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エゴと未練の贖罪  作者: 久遠夏目
第一章 ぼくの中のエゴと偽善
1/44

01

 あるエゴイストは言った。


「ぼくは、ぼくのために自殺を止める」


 ある復讐者は言った。


「ぼくは、未練を残して死ぬ人間が大嫌いなんだ」


 ある罪人は言った。


「ぼくは、裁かれるべき愚かな人間なんですよ」


 誰かのエゴと、誰かの未練、そして誰かの罪が交錯するとき、

 そこに、救いはあるのだろうか。


       * * *


 今日も一人、人が死んだ。ぼくたちが見ている前で彼女は嗤い、何の躊躇いもなく空へ飛んだ。

 ――否、地面へ墜ちた。どうして、そんな嗤いながら、


「大丈夫?」


 はい、と差し出されたコーヒーを受け取り、そのまま口に含むと苦い味が広がった。まるで今のぼくの心境のようだ。


「大丈夫、なわけないよね。君は真面目だからなあ」


 うんうん、と一人で納得したようにうなずく彼は、ぼくの相棒で、ぼくとは正反対の性格をしている。不真面目だと言いたいわけではないが、真面目だと評価することも確かにできないだろうと思う。


「どうして笑って死ねるんだ? ぼくには理解できない」

「今回の人は、よっぽど世界が嫌いだったんだろうね」

「でも、あの人が死んだところで、世界は何も変わらない」

「別に世界が変わる必要はないよ。自分がこの世界から逃げ出せればいいんだから。君も嫌なことからは逃げたくなるだろう?」

「それは、そうだが……」


 この世界が嫌いだから死んで、それで逃げたことになるのだろうか。それで、救われるのだろうか。

 ああ、彼女はこの世界が嫌いだから、逃げるために死んで、救われたんじゃないか。

 ――本当に?


「君は、どうして自殺する人間が遺書を残すのか、わかる?」


 彼からの突然の質問に戸惑いながらも、ぼくはその答えを考える。


「残された人への想いを伝えるため、だろうか」

「うん、それもあるだろうね。でも、ぼくはそれもひっくるめて『未練』があるからだと思うんだ」

「未練?」

「そう」


 にこ、と暗い話題にそぐわぬ明るい笑みを浮かべた彼は、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「たとえば、飛び降りのときに靴を脱いで自殺する人がいるだろう? あれは『私はここから飛び降りました』っていう明確な証拠だよね。つまりさ、『私がここから飛び降りた』っていうことを、誰かに憶えていてほしいんだよ。これが『未練』さ。そしたら遺書なんて、もっとはっきりとした『未練』だと思わないかい?」

「でも、今回の人は靴も履いていたし、遺書もなかった」

「でも、彼女はぼくらの目の前で飛び降りた。そうすることで、君には『未練』が残っただろう? 『未練』は自殺する側だけのものじゃないんだよ」


 そう言って、彼は自分のコーヒーを口に運んだ。

 確かに、彼女がぼくらの目の前で飛び降りたことによって、ぼくには「助けられなかった」という「未練」が残った。後味が悪いというレベルではない。


「だいたい、自殺自体が『未練』そのものだと思わない?」


 カコン、彼が投げたコーヒーの缶は壁に当たり、見事にゴミ箱の中に吸いこまれていく。


「自殺は大抵死体が見つかる。事後処理をする人がいないからね。見つかった遺体はいつか身元がわかり、家族に知らされる。そして、家族には『未練』が残る」


 忌々しげな表情で吐き捨てた彼。それはつまり――


「本当に死にたいなら、誰にも迷惑がかからないように死ぬべきだと思わないかい?」


 にこり、彼はキレイに笑ったが、そこには明確な嫌悪があった。

 誰にも迷惑のかからない、「未練」の残らない自殺。確かにそれは「真の自殺」なのかもしれない。

 だけど、果たしてそれは本当に可能だろうか? 仮に可能だとしても、哀しくはないだろうか? それは、その人の存在をもなかったものとして、否定してしまうのではないだろうか?

 誰にも知られず、ひっそりと死んでゆく――そんなのは不可能だ。それなら、


「ぼくが『未練』を引き受ける」


 ぼくがつぶやいた言葉に、彼は驚いたカオをしていたが、すぐに苦笑を浮かべた。


「本当に君はお人好し――いや、『偽善者』とでも言うべきかな?」

「何とでも言えばいいさ。ぼくにはこれくらいしかできない」


 人間は無力で、他人にしてあげられることなんてほとんどない。みんな自分のことで精一杯なんだ。


「――ああ、そうか」

「何?」


 結局、ぼくも自分のことで精一杯なんだ。自分が死ぬときに独りなのは嫌だから、誰かに憶えていてほしいし、誰かに「未練」を伝えたい。自分が忘れられるのは嫌だから、ほかの人もそうだろうと、勝手に思っているんだ。だから、ぼくはやっぱり偽善者なんかじゃない。ただのエゴイストだ。

 そう思ったら、胸のもやもやがすっと消えて、何だか自然と笑みがこぼれていた。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」

「君が急に笑うなんて気持ち悪いね」

「失礼だな、君は」


 カコン、ぼくの投げた缶もキレイな弧を描き、ゴミ箱に消えていった。

 偽善だろうがエゴだろうが何でもいい。ぼくは、ぼくのために「未練」を引き受ける。




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