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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第三章 その理由じゃ救えない
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08

 唐突な質問に、何と答えればいいのか迷う。この人は、彼から聞いていなかったとしても結構有名な人だから(それも、かなりいい意味で)、仕事熱心であることは明らかだ。もちろん、「仕事熱心」であるということと、「仕事がすき」であるということはまた違うのかもしれないけれど、そんな人に対してわたしの汚い本音を言ってもいいのだろうか。


「……正直、楽しくはありません。すきで就いた仕事ではありませんし、生活するお金をもらうために働いているだけですから」


 でも、そうしたところで、この人にわたしをクビにする権限はないし、部署も違うので、この屋上を出ればまったくの他人だ。後腐れもないだろう。少し躊躇ったけれど、わたしはそのような思考に至り、冷静にそう答えた。

 しかし、わたしの多少の不安に反して、彼は特に気にしていないとでも言うように、けろりとした表情でまた口を開いた。


「そうか。確かに、仕事をする理由は人それぞれだから、それでいいと思うぞ。そもそも、ぼくには君の仕事に口出しする権利はないしな」

「はあ」


 だったら何故聞いた、と思いたくなるようなことを言う彼。しかし、


「でも、つまり君は生きるために働いているということだな。じゃあ、君は何のために生きているんだ?」


 ――まただ。また「それ」か。

 どうして誰も彼も、わたしの存在を否定しようとするんだ? そんなに生きる意味が大事なのか? それがなくちゃ、人間は、わたしは生きていてはいけないのか?


「特に目的なんてありません。わたしは、こうやって生きているから生きているだけです。死にたくないから生きているだけ」

「じゃあ、何故死にたくないんだ? 特に生きる目的がないのなら、死ぬという手もあると思うが」


 まるで「死ね」とでも言わんばかりの言い草にかっとなって、手を上げそうになる。だけど、それでは母親と同じだと思い、ぐっとこらえた。

 この人がお人好しだなんてウソだ。こんなの、あの部署のエースどころか、むしろ人を自殺させようとしているのではないか、とさえ思えるような態度だ。この人には、もう何を言ってもムダだ。


「失礼します。もうわたしに構わないでください」

「待て、まだ話は終わっていない」

「わたしからお話しすることはもう何もありません」

「残念だが、ぼくにはある」

「知るか。お前にわたしの人生なんて関係ないだろ」


 掴まれた腕を振りほどきながら、ついついいつもの口調でしゃべってしまったことに気付き、おそるおそる振り向いたが、彼はそれを怒るわけでもなく、またあの真っ直ぐな目でわたしを捉え、


「関係あるさ。ぼくは、君を救いたいんだ」


 とはっきり言い放った。しかし、


「わたしは別に救われたいとは思っていません」

「だろうな。でも、ぼくは嫌なんだ」

「困っている人を助けないと気が済まないなんて、本当にお人好しなんですね。鬱陶しい」

「知っているよ。ぼくはお人好しなんかじゃなくて、ただのエゴイストだからな」

「エゴイスト?」

「そうだ。ぼくは、君が困っているから君を助けたいんじゃない。君が困っているとぼくが嫌だから、君を助けたいんだ」

「……は?」


 意味がわからない。彼が主張した前者と後者には、何の違いがあるというのだ。


「仕事のときだってそうだ。ぼくは誰かが自殺すると自分が哀しくなるから、それが嫌で自殺を止めている。だから、『彼ら』に勝手に関わって、土足で『彼ら』の心に上がりこんで、『彼ら』の気持ちなんてお構いなしに自殺を止めるんだ。『彼ら』にとっては迷惑でしかないだろうな」

「だから、エゴイストだと?」

「ああ。もちろん、話はいくらでも聞くさ。『彼ら』の気持ちをできるだけ理解して、共感することが大切だとわかったからな」


 彼の持論を聞いても、彼がエゴイストだと納得するどころか、むしろ余計にお人好しだとしか思えなくなってきた。赤の他人の事情にいちいち首を突っこんで助けようとするなんて、どう考えてもただのお人好だろう。


「だけど、その気持ちを理解して、共感できたとしても、ぼくは最後には絶対に自殺を止めると決めているんだ」

「……どうして」

「ぼくが『未練』を残したくないからさ。ぼくは、結局自分が哀しまないようにするために、自殺を止めているようなものなんだよ。それはやっぱり、エゴイストでしかないだろう?」


 関わってこられる側からすれば、確かに彼はエゴイストとしか思えないだろう。死なせてほしいのに、放っておいてほしいのに、自分が嫌だから、哀しいからなどという理由で、放っておいてはくれないし、決して死なせてもくれないなんて、迷惑にもほどがある。

 どんどん変わってゆく彼の印象に、わたしは思わず吹き出してしまった。


「あなたは、やっぱりただのお人好しです」


 そう告げれば、彼は眉間にシワを寄せて、苦虫を噛み潰したようなカオで「どうしてそうなるんだ……」と低くつぶやいた。どうやら「お人好し」と評価されるのは、彼にとってはあまり好ましくないらしい。まったく、本当におかしな人だ。

 そう思って、わたしはもう一度ベンチに腰を下ろし、深く頭を下げた。


「先ほどは暴言を吐いてしまい、本当にすみませんでした」

「いや、こちらこそ無神経なことを言ってすまなかった。頭を上げてくれ」


 そうは言われたものの、様子をうかがうようにしておずおずと頭を上げれば、目が合った彼は穏やかな笑みを見せてくれた。きっとこの人は心が広いのだろう。やっぱりすごい人なんだな、と見直した。

 そして、しばしの沈黙のあと、先に口を開いたのは、わたしだった。


「あなたには、生きる意味ってありますか」




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