龍神の聖母-10
「……ん、あ……」
瞼越しにも分かる強い光を感じて、俺は目を覚ました。ずいぶん長く寝ていたためか、ぼやけて前がよく見えない上に、強い光が差し込むせいで目を開けているだけでも苦痛を感じる。
しばらくすれば慣れてきて見えるようになるだろうから、それまで目を閉じてもう少し微睡んでいよう。
事実上の二度寝を決意した俺だったが、違和感が邪魔をしてすぐには眠りに落ちれなかった。
…………やけに呼吸しづらい。
呼吸できない、というわけではないが、エネルギーを使わないと呼吸できず、それが息苦しさにつながっていた。
俺は胸の当たりに手を伸ばした。
何かある。
柔らかいが、確かな手応えがある。何か堅い物を柔らかい材質で覆っているらしい。
「んふ……」
小さな声が聞こえた。
…………声?
「主様ぁ…………んふふ……」
発せられた声に、俺の理性より先の何かが刺激された。
励起したのは、邪で桃色なそれ……
ではなく、何故か純然たる恐怖だった。
このまま寝ていたらまずい。本能が俺に覚醒を促し、ぼんやりとしていた思考が急速に活性化されていく。ようやく明順応を果たした目を開くと、黄金色の塊が見えた。
ていうか、カーテナの頭だった。
「……何してんだ?」
返事はない。静かな寝息が聞こえるだけだ。
俺の胸を枕に、カーテナは熟睡しているようだった。嫌に生暖かい感触は、多分カーテナの涎だ。ふざけるな。
と、すれば、さっき手に触れた柔らかい感触は、カーテナの頬か。
俺は上体を起こし、カーテナの頭を太ももの上に移動させて一発デコピンを加えた。
「起きろ、カーテナ」
「痛っ!?」
額を押さえながら周囲をキョロキョロと見回すカーテナ。
まだ眠そうだな。目がトロンとしている。
俺は無防備なカーテナの額にもう一発デコピンを放った。
「痛い! 何するんですかぁ」
「状況を説明してくれ。ヨツンを潰してからどれだけ経った? 俺はどれぐらい寝ていた?」
場所だけは明確だ。俺の主観時間ではつい先程、ポリ窒素の炸裂で形成されたクレーターのすぐ近くだ。
ただ、時刻がわからない。太陽の位置から、何となく朝だということはわかる。問題は、これが俺が気絶してから何回目の朝か、ということだ。
「むぅ」
カーテナは不満げに頬を膨らまし、無言のうちに抗議してきた。
…………拗ねやがった。
『女性の扱い方としては落第ですよ』
「インベルか。教えてくれ、どういう状況だ?」
『あなたが気絶してからまだ一回目の朝です。時間にして12時間少しといったところでしょうか。状況は大きく動いていませんが、一応念のため、結界を張っています』
周囲を見渡すと、確かに、不可視の壁のようなものがあった。目に見えずとも、魔力を感じる。おそらくは内部の情報を外部に漏らさない作用を持つ障壁魔術だろう。
この魔術を発動したのはインベルだという。俺はふと気になった疑問を口に出した。
「魔術は使えるのか?」
『はい。ただし私の本体は生命活動を行っていないも同然の状態なので、魔力量は目減りする一方です。自由に魔術を連発するわけにはいきません。この世に存在するためにも少々魔力を食いますので、極力使用は控えるようにしています』
「仮に全く魔術を使わなかったとして、どれぐらいの間存在できるんだ?」
『概ね三十年が限度でしょう。ですが、何度か魔術を使ってしまっているので、多分後二十年存在できるかどうか、ってところですね』
初孫の顔を見るのは難しそうです、と言ってインベルは笑っていたが、俺は全く笑えなかった。この場を隠し通すために発動した障壁魔術もまた、彼女の貴重な時間を消費して行使された魔術だ。やはりポリ窒素は使用すべきでない。いや、それに限らず、動けなくなるような過度な『投影』は避ける必要がある。
「インベル、結界はもういい。出発しよう」
『分かりました』
不可視の壁が消滅した。
同時に冷たい風が吹き抜け、俺はローブのフードを目深に被った。
「カーテナ、お前は人型のまま行動してくれ。俺が補助に回る。『投影』はできるだけ温存したい」
「…………」
まだ拗ねてやがんのか、コイツ。
「…………」
「…………ああ、もう。悪かったって。デコピンして悪かった。機嫌直してくれよ」
「…………じゃあ撫でて」
「は?」
「くーちゃんにするみたいに、私の頭を撫でてください!」
「それぐらいなら、別に構わないけど」
俺はカーテナの頭に手を載せ、頭髪を揉むようにやさしく頭を撫でた。くーちゃんの髪は絹のように滑らかな手触りだったが、カーテナのそれはふわふわとして柔らかいという印象を受けた。
幸せそうに表情を緩めたカーテナ。時折、んふ、とか、ん、とか、艶かしい声を漏らすから困る。
「これでいいか?」
しばらく撫でてやったことでカーテナは満足したのか、くるりと背を向けると、俺の前に立って歩き始めた。耳まで真っ赤に染まっているが、恥ずかしいのなら何故要求したのか。
『結構やるじゃないですか、このスケコマシ』
「うるさい。誰がスケコマシだ」
『一体誰がクリスの母親になるのでしょうね。私、これでも結構楽しみにしてるんですよ』
「子持ちの木っ端ギルド職員なんかに嫁いでくれる奴なんかいないよ」
『訂正したほうが良さそうですね。この朴念仁』
そもそもの話、くーちゃんの母親はインベルの他には務まらないと思っている。カーテナは母親代わり、姉代わりとしてよくやってくれているが、それでも限界がある。父親代わりを務める俺もまた、本当の父親にはなってやれない。
インベルが母親としてくーちゃんの近くに居てやることが、くーちゃんにとっては一番いいことだ。しかし、母親たるインベルには時間がない。くーちゃんに憑依し、要所要所でくーちゃんを守るだけで精一杯だと言っていた。くーちゃんの前に姿を見せることもせず、最も近いけれど最も遠い立場からくーちゃんを守り続けるという道を選んだインベル。どうして表立ってくーちゃんの前に姿を現さないのか。俺にはなんとなくその理由の見当がついていた。
もちろん残存魔力とこの世に留まれる時間という制約もあるだろう。しかしそれよりも、いずれ来る別れの時にくーちゃんを悲しませるぐらいなら、最初から『インベル』という母親の存在など知らないままで居た方が良いと、そう思っているのではないだろうか。
その意思を尊いとは思う。だけど、あまりにも悲しすぎる。インベルにとっても、何よりくーちゃんにとっても。
偽物の親に過ぎない俺にできることはあまりない。そんな俺が見つけた、数少ない『できること』。
『インベル』の存在をこの世に固定し、くーちゃんをインベルに返すこと。
インベルが存在をこの世に保つためにしようした魔術がいかなるものなのか、俺には想像もつかない。しかし、何かしらの理論に沿って働く術である以上、解析できないことはないはずだ。解析できれば干渉できる。適切に干渉すれば、インベルを元に戻すことができるかもしれない。そこまではいかなくても、インベルがこの世に留まれる時間を飛躍的に伸ばすことができるかもしれない。
だけどその前にまず、くーちゃんを取り返さなければならない。
敵の正体は不明。確かなことは、二つだけ。俺やエリアルデ支局長、テンペスタさんすら手球に取る力を持っているということ。大家の力を以てしても滅ぼしきれない敵であるということ。
それでも俺は、絶対に負ける訳にはいかない。
くーちゃんに仇なす敵は全力で滅ぼす。
どれだけ俺がボロボロであろうと、どれだけ敵が強かろうと、やることは変わらない。
コンピューターようやく手に入れました。




