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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第二章 生きる意味は君と一緒に
19/44

09

「……誰?」


 彼を見た彼女の第一声は、至極正しい感想だろう。彼女からすれば、彼は見知らぬ赤の他人でしかない。

 しかし、ぼくのトナリまで来た彼は、そんなことは気にしないというように、毅然とした態度で口を開いた。


「ぼくは、彼の大学時代の友人だ。自殺に関する案件を扱う部署で、刑事をやっている。ぼくは君を止めにきたんだ」

「先生、いい友達がいるんだね。でも、関係ない人にわたしは止められないよ」


 対する彼女も一歩も引いていないようだ。しかし、彼も彼女に踏みこむことをやめなかった。


「実はあそこで話を聞いていたんだが、君は『先生が、先生が』と言うだけで、自分の気持ちをあまり主張していないように思う。君が言うように、人が『生きる意味』になることもあると思うが、すべてを相手に任せてしまうのは違うんじゃないだろうか」


 彼女が今すぐにでも飛び降りてしまうのではないかと思うほど、鋭い指摘が飛ぶ。学生時代から、正確な状況把握と冷静な考察は変わっていないようだ。そして、それを正直に相手に伝える性格も。

 悠長にそんなことを考えていると、くるり、と彼がこちらに顔を向けた。


「君もそうだ。相手のためなら何をしたっていいわけじゃない。彼女を救いたいと思うのは当然だが、だからこそ、彼女は追いつめられているんじゃないのか? 君を責めるつもりはないし、何も知らないぼくにそんな権利はない。だが、『誰かのために』は、時にただの言い訳になるんだ」


 容赦のない指摘が、ぼくにも深く突き刺さる。だけど、それについてはぼくにも言い分があった。彼はただの傍観者だから、そんなことが言えるのだ。


「じゃあ、どうするのが正解だったと言うんです? ぼくは彼女の『生きる意味』になるのを断るべきだったんですか?」

「そうじゃない。君は彼女のためを思ってしたことだったんだろうが、それは本当に『彼女のため』だったのか? 君は、自分のせいで彼女を死なせてしまうことが嫌なだけだったんじゃないのか?」


 図星、だった。彼は傍観者だからこそ、冷静にこの場を客観視することができるのだ。それはきっと悪いことではないし、この場では必要なことなのかもしれない。だけど、


「そうですよ、悪いですか? ぼくはもう、誰も死なせたくないんです」

「そうか。だけど、それで君も彼女も傷ついた。だから、きっとそれは最善の策じゃないんだ」

「最善の、策……」

「相手を思いやるのも大切だが、自分の気持ちも大切だとぼくは思うぞ。まあ、それはぼくがエゴイストだからかもしれないが……とにかく、本音を聞こう。君はどうしたいんだ?」

「ぼく、は……」


 真っ直ぐな瞳がぼくを射抜く。その瞳が、いつかの『彼女』と重なった。

 あのとき、ぼくは『彼女』に何も言えなくて死なせてしまったけれど、今、ぼくの数メートル先にいる彼女はまだ生きている。今さら何を言っても、もしかしたら死んでしまうかもしれない。だけど、それでも彼女はまだ生きているんだ。――ならば、ぼくは。

 彼から目をそらし、フェンスの向こうにいる彼女を見つめる。


「ぼくは、あなたを救いたいです。今までが間違っているというのなら、これから最善の策をさがしましょう。――一緒に」


 そうだ、ぼくはそうやって彼女に寄りそって生きていくと決めたではないか。すべてが正しい人間なんていない。間違いも、時には罪を犯すこともあるだろう。だけど、一緒に歩む中で成長していけばいい。そうして、ぼくは彼女を救うのだ。

 それを聞いた彼女の瞳がわずかに揺れる。しかし、彼女は頑なに首を横に振った。


「わたしだって、本当は死にたくないよ。これからも先生と一緒に生きていたい。わたしは、本当に先生のことがすきなんだもん」

「だったら……」

「でも、この想いは先生の重荷にしかならないし、先生がいなくなったときに、自分に何もなくなっちゃうのがこわいの。一度手に入れた『生きる意味』を失うのは、嫌だよ。だったら、わたしが先に死ぬしかないでしょう?」


 はらはらとあふれる涙が彼女のほおを濡らす。彼女は、本当にぼくのことを想ってくれているのだ。

 ――じゃあ、ぼくは? ぼくは彼女のことをどう思っているのだろうか。患者だとか、同情だとか、そんな建前は抜きにして、一人の女性として、人間として、ぼくは彼女のことをどう思っているのだろう?


「――っ」

「先生、何やって……」

「おい君、危ないぞ!」


 その疑問の答えを口にするより先に、ぼくの身体は勝手に動き、高いフェンスによじ登り始めていた。日頃の運動不足がたたったせいか、おぼつかない足取りが情けない。下手したら、自分が落ちてしまうんじゃないかと思ったけれど、そこは踏ん張ってこらえた。ぼくは死ねない。彼女を助けるまで、絶対に。

 二人の不安そうな声を受けつつ、どうにかフェンスを登り下りし、彼女の目の前に立つことができた。ぼくと彼女を遮るものは、もう何もない。しかし、ちらり、と横目で足元を確認すれば、下界はすぐそこに見えて足がすくみ、腰が抜けそうになる。

 それでも、こうして立っていられるのは、誰でもない、彼女のおかげだ。だから、ぼくは彼女に向かって精一杯笑ってみせた。


「じゃあ、一緒に死にませんか?」




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