間奏Ⅱ
「ねえ、先生。罪は裁くものかな、それとも、ゆるすものなのかな」
いつもと変わらない明るいトーンで尋ねられたのは、その声とは対照的に、暗く、重い質問だった。しかも、「罪」という言葉にドキリとして、いつかのようにまたコップを落としそうになってしまったが、今回は間一髪で避けることができた。
ぼくは、彼女に気付かれないように小さく息を吐いてから、口を開いた。
「罪は、償うものじゃないでしょうか」
意地悪をしたわけではないけれど、選択肢にはなかった答えを述べる。その切り返しに彼女は瞠目したが、あごに指を当てたかと思うと、すぐに次の言葉を紡いだ。
「なるほど。確かにそういう考えもあるかもね。でも、わたしが聞いたのは、罪を犯した人のほうじゃなくて、その周りの人たちがどうするかってこと」
ああ、そっちか。どうしても「罪」と言われると、罪を犯した人間のほうを想像してしまう。だって、ぼく自身が罪人なのだから。
『彼女』――目の前にいる少女ではなく、数年前にぼくが初めて診察し、そして、数日後に死んでしまった、いや、ぼくが殺してしまった人物――を救えなかったという罪が消えることは一生ないだろう。それに、
(ぼくは絶対に君をゆるさない)
『彼女』が死んだあとに言われたそのセリフを、ぼくは忘れはしない。いや、忘れてはいけないのだ。それは『彼女』を救えなかったことに対する当然の罰だと思っている。だから、
「罪は、裁くものだと思います」
「どうして?」
「罪を犯した人間は裁判で裁かれて、罪を償わなければならないでしょう?」
「うーん、でも、それだと法律上の罪に限られちゃうんじゃないの? 罪には法律上の罪と、道徳的な罪と、宗教的な罪があるって聞いたことがあるよ」
確かにぼくもそういう分類は聞いたことがあるし、ぼくの罪はまさに後者二つに当てはまるのだろう。ぼくが『彼女』に直接手を下したわけではないけれど、ぼくの言葉が、ぼくの態度が、『彼女』を死に向かわせたのだ。
だけど、
「それでもやっぱり、罪は裁くものだと思います」
「どうして?」
「だって、法律で罪に問えないということは、たとえば間接的な殺人を罪だと思わない人がいるかもしれないってことじゃないですか。そういう人をゆるしてもいいのでしょうか」
「でも、裁くのは裁判官にしかできないんじゃない?」
「いいえ、いますよ。どんな罪も、どんな人間も裁ける存在が」
「え?」
ぼくはきっと記憶の中の『誰か』と『もう一人』によって裁かれているのだ。こんなことを言ったら、目の前できょとんとしている少女は笑うだろうか。
「神様、ですよ」
そう、神様はきっとどんな人間をも見守り、どんな人間の中にもいるのだ。そして常に人間を見張り、その罪を裁いているに違いない。
そんなことを考えていると、くすくすという笑い声が聞こえてきた。
「何か意外だな、先生が神様を信じてるなんて」
「ああ、いえ、クリスチャンではないので、信仰しているわけではないですよ。ただ漠然と、存在はしているんじゃないかな、と思っている程度です」
「そうなの? でも、わたしも神様っていると思うよ。だって、わたしの神様は先生だもん」
「え?」
彼女の意外すぎる言葉に、今度はぼくが目を丸くする番だった。そんなぼくを見て、彼女はにぱっ、と無邪気な笑みを浮かべる。
「だって、先生はわたしを助けてくれたでしょう?」
彼女の言葉に嘘偽りがないことは、その純粋な目を見れば明らかだった。けれど、ぼくはそれを素直に受け取ることはできない。彼女が救われたのは彼女自身の力であって、ぼくは何もしていないのだから。むしろ救われたのはぼくのほうだったのではないか、と思うくらいだ。
それに、神様は決して罪人ではないし、裁かれもしない。神はまったく正しく、善であり、人を裁き、罰を課す存在なのだ。ぼくはただの罪人で、裁かれる側の、愚かな人間に過ぎない。
そう思ったら、ぼくはにこにこと笑う彼女に対して、困ったような笑みを返すことしかできなかった。
「ぼくは神様なんかじゃありませんよ」
「えー? じゃあ救世主?」
「神もキリストも同じようなものです」
「んー、じゃあね――あ、そっか。先生はきっとわたしのヒーローなんだよ!」
少女はきらきらと目を輝かせてそう言った。
ヒーロー? 英雄? ぼくがそんな偉大で崇高な存在であるはずがない。ぼくはただの、
「……気持ちだけ受け取っておきます」
「ええー?」
ぼくはただの、人殺しなのだから。




