになったから。今はその事実だけで十分だ」


 しゅん、と肩を落とす彼に苦笑しながら声をかけ、もう一度先輩のほうに向き直る。


「で、それが何か」

「君は、ぼくの相棒を見たことがあるか?」

「ええ、何度か見かけたことはあります」

「じゃあ、以前に会ったことはないだろうか。たとえば、その人が自殺したあと、とか」

「……ああ」


 そういうことか。彼はそれが聞きたくて、わたしを呼び出したのだ。


「やっぱり、人違いじゃなかったんですね」


 過去と現在の記憶が交錯し、頭の中で彼の顔が重なる。似ているなとは思っていたけれど、やはり同一人物だったようだ。


「やはりそうか。じゃあ、彼のことも憶えているか?」


 彼が差し出した写真に写っていたのは、穏やかに微笑むやさしそうな青年。彼の予想通り、わたしはこの人物にも見覚えがあった。


「確か、『彼女』が一度だけ受診した精神科の先生だったかと」

「そうだ。実は、彼とは大学からの友人でな。彼から君のことを聞いたんだよ。警察に行ったときに、一人女ノコがいたってな」

「よく憶えていましたね。失礼ですが、わたし、先生の名前は憶えていませんよ」

「君はあのときショックを受けていたんだ。顔を憶えていただけでも十分だと思うぞ」


 慰めるような言葉をかけられ、まるで先ほど自分が同僚の彼にやっていたことのようだと苦笑する。

 しかし、


「でも、今さらそれが何だっていうんですか」

「いや、実はこの前、彼――ここでは『先生』と呼ぼうか。その患者の自殺未遂の現場に遭遇してな。その子は無事に助かったんだが、あとから現れた彼が先生を見た途端、血相を変えて向かっていったんだ。しかも、先生が復讐の相手だなんて言うじゃないか。だから、二人の間に何があったのか、先生に聞いたんだよ」


 そういうことだったのか。自殺に関係ないのに首を突っ込むなんて、相変わらず彼はお人好しのようだ。まあ、友人同士が喧嘩をしているのだから、それくらい普通か。

 だけど、


「復讐って、何ですか」


 それだけが、よくわからなかった。『彼女』は自殺だ。自らの意志で死を選んだのだ。そこに他者が入りこむ余地などないだろう。それは、余計なこと、あるいは死者への冒涜ではないだろうか。


「彼は、先生が『彼女』を殺したと思っているらしい」

「え? その人は自殺じゃなかったんですか?」


 眉間にシワを寄せて苦々しげに答えた先輩に対して、同僚の彼が驚いたように聞き返す。


「ああ、だから間接的に、だよ。彼は、先生の言葉によって『彼女』が自殺したと思っているらしくて、その復讐をしようとしているんだ」

「そんな……」

「先生は、『彼女』を自殺に向かわせるようなことを言ったんですか」

「いや、聞いた限りではそんな言葉はなかった。もちろん、あくまでぼくの主観だが。それに、彼はむしろ何も言えなかったと悔やんで、自分を追い詰めているくらいなんだ。……ん? すまない、電話だ」


 そう言ってポケットからケータイを取り出した彼は、こちらに背を向けて通話し始めた。

 もし、何も言えなかったことが『彼女』を死に追いやったというのなら、わたしも同罪だ。それなら、先生だけではなく、わたしも罰を受けるべきではないだろうか。


(全部じゃないかな)


 罪は裁かれ、償い、ゆるすものだと、わたしのトナリで焦ったようなカオをしている同僚の彼は言っていた。誰にゆるされるのかはわからないし、ゆるされたいのかもわからない。だけど、わたしは――


「え? 今、君はどこにいるんだ? ……わかった、すぐに行く」


 電話をしていた先輩の声から、その向こうに緊迫した状況が広がっているのだということが想像できた。もしかして仕事だろうか、と思っていると、同僚のほうが先に口を開いた。


「あの、どうかしたんですか?」


 電話を切ってゆっくりと振り向いた先輩の口から出てきたのは、今のわたしたちにとっては、仕事よりも大変な事件だった。


「彼が、復讐を始めるそうだ……」




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