02
「あのさ、生きる意味ってあるのかな」
「ないんじゃないか」
「えっ、即答? もうちょっと考えてみてよぉ」
「鬱陶しいな。ないものはないんだよ」
「ええー?」
眉を下げて泣きそうなカオで懇願しながらも、わたしにまったくの興味がないと悟ったのか、先ほどから熱心に読んでいた本に再び視線を落とす彼。ちらり、と見えた本のタイトルには「生きる意味」という単語が入っていた。まったく、何てわかりやすいんだ。
彼は、とある部署のエースみたいな人に憧れてこの職場に入ったのだが、配属されたのはまったく違う部署だった。しかし、異動願いは毎年出しているらしく、いつ異動してもいいように、その部署での仕事の練習をしているのだ。
その仕事とは――
「だって、ここに書いてあるんだもん。自殺の予防には『生きる意味』を考えるのが一つの手だ、って」
「……知るか」
その部署の主な仕事とは、自殺に関する案件の処理だった。簡単に言えば、自殺志願者の相談を受けたり、実際に実行しようとしているのを止めたり、そのアフターケアをしたりするという、少し珍しい内容だ。だから、彼はわたしを「彼ら」に見立てて説得の練習をしたり、自殺に関する本を読んで勉強したりしているのだ。
それにしても、「生きる意味」ね。
「生きる意味なんてないよ」
「でも、それで死んじゃう人もいるんだよ?」
「知るか。ないものはないんだよ」
「今日はいつもにまして冷たくない? どうしてそう思うの?」
いつもにまして、ということは、普段もある程度冷たいと思われている、ということだろうか。確かにそういう自覚はあるけれど、他人に指摘されるとそれなりにイラッとくるものがある。
そういう意味をこめて、じとり、と彼をにらみつければ、彼はびくっと肩を震わせたが、何故にらみつけられたのかはわかっていないようだった。まあ、彼は鈍いから仕方ない。自然と悪口を言っているという自覚がないのだ。
そう思って一つため息をつき、わたしは彼の質問に答えることにした。
「生きる意味は、なくはないと思う。それが何かは人それぞれだし、あるからその本にも書いてあるんだろ」
「え、だったら」
「でも、それに何の意味があるんだ?」
「……うん? ごめん、よくわからないんだけど」
少しの間を置いて、かくん、と首をかしげ、少し申し訳なさそうなカオでそう尋ねてきた彼にもう一度ため息をつき、わたしははっきりとこう答えた。
「だから、生きる意味があることに、何の意味があるんだ?」
もし、わたしが誰かに「生きる意味はあるか」と聞かれたら、「ない」と即答するだろう。もちろんそれはわたしの場合であって、それがある人もいるに違いない。でも、つまりそれは、生きる意味なんてなくても生きていける、ということだ。そして、それが事実であり現実でもある。
だから、生きる意味があってもなくても同じなのだ。たとえ生きる意味があったとしても、それはただの慰めであって、そこに意味なんてない。自殺志願者たちはその慰めを求めているのかもしれないけれど、そうやって結局人間は生きているから生きていて、これからも生きていく。ただ、それだけなのだ。
「で、でもほら、それがあったほうが何か安心しない?」
「君はそうなのか?」
「うっ、いや……実を言うと、ぼくは生きる意味とか今まで考えたことがなかったから、よくわからないんだ」
「ほらみろ」
「で、でも、自分の存在そのものが危うくなっちゃうんだよ? 自分に生きてる意味がないなら、死ぬしかないって」
「バカだな、生きる意味なんてなくても、それまで生きてきたんだろ。それなら、そのまま生きていけばいいじゃないか」
「でも、答えがないと不安にならない?」
「じゃあ、そんなものの存在に気付いた時点でそいつは負けなんだよ。それに――」
「それに?」
そこで口をつぐんだわたしを、不思議そうな目で見つめる彼。彼はどこまでも単純で、どこまでも純粋だ。わたしは、そんなふうにはなれない。
「それに、そんなものをさがしたって、見つからなきゃ意味がないじゃないか」
確かに、生きる意味はあるのかもしれない。わたしにはないからといって、他人にもないとは限らないし、その意見を押しつける気もない。
だけど、あったとしても、それが何かわからなければ意味がないのではないだろうか。彼が言うように、答えが見つからなくて死んでしまう人もいるのだから、答えは必須だろう。
でも、そんなものは最初からないと思っていれば、思い煩う必要はない。なくてもいいのなら、さがさなくてもいい。そもそも、ないものをさがそうとするほうがおかしいのだ。
ないものに希望を抱いて、さがして、見つからなくて、絶望して――そして、死ぬ。くだらない。ないものはないんだよ。自分の存在くらい、自分で肯定してみせろ。
(わたしは、すきだよ)
あのときのわたしを肯定していたのは、間違いなく『あの人』だ。だけど、もう『あの人』はいない。
それでも、わたしはこうやって生きている。それはきっと、『あの人』がわたしのことを肯定してくれたおかげで、わたしが自分で自分を肯定できたからだ。結局、人間は自分で自分を支え、独りで生きているのだ。
「生きる意味、かあ」
納得がいかない、いや、それこそ答えが見つからないとでもいうようなうつろな目で彼はつぶやき、また静かに本を読み出したのだった。




