05
彼の質問の意味がわからない。今のわたしの返答の中に、「どうして?」と問われるような部分があっただろうか。
訝しむように眉間にシワを寄せて彼を見つめれば、彼はそれを察したのか、自分から口を開いた。
「えっとね、だから、君は今、生活するために仕事をしてるって言ったよね」
「ああ。何かおかしいか?」
「それってつまり、生きるために仕事をしてる、ってことだよね?」
「当たり前だ。給料がなければ生活できない。そのためにわたしは働いているんだ。人間はみんなそうだろう?」
ついに当たり前のこともわからなくなったのか、と呆れながらため息をつく。
この国には勤労の義務がある。たとえそれが世のため人のために働いている人だろうと、機械的に働いている人だろうと、給料をもらわない人はいないだろう。そうしなければ、同じく国民の義務である納税ができないし、何より、自分や家族が暮らしていけないからだ。
だから、わたしは当然のことを答えたまでなのに、彼は何がそこまで気にかかっているのだろうか。
「じゃあ、ごめん。気を悪くしないで聞いてほしいんだけど……」
「何」
「悪気はないんだ。本当に、君の話を聞いてふと思っただけで……」
「あーもう、相変わらず鬱陶しいな。気を悪くするかどうかなんて、聞いてみなけりゃわからないだろうが」
「うぐ、ごもっとも」
わたしに厳しく指摘されて、しゅんと縮こまってしまった彼。酷いようだが、やはり彼はこうでなくては面白くない。別に彼を見下しているわけではないけれど、このほうがからかいがいがあるし、口では彼に負けたくないという変なプライドもあった。
しかし、いつまでもしょぼくれられていては話が進まないので、わたしははあ、とため息をつき、彼の話を促すことにした。
「で、何。怒るか怒らないかは別として、とりあえず話は聞くから」
「えっ、怒るの?」
「細かいことはいいんだよ。ほら、早く」
「うう……じゃあ……」
消え入るような声でつぶやいたかと思うと、彼は一度正面を向いて深呼吸をしてから、再度こちらを向いた。そのカオは、先ほどのようにまた真剣さを帯びていて、わたしも自然と背筋が伸びる。
「じゃあ、君はどうしてそこまでして生きているの?」
「、え?」
一瞬、ほんの一瞬だけど、思考が停止して頭が真っ白になった。何だ、こいつはわたしに死ねとでも言いたいのか?
「あの、本当に悪気はないし、君を責めているわけじゃないんだよ? もちろん、ぼく自身が君の存在に疑問を感じているわけでもないんだ。だって、君は大切な友達だし」
彼の焦ったような言い訳の仕方からして、おそらくその言葉はウソではないのだろう。というか、彼がウソをつけるほど器用な性格ではないということを、わたしはよく知っている。友達だからこそ、少し誤解を招くようなきつい言い方をしても、腹を割って話したいと思っているのかもしれない。
だけど、わたしにはやっぱりその質問の意味がわからなかった。わたしは呆然として何も言えなかったが、幸か不幸かそれが顔に出ていないらしく、それに気付かないらしい彼は続きを口にし始めた。
「えっと、だからね、ぼくが言いたいのは……君は生きるために仕事をしているわけだから、言わば『生きる』ってことが『生きる意味』になってるってことだよね。うーん、自分で言っておいてややこしいけど、とにかく、『生きる』ってことが君の一番の目標だってことでいいのかな?」
そこまで深く考えたことはなかったが、彼の話を聞いて、確かにそう言うことができるかもしれないと思った。ただ、何となく癪だったから、今度は不機嫌さを全面に出し、しかめっ面で「ああ」とうなずいてやったけれど。
「でもさ、そうすると、君は『生きるために生きている』ってことになるよね。ぼくは、それにすごく違和感を覚えたんだ。悪い言い方をすれば、君はその心臓が止まるまで、心臓の世話をするために、心臓を殺さないようにしてるってことでしょ? ただ心臓一つのためだけに――って、これがなくちゃ生きることすらできないんだけど、でも、そのためだけに生きているなんて、何だかむなしいと思わない? 君は、何のためにその心臓を生かし続けているの?」
「……知るか。そんなふうに考えたことはない。わたしは生きているから生きている。ただ、それだけだ」
「でも、そんな人生じゃ楽しくないよ。それじゃあ、君が言った『毎日が楽しければ、生きる意味がなくてもいい』ってことにも当てはまらないし」
「知らない。考えたくない。わたしは、ここに存在して、生きている。だから、生きているんだ。それ以外の理由なんて、何もない」
「でも……」
「じゃあ、何だ。君までわたしの存在を否定するっていうのか!」
しつこく食い下がろうとする彼を振り払い、勢いよく立ち上がれば、ぽたり、と地面に黒いシミができた。
――情けない。わたしは泣いているのか。『あの日』以来、泣いたことなんて一度もなかったのに。
「ご、ごめん。ぼく、そんなつもりじゃ……」
「生きているから生きている。それじゃあダメなのか? 明確な『生きる意味』がなければ、生きていてはいけないのか? わたしは、わたしは……」
(あんたなんか、生まれてこなければよかったのに)
「わたしは、生まれてこなければよかったのか……?」
堰を切ったようにあふれる涙は、どうやらわたしの心の中の枷まで破ってしまったようだ。自制心が利かない。消し去りたい記憶もよみがえる。わたしは、どうすればいい?
「あっ、君……!」
くるりときびすを返して屋上の入り口に早足で向かうと、彼に呼び止められ、ついそれに反応してピタリと足を止めてしまう。
しかし、わたしは彼がこちらに来る前に、
「今日は帰る。適当な理由をつけて、早退しましたって課長に言っておいてくれ」
と鼻声で頼み、その場をあとにした。おせっかいな彼はまたいつものように追いかけてくるかと思ったけれど、そんな気配はなく、階段にはわたしの足音だけが響いていたのだった。




