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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第三章 その理由じゃ救えない
22/44

01

「死ぬのはよくない、よ」

「へえ、何で?」

「そ、それは……」


 重い言葉を軽く受け流せば、彼はそこで、ぐ、と黙りこんでしまった。


「お説教はもう終わりかい? つまらないなあ」


 こちらの呆れたような言葉に反応して、ぎゅ、と固く握られた彼の拳。その唇もきゅ、と真一文字に結ばれて、さぞかし悔しいんだろうな、ということが容易に想像できた。ああ、まったく、本当につまらない。

 すっかり口を閉ざしてしまった彼にため息をつき、わたしはくるりと前を向いた。目の前に広がるのは、青い空。足元には、喧騒な街並み。とある建物の屋上に立っているわたしと、それらを遮るものは何もない。

 つまり、わたしはフェンスを越えたところに立っていて、要するにこれから自殺しようとしている――わけではなかった。


「はい、これでわたしは三回死んだ。いや、君が三人殺したんだ。こんな状態じゃあ、『あの部署』に行くのは無理だね」

「む、ムリじゃないもん! ぼくは絶対『あの部署』に行って『あの人』と仕事するんだ!」


 勢いよく顔を上げた彼が、まくし立てるように叫ぶ。へこんでいるかと思って少し心配していたけれど、元気そうで何よりだ。

 さて、その彼が言っている『あの部署』というのは、自殺の案件ばかりを扱うちょっと特殊な部署のことであり、『あの人』というのは、その課のエースみたいな人のことだ。仕事熱心で、とにかくお人好しな性格だと風のウワサで聞いたことがある。

 わたしは直接会ったことがないので、その真偽はわからないけれど、彼は昔その人に助けられたことがあるらしく(別に自殺しようとしていたわけではないらしいので、専門外のことにも首を突っ込むその人は、やはりお人好しなのかもしれない)、以来その人に憧れて入庁し、その人と一緒に仕事することを目標としているらしいが、現在、彼が同僚であるわたしといるのはまったく別の部署だった。

 それでも、彼はめげずにその課への配属を目指して頑張っている。――そう、こうやってわたしを練習台にして。


「あのさあ、君、本当に自殺を止める気ある?」

「あるよ! あるに決まってるじゃん!」

「今まで全敗しているのに?」

「うっ」

「成長しなさすぎじゃない?」

「ううっ」


 フェンスの内側に入りながら責めるように突っ込めば、彼は頭を抱えてうなだれてしまった。

 「全敗」と言っても、もちろんわたしとの練習で、の話だが、それにしたって酷い成績だろう。練習でできないことが本番でできるわけがない、って誰かが言ってたっけ。別の言い方をするなら、彼が今の状態で『あの部署』に行こうものならば、何人もの自殺志願者をそのまま死なせてしまいかねないということだ。どっちにしろ、結果は悲惨である。

 だからこそ、こうやって練習しているのだが、それにしたって進歩がなさすぎる。現状を憂えたわたしがもう一度ため息をつくと、小さくなっていた彼の肩がびくっと震え、おずおずと上目遣いでこちらを見てきた。


「……でも、頑張らないと『あの人』に追いつけないし」


 ああもう、ムカつくな。


「あのさ、君は『あの人』と仕事がしたいから練習するの?」

「そ、そうだよ」

「そうだよね。それが一つの原動力になっているんだし、君の努力は一番近くで見てきたわたしが認めるよ。でもね、」


 カツカツと早足で彼に近づき、その胸ぐらをぐいっと掴めば、殴られるとでも思ったのか、彼は焦ったように目を閉じた。


「その理由じゃ人は救えない」


 その鋭い言葉に、はっと目を見開いた彼。わたしはその目をしっかりと見据え、先を続けた。


「今の君は、あの課に行ってあの人と仕事をしたいから、仕方なく自殺を止めてるんだ、って言っているのと同じだよ」


 自殺したいと思っている本人を見ていなければ、絶対にその人を助けることなんてできないんだ。

 そうして手を放してやれば、解放された彼の目の色が変わった。これで少しは進歩してくれるだろうか?


「――もう一回、チャンスをくれないかな」

「ああ、もちろん。止められるまでやればいいさ。どうせわたしは死なないんだから」

「ううん。今度は君が本当に死んじゃうと思ってやるよ。これで止められなかったら、ぼくも死ぬ」


 きっ、と射抜くように向けられた瞳は、今まで一番真剣なものだった。わたしは、大げさだな、とつぶやいて苦笑し、また練習台になるべくきびすを返した。

 フェンスを乗り越えている間、彼はどうやって自殺を止めようかと、うんうんうなりながら考えているようだったが、もしわたしが今、本当に自殺しようと考えているならば、さっきの一言で十分だっただろうと思う。相手に自分の命を懸ける覚悟があるならば、きっと多くの人は少し怯み、そこから話を広げることができるはずだ。何故なら、自分が死んだら相手も死んでしまうということに、少なからず良心の呵責を感じるだろうから。

 まあ、今から死のうとしている人間に周りが見えているかどうかは怪しいけれど、それなりに効果はあるだろう。たった数分の間にここまで進歩するとは、まったく大した男だ。

 そうして、わたしは青い空と街の喧騒の境界に立ち、手を広げた。


「ねえ、わたしは今から死のうと思っているんだけど」


 さあ、君はどうやってわたしを救ってくれる?




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