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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第二章 生きる意味は君と一緒に
15/44

05

「あっ、先生! おはよう!」

「おはようございます。すみません、お待たせしてしまいましたね」

「ううん、わたしもさっき来たばかりだから気にしないで。それより――」

「はい?」


 そう言いかけて、ぼくの頭のてっぺんからつま先まで、舐め回すようにじっくりと視線を這わせる彼女。やがて、再度ぼくと目を合わせたかと思うと、にこり、と満足そうな笑みを浮かべた。


「ふふ、白衣で来なかったんだね」

「その案はこの前笑われてしまいましたからね」

「あれ、もしかして根に持ってるの?」

「持っていませんよ。ぼくにも常識と記憶力くらいあります」

「えへへ、ごめんなさい」


 たしなめるように言えば、彼女はかわいらしく舌を出し、頭をかいた。

 しかし、それよりも、だ。


「あなたも私服ですが、制服ではなくてよかったのですか?」


 そう、ぼくの目の前にいる少女は、診察のときにいつも着ている学校の制服ではなく、見慣れない私服を身にまとっていたのだ。そもそも、このデートの発端は、彼女が制服デートに憧れて、ということだったと記憶している。

 すると、彼女はまたにこりと笑い、


「だって、私服と制服じゃ変な感じでしょ? それに、先生はわたしの制服姿なんて見飽きてるんじゃないかなと思って、たまには私服にしてみました」


 と言うと、くるりと一回転し、


「どう? かわいい?」


 と尋ねてきた。上目遣いに思わずドキリとしたのは内緒だ。


「ええ、とてもよく似合っていますよ」

「ホント?」

「もちろん」

「ふふ、ありがと。じゃあ、行こっか!」

「はい」


 ぐい、と腕を引かれ、されるがままに街を歩いてゆく。行き先は、彼女がすきだという水族館で、そこにたどり着くまでに色んな話をした。思えば、彼女とこんなに続けて長く話したのは初めてかもしれない。診察でも色々なことを話すけれど、時間が決まっているからだ。


「そうだ、先生、水族館で『おいしそう』は禁止だからね」

「はい」

「言うなら心の中で!」

「心の中でならいいんですか?」

「だって、わたしもマグロとか見たらおいしそうって思っちゃうもん」

「おやおや。では、了解しました」


 そんな会話をしながらチケットを買って水族館の中に入り、とても楽しい時間を過ごした。ぼくは今まで恋人がいたことがなく、インドア派であまり出かけることもなかったせいか、とても新鮮だった。水族館なんて、何年ぶりだろう。もしかしたら、彼女以上に楽しんでいたかもしれない。

 でも、もちろん彼女もとても楽しそうだった。聞けば、彼女は生きる意味を考え始めたあたりから人付き合いが減り、誰かとどこかに行くのは久しぶりだったらしい。ぼくたちは子供のようにはしゃぎ、閉館時間ギリギリになってからようやく外に出たのだった。


「あー、楽しかった! イルカ、かわいかったね」

「ええ、あとはマグロもなかなか……かっこよかったです」

「ふふっ、もう水族館は出たから『おいしそう』は解禁でもいいんじゃない?」

「そうですか? でもまあ、かっこよかったのも確かです」

「うん、そうだね」


 冬の薄暗い帰路の中、彼女は行きと同じようにしゃべりっぱなしで、よく話が尽きないな、とその話術に感心する。そして、気付けば昼に待ち合わせた場所まで戻ってきていた。


「先生、今日は付き合ってくれてありがとう。すごく楽しかったよ」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとうございました。ぼくもとても楽しかったです」

「あのね、先生にお礼があるの」

「え、そんなの悪いですよ」

「いいから、ちょっとそこに座って目をつぶってくれる?」

「は、はい」


 突然のことに驚きつつも、言われたとおりベンチに腰をかけ、目を閉じる。何をくれるのかな、と少し邪な気持ちで待っていた次の瞬間、ふわり、とあたたかな感触が右のほおに当たった。――これ、は。

 勝手ながらゆるりと目を開けると、ほおを赤く染めてはにかんでいる彼女が視界に映る。


「へへ、驚いた? 口にしようと思ったんだけど、やっぱり恥ずかしいからほっぺにしちゃった」

「え、と……」


 初めてのことに戸惑い、呆然と彼女を見上げていると、彼女は珍しく眉を下げて、困ったように微笑んだ。これは確か、生きる意味なんてなくても生きていられると言ったときと同じような微笑みだ。


「あのね、わたし、先生のことがすきだよ。異性としてね」

「え」

「別に恋人になってほしいわけじゃないの。もちろん、そうなったらいいなとは思うけど、先生にとってわたしは患者の一人でしかないってことも十分わかってるし」

「そんな、ことは……」

「だから、いいの。先生には迷惑かもしれないけど、勝手に先生のことをすきでいるから」


 静かに言葉を紡ぐ彼女は、気丈に振舞っているように見えた。ぼくが彼女を支えなくてはいけないはずなのに、どうしてぼくのほうが気を遣われているのだろうか。

 こんなのダメだ。ぼくは彼女と一緒に歩んでいくと決めたではないか。もう二度と『彼女』のような悲劇を起こさないために。だから、


「ありがとうございます。あの、こんなぼくでよければ、お付き合い、しませんか?」

「え?」


 ぼくは彼女を救いたい。だから、自ら「当事者」になろう。今度は逃げたりしない。絶対に彼女を救ってみせるのだ。




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