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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第三章 その理由じゃ救えない
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09

「彼が言っていたんです。『自殺志願者には生きる意味が必要だ』って。だから、彼はそれを理解しようとして、自分の生きる意味を考え始めた。そして、参考程度だったんでしょうけれど、わたしの生きる意味を聞いてきた。だから、言ってやったんです。『そんなものはない。あったとしても、見つからなければ意味がない』って。わたしは、生きるためだけに働いていますから」


 だけど、昨日は違った。彼は珍しく食い下がってきたのだ。「意味」なんて意味のないものに、どうしてそんなに必死になれるのだろうか。


「でも、そしたらあなたと同じことを尋ねられたんです。『君は何のために働いているの? どうしてそこまでして生きたいの?』ってね。わたしは自分の存在を否定されたような気持ちになりました」

「すまない。ぼくはそんなつもりでは……」

「わかっています。自分でも、自分の答えが矛盾していることに気付きましたから。それに、何故自分がそこまでして生きているのかわからなかったのも事実です。だけど、」


 だけど、それでもわたしは生きていなければならないのだ。だって、死んでしまったら、自分で自分を否定することになってしまうから。『彼女』が肯定してくれたわたしを、わたしは絶対に否定したくないし、何の意味がなくても、わたしがこうやって生きていることは否定できない。

 そう続けると、また沈黙が訪れた。さすがにこの人でも答えられないことだったか――


「正直、ぼくも『生きる意味』についてはまだ勉強不足で、よくわかっていないんだ」

「そう、ですか」

「でも、」


 力強く放たれた一言に、顔を上げる。わたしは無意識のうちに、彼に期待していた。相棒である彼のように無条件で絶対の信頼を置いているわけではないけれど、その真っ直ぐな瞳には人を惹きつけるものが宿っているようだ。

 ごくり、とのどを鳴らして息を飲む。次の言葉までの時間が、酷く長く感じられた。そして、


「でも、きっと誰にでも自分を支えているものがあるんじゃないだろうか」

「自分を支えているもの?」

「そう。それは日々の小さなこと、例えば母親が作ってくれる毎日の弁当だったり、あるいは、彼みたいにある程度長い目で見た目標だったりするかもしれない。もしくは、生涯の伴侶や信仰者にとっての神のように、一生自分に寄り添うものの場合もあるだろう。それを『生きる意味』と呼ぶか『生きがい』と呼ぶかは人それぞれだし、内容だってさまざまなはずだ」


 確かに、彼の話は抽象的な「生きる意味」よりも具体的でわかりやすいし、説得力がある。

 しかし、それがわたしにあるだろうか、と考えると、やっぱりどうしても思いつかなかった。その思いがカオに出ていたのか、彼はわたしを励ますように先を続けた。


「もちろん、それがわからなかったり、考えることすらしない人もいるだろう。だけど、今はそれでいいんじゃないか? 未来は自分や周りの人次第でどうとでもなるし、それが何かをさがす、考える、というのも一つの支えになるんじゃないかとぼくは思うんだ」


 わたしは、それを単純にヘリクツだと片付けることはできなかった。自分らしくないとは思うけれど、「未来は自分や周りの人次第でどうとでもなる」という言葉に妙に納得してしまったからだ。

 だけど、もしわたしが『彼女』に何かしてあげていれば、その未来も変わったのだろうか。そもそも、わたしに何かできることなどあったのだろうか。

 罪にも似た思いを払拭するために、今度はわたしから口を開く。


「じゃあ、あなたを支えているものは何ですか?」

「ぼくは……そうだな、やっぱり『彼らを助けたい』という気持ちだろうか。もちろん、『彼らが死んだらぼくが哀しい』というエゴが前提にあるのだけれど」

「じゃあ、仕事はやりがいがありそうですね」

「ああ、人の生死に直接関わることだからな。助かれば嬉しいし、死んでしまったら哀しい。だけど、一番嫌なのは『未練』が残ることだ」

「『未練』?」

「そう。自分が関わっていれば何か変わっていたかもしれないという後悔や、助けられなかったという無力さ。そういうものを全部ひっくるめた『未練』を残すのが嫌だから、ぼくはそれを残さないために仕事をしている。ぼくの『未練』も、もちろん自殺を考えている彼らの『未練』もな」


 先ほどは心が広いと思ったけれど、どうやら器も大きいようだ。この人は自殺志願者たちの話をただ聞くだけではなく、その「未練」まで引き受けようとしているのだ。


「ただ、これが自分にしかできないことだとうぬぼれてはいない。ぼくはあくまでぼくのために、自分がしたいからしているだけなんだ。やっぱりぼくはエゴイストなんだよ」


 自虐的に話してはいるが、それで結果的に相手のためになっているのであれば、彼はやはりエゴイストではなく、ただのお人好し、場合によっては「救世主」だろう。ああ、彼が憧れていたのは、こんなにとんでもない人だったのか。


「そろそろいい時間だろう。仕事に行こう」

「はい」


 すっくと立ち上がった彼に返事をして、自分も立ち上がる。振り返ってみれば、長いようで短い、しかし、濃厚な時間だった。

 彼のあとについて屋上の入り口まで行くと、彼は「そうだ」とつぶやいて急に立ち止まり、振り向いた。


「これ」

「え?」


 彼から渡されたのは一枚の五百円玉。しかし、飲み物の代金なら先ほどもらったはずだ。


「昨日の夕方、偶然彼と署内で出くわしてな。友達と喧嘩したって落ちこんでいたんだ」

「、え」

「ぼくのおごりだ。それで飲み物でも買って、彼ともう一度じっくり話すといい」


 にっ、と何かを確信したような笑みを浮かべた彼はきびすと返すと、さっさと階段を下りていってしまった。わたしは慌ててあとを追いかけ、その背中に向かって「ありがとうございます」と叫んだ。彼は驚いたようなカオでこちらを見上げたが、すぐにふ、と笑い、ひらひらと手を数回振って去っていった。

 今日、あの人との出逢いが偶然なのか、仕組まれたものなのかはわからない。だけど、この時間がわたしにとって有意義だったのは確かだ。あとは、自分で何とかするしかない。

 わたしは彼にもらった五百円玉をしっかりと握りしめ、自分の持ち場へと向かった。




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