06
「どうしてそんなことを言ったんだ」
「だってそうだろう? 生きてる意味がわからないってことは、別に死んでもいいってことじゃないか」
相変わらず辛辣なことを正直に言うな、と思ったが、その内容には確かにうなずけるものがある。先ほどのことも含め、ぼくは一生彼に口で勝てないだろう、と再認識できた気がした。
「まあ、彼女もさすがに驚いたような表情をしていたけれど、すぐに『それはできません』ってはっきり否定したんだよね。理由を聞いたら、『確かに、わたしは絶対に生きていなければならない理由がわかりませんが、それは生きる意味が見つかっていないという意味であって、ないという意味ではありません。だから、死ぬという選択肢は今のところありません』だってさ」
面白いだろう? と同意を求めるように言って、くすくすと笑みをこぼす彼。こんなに楽しそうな彼は、そうそう見られるものじゃない。
彼はその笑顔のまま先を続けた。
「だから、ぼくは彼女への興味が湧いて、その授業のたびにトナリに座って話しかけたんだ。『今日は生きる意味が見つかったかい?』ってね」
「君は昔から意地が悪かったんだな」
「失礼だな、ぼくなりのスキンシップだよ。それに、彼女はそういう嫌味が通じない人間でね」
「やっぱり嫌味だったのか」
「まあいいじゃないか」
細かいことは気にするな、とでも言いたげな彼の口調に、確かに小言のようになってしまったな、と反省したが、彼は昔から彼だったんだな、と何故か保護者のような気分になっている自分もいた。
「彼女も彼女で『いえ、まだです』って毎回律儀に返してくれてね。で、ぼくはさらに言ってやったんだ。『そこまでして、生きる意味をさがす意味はあるのかい?』ってね」
「意地が悪いを通りこして、ただの嫌な人間だぞ」
「そんな嫌な人間の質問にも、彼女はちゃんと答えてくれたんだよ。『それもわかりません。だけど、だからこそさがすんです』ってさ」
ぼくはもう彼の性格に慣れているからいいかもしれないけれど、出会ってすぐ、そう親しくもない人間にそんなことを言われたら、かなり引いてしまうのではないだとうか。
だけど、『彼女』は違った。だからこそ、彼は『彼女』に惹かれたのかもしれない。
「でも、もちろん違う話もしたよ。普段の生活の話とかね」
「へえ、たとえばどんなことをだ?」
「そうだな、彼女は児童養護施設育ちで、ぼくと同じだったってこととか」
「……初耳だな、それは」
「あれ、そうだっけ?」
彼はとぼけたように笑ったが、初めて明らかになった彼の過去に、ぼくはどんなカオをしていいのかわからなかった。施設育ちの人をひとまとめにして「かわいそう」だとか「大変だ」とか言いたくはないが、じゃあどんな言葉をかければいいのか、と考えると、かなり反応に困る。
そんなぼくの反応を楽しんでいるのか(本当に意地が悪い)、彼は無言のぼくを置き去りにして話を続けた。
「そんな生い立ちから、彼女は生きる意味を考え始めたと言っていたけれど、同じ環境でも、ぼくはそんなことを考えたことがなかった。生きて、学校に行って、バイトして、明日も生きる。人生なんて、そんなことのくり返しだと思っていた」
(わたしは、生きているから生きているんです)
いつか、後輩である彼女はそう言っていた。今は少し考えが変わったのかもしれないけれど、彼もそれと似たような心境だったのだろうか。
「でも、彼女は違った。いつも生きる意味をさがしていた。それは、もしかしたら『価値』と言ってもいいかもしれないね。自分という天涯孤独の人間が生きるだけの価値を。あるいは、自分が生きているこの世界の価値を」
人生の意味、自分の価値、あるいはこの世界の価値。ぼくは、それらを真剣に考えたことがあるだろうか。
「気付けばぼくは、いつも真っ直ぐで真剣な彼女から、目が離せなくなっていた。彼女が貪欲にさがす意味や価値を見つける手伝いをしたいと思った。――だけど、」
熱を帯びた声が低く変化する。見れば、彼の表情にも影が差していた。
「彼女の納得がいく答えが見つけられないまま、ぼくは先に卒業を迎えることになったけれど、彼女はもう一年さがしてみるって言ったんだ。なのに、その一年が始まってすぐ、彼女は死んでしまった。しかも、ぼくと会ったその日の夜に」
「え? じゃあ、最後に『彼女』と会ったのは、君なのか?」
「夜も遅かったし、多分ね」
「そのとき、何か話をしたのか?」
「彼女はその日、珍しくどうしても会いたいって言ってきたんだ。会って、そこで聞かれたのは『あなたは、わたしが死んだら哀しいですか?』という質問だった。いつもと毛色が違う質問だったから驚いたけれど、ぼくは『そんなの、当たり前じゃないか』って即答したよ。もちろん、それは本心だ。そしたら、彼女は見たこともないような嬉しそうなカオで笑って、『ありがとう』って言ったんだ。それなのに、彼女は死んだ」
彼はくしゃり、と顔を歪ませ、惜しげもなく感情をあらわにした。悔しそうな、恨めしそうな、複雑な表情。
しかし、それはすぐに歪な笑みへと変貌を遂げる。
「だから、きっとあの精神科医が変なことを吹きこんだに決まってる。だって、彼女が自殺する素振りなんて一切なかったんだから。ぼくは彼女を殺したあの男を、絶対にゆるさない」
「でも、彼の話では、彼は何も言えなかったらしいが……」
「――ああ、そういえば」
急にトーンが明るくなった声に視線を向けると、彼はまたにこり、と完璧な笑顔を浮かべていた。
「あのとき一緒にいた女ノコは、彼の患者なんだっけ」
「え? ああ、そうだ。あとは、恋人でもある」
「恋人?」
「ああ、色々あって彼女が自殺しかけたんだが――って、あのとき君もいたじゃないか。まあ来るのは遅かったが……とにかく、助かってよかったよ。あの様子なら、きっと上手くいくはずだ。だから、やっぱりぼくは君の復讐をゆるすわけにはいかない」
「そう。恋人、ね」
ぼくの忠告は彼の耳に届いていなかったのか、彼はそうつぶやいてフェンスの外側を向いてしまった。だから、ぼくはそのとき彼がどんな表情をしているのか、わからなかったのだ。
そう、彼が薄い笑みを浮かべていることにも、まったく気付いていなかった。




