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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第三章 その理由じゃ救えない
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10

「昼食、一緒に食べないか」


 この日、初めてわたしから彼に声をかけると、彼は酷く驚いたようなカオをこちらに向けた。心なしか、周りも少しざわついている気がする。何だ、そんなにわたしから彼を昼食に誘うのが珍しいのか。……まあ、確かにその通りなんだけれど。

 彼からは、朝――つまり『あの人』と別れたあと、「おはよう」と声をかけられ、同じく「おはよう」とあいさつを返しただけで、そのあとは会話が続かず、黙々と午前の仕事をこなしていたため、これが本日二回目の会話だった。

 いつもは彼にいちいち確認するように言うなと注意していたけれど、いざ自分から切り出すとなると、結局彼と同じことをしていると気付いて苦笑する。ていうか、早く返事してくれないかな。


「う、うん! 是非!」

「じゃあ、休憩行ってきます」

「い、行ってきまーす!」


 そうして屋上に二人で、しかし無言で向かう途中、自動販売機を見つけた。わたしはポケットから例の五百円玉を取り出し、その前に立ってくるりと振り返った。


「何がいい?」

「え?」

「え? じゃなくて、飲み物だよ。わたしのおごりだ」


 本当は『あの人』からのおごりなのだけれど。


「いいの?」

「ああ」

「じゃあ、リンゴジュースで」


 子供か、と突っ込みたくなったけれど、他人の好みに口出しするほど野暮な性格ではない。わたしはリンゴジュースのボタンを押して出てきたそれを彼に渡し、おつりで自分のコーヒーを買った。そして、再び屋上に向かって歩き出す。

 屋上に着くと、空いているベンチに腰を下ろし、いつものようにおのおので食事を始めた。しかも、やっぱりいつものように無言で。それなのに、今日はその沈黙がやけに気になって仕方なかった。しかし、それでも互いに何か話すわけではなく、刻々と時間だけが過ぎてゆく。

 そして、やはりいつものようにわたしが先に食べ終えたのだが、それに気付いた彼はがっつき始め、見る見るうちに弁当を平らげてしまった。いつもは「よく噛まないとダメだよ」とか言っているくせに、早食いとは珍しい。

 彼の不可解な行動に呆気にとられていると、片付けも終えた彼がばっとこちらを振り向き、勢いよく頭を下げたではないか。


「ごめんなさい! 昨日、君の気持ちも考えずにあんなに問い詰めちゃって……でも、これだけは信じてほしいんだ」


 そう前置きした彼が、ゆっくりと顔を上げる。やがてぱちり、とかち合った目は、真剣そのものだった。


「ぼくは、決して君の存在を否定したいわけじゃないんだ。理由が何であろうと、ううん、明確な理由がなかったとしても、ぼくは君が存在していてくれて嬉しいんだよ。だって、君はぼくの大切な友達だから。それなのに、知ったような口をきいて、君を傷つけて……本当にごめんなさい」


 そうして、彼はもう一度、深々と頭を下げた。わたしには、彼のその姿が小さくも、しかし大きくも見えた。わたしは、こんなにも真摯に自分と向き合ってくれる「友達」に、何を伝えるべきだろうか?


「……いいんだ、顔を上げてくれ。君は悪くない。そもそも、これはわたしが自分で考えなければいけないことで、君には関係ないことなんだから。――だけど、」


 そこで言葉を切ると、こちらの様子をうかがうように彼がゆっくりと頭を上げた。涙をこらえているような複雑なカオを見て、わたしは力のない笑みを浮かべる。


「だけど、わたしは君に存在を否定されたのが哀しかったんだ。もちろん、君にそんなつもりがなかったことはわかっている。でも、昔色々あって、長いこと自分の存在を肯定できずにいたわたしは、ある人のおかげでそれを克服することができた。だから、わたしにとって自分の存在を否定されることは、その人を否定されることと同じなんだよ」


 そうだ、わたしはきっと自分の存在を否定される以上に、『彼女』の存在を否定されることが嫌だったのだ。自分を「いらない子」だと思って、不安定だったわたしの存在を、初めて肯定してくれた『彼女』を。わたしを救ってくれた『彼女』を。

 だから、


「わたしには、君が問うような『生きる意味』なんてないし、そんなものはなくてもいいと思っている。だけど、わたしはこうして生きているんだ。だから、わたしは『あの人』が肯定してくれたわたしを、否定したくない。しいて言うなら、きっとこれがわたしの『生きている意味』だ」


 今まで心の中で思っていたことを口にすると、胸のつかえがすっと消えたように清々しい気持ちになった。そうだ、わたしはきっとそのために生きているのだ。自分の存在を肯定するために。そして、自分を肯定してくれた『彼女』を否定しないために。

 ただ、その生を何のために使うのかは、まだわからないけれど。

 そうつぶやくと、彼は一瞬瞠目したが、すぐに破顔して、


「きっとそれも生きる原動力になるよ。ぼくにできることがあったら、何でも言ってね。全力で協力するからさ」


 とガッツポーズをしながら言った。


(それが何かをさがす、考える、というのも一つの支えになるんじゃないかとぼくは思うんだ)


 どうやら彼は少しずつではあるが、目標である『あの人』に近づいているのかもしれない。

 だけど、


「君に何ができるっていうんだ?」

「えっ、いや、話を聞く、とか?」

「何で疑問形なんだ? 何でもするって言ったくせに、使えないな。ああ、『何でも言ってね』ってことは、『話を聞くだけ』っていうのが前提なのか」

「ぐっ、そ、それはですね……」


 先ほどの頼もしさはどこへ行ったのやら。やっぱり『あの人』と一緒に仕事をするまではまだまだかかりそうだ。早くも言葉に詰まってうつむいてしまった彼に、ため息をつく。


「冗談だよ。ありがとう」

「へ?」

「君もずいぶん言うようになったじゃないか。今回は初めての勝利なんじゃないか?」

「えっ、ホント?」

「まあ、わたしだったら、だけど」

「ううん、それでいいんだよ。今、ぼくは君を助けたかったんだから」


 嫌味のつもりで言ったのだが、彼はそれに気付いていないどころか、笑顔でストレートな言葉を返してきた。わたしはどうしたものか、とほおをぽりぽりとかいていたが、今回はそれを素直に受け取って、「ああ」とだけ答えておいた。

 そういえば、仲直りのきっかけをくれた『あの人』のことを話さなければいけない。きっと彼は鬱陶しいくらいにうらやましがるだろう。だから、そのときは二人であの人のところに行けばいい。そして、心からのお礼を述べよう。「助けてくれてありがとうございました」と。




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