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龍神の聖母-11


 ロラッタ山の麓に広がる針葉樹林。向こうの知識に基づいて考えれば、ここまで寒冷な地域で針葉樹林が生育することなんてあり得ない。

 しかし今は、植物の常識をスルーした針葉樹林よりも優先すべき生物が目の前に居る。


 白い毛皮に覆われたやたらと素早い狼のような魔獣(絶対に狼ではあり得ない程長大な牙と爪を持っているが、名前を知らないので狼と呼ぶことにする)。知性がないらしく魔術を使ってこないのはラッキーだが、群れで連携して襲ってくるので少人数パーティーの俺達にとってはこれ以上厄介な敵も居ない。

 俺は商店街で用意してもらった刀剣を『投影』した障壁でガチガチに固め、切るというよりも殴るような印象で振り回し、カーテナは『破断』を纏った両腕を使って、狼どもを薙ぎ倒していく。しかし俺もカーテナも一匹始末する度に少しずつ傷を負ってしまっていた。決して深くはないが、削るような傷も蓄積すれば十分致命傷になる。

 鮮血をまき散らして絶命した狼の死体に囲まれて、俺もカーテナも肩で息をしつつ、敵の出方を伺う。狼共も一匹あたりの犠牲と引き換えに与えられるダメージが釣り合っていないことに気がついたのか、攻撃をしかけず、ゆっくりと散開して囲みこもうとしてきている。膠着状態だが、時間が経つだけ俺達は不利になる。


「キリがないな。やっぱり統率してるリーダーを始末するしかないか」

「あの奥の方にいるデカイ奴ですよね。どうします? 一度に襲い掛かられたら流石に防ぎきれませんよ」

「…………できればまだ『投影』は温存しておきたかったんだがな」


 こんな序盤で体力を使いたくはない。だが、こうでもしなければ勝てない。


「カーテナ伏せろ!」


 カーテナに指示を出すと同時に、俺は剣を思い切りリーダー個体めがけて投げた。

 さらに、空気中に真空のレールと電流を『投影』し、音速の数倍にまで加速する。 

 紫電が散り、腹の底から揺さぶるような重低音が響く。遅れて雪が舞い上がり、ホワイトアウトさながらの状況が着弾点を中心にドーム状に形作られていく。


 音速を超えたことで生じた衝撃波が俺の全身を叩くが、『投影』した障壁がその全てを無力化した

 衝撃波が深く積もった雪を削り飛ばし、鮮血をまき散らしながら狼が宙を舞う。

 地形に甚大な影響を与えかねないこれら一連の現象は全て、単なる余波だ。

 舞い散った雪が全て地表に戻った時、紫電を散らして柄付近まで大地に埋まった剣の手前には、真っ二つに裂けた上、黒く焼け焦げた動物の死体らしき肉片が転がっていた。毛や血が焦げる嫌な匂いが立ち込め、白かった雪景色は黒く赤く汚れてしまっていた。


「…………相変わらず無茶苦茶しますね、主様」

『魔術無しでこれですか。人間技じゃありませんね』

「結構……キツイけどな」


 一発で魔獣の群れをなぎ払い、殺し尽くした代償は、頭痛という形で現れた。

 ぶっ倒れる、とまではいかないが、膝をついて頭を抱えるぐらいには痛い。


『……そうも言ってられないようですが』

「…………主様、まずいです」


 インベルの冷めた声とカーテナの怯えきった声を捉えた俺は、閉じていた目を開けた。周期的に襲い来る頭痛と同期するように明滅する視界だったが、しかし、現状の異変を捉えるには十分すぎる明瞭さだ。


「……チッ」


 蠢く樹木。ギチギチと気持ちの悪い音を立てて針葉樹林だと思っていた樹木が枝を伸ばし、命を失った狼に巻きつけ、巻き取って取り込んでいく。パチン、ポキンと軽快な音が響く。それが狼の骨が砕かれる音だと気付くまで、少し時間がかかった。

 死骸を栄養に樹木が成長するのは自然の摂理だ。

 だが、これは。


「食獣植物、AA級魔樹、デビルシダーか。遭遇するのは初めてだが…………ヤバイな」


 デビルシダー。獣を食す異端な植物。魔力を養分に変える能力を持つため、主な生育域は魔力を持つ魔獣が多数生息している魔境だったはず。それがどうしてこんな僻地に生息しているのか。

 俺は眼前にそびえる山岳に目を向けた。怖気すら感じるような威圧感を放つ巨躯は、それ自体が魔力を帯びた聖域だと言われている。 

 多分それが原因だ。


 ここは針葉樹林のど真ん中だ。もしそれら全てがデビルシダーだとしたら、狼の群れよりも遥かに広い範囲にわたって、俺達は包囲されていることになる。

 狼と俺達。どういう形で勝負がついたとしても、片方が敗れ、片方が勝つという形に変わりはない。敗れた側はそのままデビルシダーの格好の餌食となる。勝った側も多かれ少なかれ消耗することになる。

 デビルシダーがここまで動かず針葉樹林に擬態し続けていたのは、つまり漁夫の利を得るためだった、ということでほぼ間違いない。

 状況は最悪だ。

 狼に勝つことはできたが、俺達もかなり消耗してしまっている。針葉樹林の数だけデビルシダーが居るとしたら、後退しても前進しても無事に抜けられる公算は低い。

 一か八か、ポリ窒素爆撃をしかけて、範囲一帯を焼き払うか。

 しかしレールガンを放った時の頭痛が引いていないこんな体調で、果たしてデビルシダーを全て焼き払えるだろうか。 どう考えても無理だ。

 限界ギリギリまで脳を酷使したところで、ヨツンの群れを始末した時の半分にも及ばないサイズの結晶を形成するのが関の山だ。ポリ窒素を使った後、確実に俺は気を失うだろうから、俺はただの足手まといにしかならず、戦力として計上できるのはカーテナ1人だけ。カーテナだけで対応できる程度にまでデビルシダーの数を減らすことができなければ、それでお終いだ。

 『投影』による座標書き換えで包囲網からの脱出を図るというのはどうか。

 結局それも、ポリ窒素と同じだ。消耗の激しい座標書き換えをどこまで続けられるかわからない。包囲網を抜けきれなかったらそれで終わりだ。魔術さえ使えれば『天眼』で視界に入らない位置の座標をも観測して、かなりの長距離を移動できるが、残念ながら、魔術を使えない今の状態では、1回の転移でせいぜい数百メートルが限度だろう。

 俺達はデビルシダーの森に入って、かなりの時間を歩いてから狼型魔獣と遭遇した。多分2時間は経っていたと思う。時速5キロメートルで歩いていたと仮定すると、歩いた距離はおよそ10キロ程度。数十回の転移に俺が耐えきれるか。無理だ。 

 逡巡する間にもデビルシダーは俺達の方に枝を少しずつ伸ばしてきていた。

 1体であれば大した敵じゃない。枝の動くスピードを見る限り、1体の強さはC級魔獣のそれと大差ないように思える。それが何故AA級に分類されているかといえば、この漁夫の利を狙う狡猾さと、個体数の多さ故だ。 

 どうする。


 周囲を見渡して、打開策を探す。

 枝の隙間を通って駆け抜けるか。無理だ。密度が高すぎて途中で捕まる。

 レールガンを撃って突破口を開くか。不可能だ。数キロに渡って群生するデビルシダーを全て貫けるほどのエネルギーを弾丸に与える術がない。 

 残された手段は、たった1つ。


 俺は周囲を警戒して臨戦態勢のカーテナの肩に手を置いた。


「カーテナ。悪いけど、後のこと、頼めるか」

「後のことって…………。主様、何をするつもりですか」


 キョトンとしていたカーテナの表情がみるみるうちに疑念に染まっていく。

 勘のいいやつだ。 

「デビルシダーは魔力の強いものに誘引される性質を持っている。だったら話は簡単だ。強い魔力でデビルシダーを引きつけてから大規模な爆発を起こせば、少なくともただポリ窒素を炸裂させるよりは脱出できる可能性が上がる」

「強い魔力って、主様、今ほとんど魔力が無い…………あ」

「そうだ。1つだけ方法がある」

「何考えてるんですか!!」


 カーテナの叫びがデビルシダーの森に木霊した。


「今の状態で『魔神』になったら耐え切れずに死ぬって、大家さんに言われたじゃないですか!! それに、『魔神』になったって、制御も何もできないのに、どうやって」

「制御なんていらない。ただ魔力の波動を放てればそれでいい。一瞬でもロラッタ山をも上回る魔力を放出できれば、それでデビルシダーは寄ってくる」

『ポリチッソなる術式ではダメなのですか?』


 ここまでの旅路では一度も見たことがない、強い意思を秘めた瞳で俺を見据えるインベル。

 言いたいことは分かっている。

 ここで俺が死ぬことは、くーちゃんを悲しませることと直結する。


「それじゃダメだ。今の俺の体調じゃ、どう考えても森を抜けられるような爆発は起こせない。色々考えてみたけど、どうやら今回ばかりは本当に手詰まりっぽい」


 あらゆる手段を検討した。俺とカーテナが生き残るという前提条件を満たすために、様々な策を検討した。

 その結果は、『解なし』だった。

 ならば、せめてカーテナだけでも生き残れるよう図る。


「『魔神』になれば俺は確実に死ぬだろうな。だけど、『魔神』と化せば、一時的にだが絶大な魔力が手に入る。そうすれば、梅宮さんが構築した、あの術式を使える」

『…………あの術式?』

「アルキドアでカミラが重傷を負った時に梅宮さんが使った、魔力と『投影』を繋げる術式だ。制御役が居ないから繊細なイメージを要する転移や障壁には使えないけど、単純な爆発なら十分可能なはずだ。『魔神』の魔力なら、問題なくロラッタ山まで含めた全域を一度に焼き払える」


 一瞬でいい。その一瞬に、全ての魔力を載せた『投影』を放つ。


「そうすれば、少なくとも『絶対に』、カーテナだけは生き残ることができる。くーちゃんの世話をする人間が、必ず片方は残る」

「ふざけないでください!! 主様がその気なら、私は……」


 カーテナは右腕に『破断』の光を纏い、俺に向けてきた。

 ギチギチと音がするほどに歯を噛みあわせて、涙を流しながら俺に刃を向けるカーテナだったが、どうしても腕を振り回すことができないようだ。

 動きを留めているのは、葛藤か。


 懐かしい。

 アルキドアより与えられた美しい妖刀は、かつて所有者である俺を殺そうとしたことがある。

 だったら、俺が取る選択肢はこうだ。


 重力場を『投影』。


 カーテナの全身に強烈な荷重が掛かり、地面に強く押し付けられる。


「がっ、う……ある……じ……」

「俺もお前も生き残るのがベストだ。だけど、もし俺もお前も死んだら、くーちゃんはどうするんだ。誰が育てるんだ」


 確実に片方だけを残すための選択。

 俺が死ぬ代わりに、カーテナは生き残る。

 そうすれば、くーちゃんを育てる親代わりは1人減るものの、1人は確実に残る。

 俺と暮らし、俺と生き、俺の流儀をよく知っているカーテナなら、きっとくーちゃんを導ける。俺はそう信じている。 

 それに、今はインベルも居る。

 本当の母親が、ここに居る。


「インベル、悪いが、カーテナに憑依してくれないか。こいつを障壁で守ってやって欲しい。この場は俺が掃除するから、大家のところに一度戻って戦力を揃えた上で、もう一度くーちゃん奪還に挑んでくれ」

『…………嫌です、と言いたいところですが、その選択を批判する資格は私にはありませんね。かつて私も夫も、そんな選択肢を選んだのですから』

「貴重な時間をますます消費させることになるな。申し訳ない」

『最後に1つだけ、聞かせて欲しいのですが』

「手短に頼む。あまり時間がない」


 既にデビルシダーの枝がすぐそこまで迫っている。悠長に会話を続ける余裕はそれほどない。


『あなたはどうして、自分の命すらそれほど簡単に投げ出せるのですか?』


 命を投げ出す。

 なるほど、俺の選択を客観的に見れば、そうなるだろう。

 だけど俺は。


「くーちゃんのためなら、何だってできる。それが最もくーちゃんのためになる選択だと確信できるなら、俺は命も惜しくない」


 くーちゃんの安全と笑顔は全てに優先する。この悪意が蔓延る弱肉強食の世界でも、あの子が居たから俺は俺でいられた。くーちゃんのために死ぬのなら、俺は後悔しない。カーテナも俺も死ぬよりは、カーテナだけでも生き残る方が、くーちゃんのためになると俺は確信している。

 強いて言うなら、ここまで追い込まれていることに気付けなかったことは後悔している。俺がもう少し周囲に警戒していれば、俺もカーテナも生き残るというベストな選択をすることもできた。そもそも、俺がじっと耐えるだけの忍耐力を持っていれば、エリアルデ支局長やテンペスタさん、大家が全快するまで待って、もっと確実な戦力でくーちゃんを取り返しに行くこともできた。

 ただ、それは結果論だ。後悔は悔い改め次に活かせる時、初めて価値を持つ。もはや先の無い俺には、後悔なんて必要ない。 

 周囲が少し暗くなった。デビルシダーの枝は既に1メートルもないぐらいの距離にまで迫ってきて、光を遮り始めているのだ。四方八方から、俺達を覆い尽くすように伸びる枝を見やる。

 くーちゃんの笑顔を思い出す。少しずつ伸び始めた角の感触は、まだ手に残っている。

 成長を見守れないのは残念だ。インベルのような神秘的な美人になるのか、はたまたエリアルデ支局長のようなクールな美人になるのか。

 頼むから酒だけは飲まないよう気を付けて欲しい。多分あまり強い方ではないし、エリアルデ支局長やエアリアと同じなら絡み酒だろう。

 彼氏を連れてきたら神級魔術10連コンボと思っていたが、どうやらその役割はカーテナに渡すしかなさそうだ。

 いつかくーちゃんは『龍神』となり、強力無比な力に目覚める。死者すらこの世に引き戻す、まさしく神になる。くーちゃんには、力の使い方を誤らないような、優しい神様になって欲しい。

 優しく、健やかに育ってくれることを祈ろう。


「インベル、時間だ。『魔神』化する。カーテナを守ってくれ」


 どこまでも黒く貪欲な魔力を、呼び起こす。

 俺の体の中心から、黒い何かが染み出してくる。それは俺の全身に均等に行き渡り、力を与えていく。

 全身を満たした後もなお染み出し続ける黒い魔力は、背中あたりにわだかまり始める。ダムが水を蓄えるように徐々に溜まっていく魔力は、ある境界を過ぎたところで触手のような形状をとって背中から噴出した。


「っ!!」


 全身を激痛が貫いた。今までも無理に『魔神』の力を制御しようとすると強烈な頭痛に襲われていたが、それとは明らかに違う種類の痛みだ。

 小学生の時、近所の友達と、ビニールホースを蛇口に突っ込んでホースの先を潰したりして、『虹!』とか言いながら水を撒き散らして遊んだことがある。調子に乗って蛇口をひねり過ぎると蛇口からホースが弾け飛んで、水を盛大にかぶるハメになるのだが、今の痛みはちょうどそんな感じだった。

 俺の肉体が悲鳴を上げている。許容量を超えていると、もう後戻りできないところに足を突っ込んでいると、痛みという形で訴えかけてきている。


 構うものか。


 俺の魔力に反応したのか、デビルシダーが猛烈な勢いで俺に枝を伸ばしてきた。

 その全てを、背から伸びる触手様の翼で打ち払う。さらにそのままに一気に触手を伸長し、半径数メートル以内のデビルシダーを根こそぎ粉砕していく。


 枝を打ち払ったことで光が差し、視界が開けた。デビルシダーが『魔神』の魔力に反応してこちらに枝を伸ばしてきている。


 両手の間に、梅宮さんが使用した『投影』と魔力を繋げる魔法陣を構築していく。魔法陣は非常に緻密で精密だが、規模が小さいため、中級魔術程度の労力で構築することができる。魔力制御の能力が狂っている今の俺には中級魔術程度でもかなり困難な作業だが、何度か失敗しつつも魔法陣の構築を成し遂げた。

 あとはここにあらんかぎりの魔力を通し、火炎を『投影』すればそれで全て終わりだ。


「インベル、頼む」

「い……や……あるじ……さ」


 インベルが地面に押し付けられたカーテナに手をかざす。

 インベルを構成している魔力の欠片が次々とカーテナに吸い込まれていき、やがてインベルの全てがカーテナに重なった。

 カーテナが口を開く。しかし声が違った。その声は、インベルのものだった。


「憑依しました。結構辛いので、この子にかけてる術式を解除してくれませんか」


 言われ、俺はまだ重力場をかけっぱなしだったことに気付く。『投影』の維持を中止し、その体を自由にしてやる。


「ふぅ」


 カーテナは立ち上がって全身についた砂を落としているが、その挙措は普段のカーテナのものとは明らかに異なる。何が違うかと言われると言葉に困るが、明らかに別人のそれだった。憑依は成功したようだ。

 

「それじゃ、くーちゃんをよろしく」


 白く緻密な魔法陣に、俺は黒い魔力の全てをねじ込む。

 頭の中にはハッキリと爆炎のイメージができあがっている。

 

 俺の視界に、『緑色』の光が瞬いた。

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