龍神の聖母-08
北の果てに君臨する霊峰、ロラッタ山。
元居た世界基準で言えばエベレスト級の険しい山で、あらゆる存在を凍りつかせる極寒の地として知られる。そういった厳しい環境にはよくあることなのだが、異常に強力な魔物が多数生息していて、第2の魔境とも呼ばれている。ロラッタ山中腹以降で採れるある種の鉱石には魔力を蓄積する作用があると言われ、ロラッタ山全域が強烈な魔力を帯びている原因とされているが、実際のところどうなのか、誰も知らない。もちろん俺も知らない。
何故誰も知らないかと言えば、中腹以降に出現するAAA級すら上回る魔物、すなわちS級の魔物が調査に赴く者に容赦の無い攻撃を加えてくるからだ。
俺やエリアルデ支局長、テンペスタさんは、AAA級程度であれば瞬殺できる。しかし、S級はそうはいかない。S級はAAA級を超える全ての魔物全てを指す尺度で、簡単に言えばAAAA級からAAAA……AAA級まで、あらゆる強さの魔物を「人の手には負えない」という基準で括ったに過ぎない。
もちろん、並の魔術師でどうこうできる存在ではない。だから、実力の問題でほとんど誰も調査に『行けない』。
更に、魔力を溜める性質を持つ物質は実はロラッタ山以外の場所でも産出しているので、極々一部のS級を上回る実力を持つ者達もロラッタ山を調査する意味を特に見出せず、調査に行かない。
登頂したからといって何かあるわけでなし。糞強い怪物共と極寒以外にはこれといった特徴は無し。
要するにロラッタ山とは、『リスクが割に合わない山』なのだ。
「どうしてロラッタ山なんかに……。考え直しなよ。くーちゃん、まだ小さいでしょ」
だから、ロラッタ山に行くと言った俺に対する商店街の人々の対応は、総じて自殺を止める時のそれと似通ったものになった。
防寒具を買い求めに立ち寄った仕立て屋さんの奥さんは半ば懇願するようにして俺に思いとどまるよう説得してきたが、似たような説得を俺は既に2回受けている。
心の底からの言葉である以上、無碍にするわけにもいかないし、かと言ってこれから行く先々で足止めを食らうのも馬鹿らしい。そもそも俺が口を滑らせて『ロラッタ山』の名前を出したことが全ての原因だったりするので、完全に自業自得だということはよく分かっている。分かっていても、光回線でも通ってるんじゃないかという商店街の情報伝達速度をまざまざと見せ付けられては、俺も途方に暮れるしかない。
『この際ですから、あの子のことを話してしまってはどうですか? ここの商店街の人たち、あの子のこと気に入ってくれてるみたいですし』
インベルがそんなことをぼそぼそと耳打ちしてきた。
「多分、良心の呵責的な意味でとても申し訳ないことになると思うんだが、そこら辺、分かってる?」
断言できる。くーちゃん絡みのこととなれば、ここの人たちは全店舗総出で助けてくれる。くーちゃんにお遣いをお願いすると、くーちゃんが押し潰されそうな量の品物を抱えて帰ってくることからも容易に判断できる。
その度に何度俺が商店街に出向いてお金を払おうとしたことか。しかし、何故か怒られたりして、お金を受け取ってもらったことは一度もない。俺の罪悪感は募るばかり。
『もちろんです。私の娘のあまりの可愛いさに、商店街の人たちがたくさんサービスしてくれた時のことを言っているんでしょう?』
「分かってるなら尚更性質が悪いわ」
『今回ばかりはいいんじゃないですか。緊急事態ですし、後で埋め合わせれば』
……まあ、確かに。
インベルの意見には一理ある。あまり時間が無いのは事実だ。
心苦しい限りだが、商店街の人々の厚意に訴えかけるというのは、確かに時間短縮という意味で非常に有効だと俺も思う。
…………。
必ずいつか借りは返す。そう心に誓って、俺は仕立て屋の奥さんに簡単な事情の説明を始めた。
「あまり詳しい事情は話せないんですけど、くーちゃんが今大変で。くーちゃんを助けるために、どうしてもロラッタ山に行く必要があるんです」
「大変!? あの子に何かあったってのかい」
「詳しくは言えないですけど、攫われました」
「まあ! 何てこと……。あの子は無事なのかい?」
「今のところは、多分。だけど、あんまり時間はありません」
「…………くーちゃんのためにロラッタ山に行く必要があって、ここにはその準備に来たってことだね?」
「そういうことです」
「…………うん、ちょっとここで待ってなさい。アンタ! アンター!! 商店会議の準備をしとくれ!!」
俺の説明が脈絡なし内容なし説得力なしと、およそ欠片も信用されないであろう戯言と化した原因は、ひとえに情報を開示してくれないインベルにあると思う。俺は正直これで奥さんが信用してくれるなんて欠片も思っていなかった。だから、奥さんが突然店主たる旦那に大声で指示を飛ばした時は本当に驚いた。
ていうか、本気で心配になった。大丈夫か、これ。え、何であっさり信じちゃうの? 俺はインベルがくーちゃんの母親だからギリギリ信用したけど、商店街の人にとって俺の言葉って、自分が引き取った子供の肉親の言葉ぐらい価値があるの?
奥さん、詐欺師とか現れたら割りと簡単に引っかかっちゃうんじゃないか。
奥で仕立て作業に精を出していた店主が暖簾をまくって現れた。頭に巻いたバンダナが粋な初老の男性だが、凄みと熱意は若者以上だ。
店主は作業を中断させられたことが不満らしく、苛立っている様子が見て取れた。
「商店会議ぃ? 何かあったのか」
「くーちゃんが攫われたって。ハルトさん、これからくーちゃんを救うためにロラッタ山にまで行くみたいなんだけど、何か商店街でしてやれることはないかねぇ」
「……今なんつった?」
「くーちゃんが攫われて、ハルトさんはくーちゃんのためにロラッタ山に行く、って言ったのよ」
「……本気か? ロラッタ山って、あのロラッタ山だろ?」
「そのロラッタ山です」
「ギルドで人雇うなりできねぇのか? あんなとこ、命がいくつあっても足んねぇだろ」
「募集かけても集まらないでしょうし、何より今はカタリナ支局が営業を停止してまして」
『優しき眠り(ヒュプノス)』で職員のほとんどがノックアウトした上、ナンバー1受付嬢のハリカさんは行方不明、エリアルデ支局長は重傷で療養中だ。営業なんて土台無理だろう。
「大丈夫です。俺、こう見えて結構強いんですよ」
「どうだかな。……まあ、できる限り死なねぇよう協力してやる。くーちゃんを助けるってんなら、それぐらいはしてやらねぇと罰が当たっちまう」
この人たちの中でくーちゃんは神か何かなのだろうか。
いやまあ、『龍神の御子』な訳だから、神といえば神なのだろうけど。
ともあれ、インベルの献策に従った結果は大成功だった。
積み重なる良心の呵責がそろそろ胃痛に変化しそうだという点を除けばの話だが。
♢♢♢
「寒っ」
『私は平気ですけど』
『主様弱っちい』
幽霊と鉄に人間の感じる寒さを理解してもらおうなどとは思わない。思わないが、腹は立つ。というか、寒さを感じないその体が今はうらやましい。
リアナ高原を抜けた先に、ゴキブリ並にどこにでも居る盗賊すら居ない荒地がある。北上に従って気温はかなり低くなってきていて、既に防寒具なしではやっていけない程度には寒い。しかし流石は『何でも揃う商店街』が総出で用意してくれただけあって、防寒性能はなかなかのものだ。たかだかローブ1枚でここまで寒さをしのげるのだから、仕立て屋さんにもらったもの凄いモコモコした方のローブはどれほど暖かいのだろうか。
しかし、本当に寒いな。
木は生えず、苔らしき植物が地面にへばりついているが、ほとんど茶色の地が剥き出しになっていて寒々しい。風を遮る高木が1本もないので、風が吹くと寒さがダイレクトに凍みる。空は青く、太陽だって出ているのに、どうしてこんなに寒いのだろうか。
『……主様、気付いてます?』
「もちろんだ」
『…………あ、何か居ますね』
本来この辺りの気温はここまで低くはない。
何か他に気温を引き下げる要因がなければここまで低くなることはありえない。
俺はオーソドックスな火炎を『投影』した。温度は数百度程度だが、その分範囲を広めに設定し、空間一体を焼き払う。
異常な寒冷。その要因。
それは、見えなかっただけで最初からそこに居た。
「ウ゛ロアァァァァァァァ!!」
姿を誤魔化していた魔術が崩れ落ち、それは空気中から滲むように姿を現した。
氷の巨人、とでも表現すればよいか。大木のように太い胴部分に、これまた異様に太い脚部と腕。腕は指らしきものが3本ついてはいるが、総じてハンマーのような形状をしている。そして、その全てが氷でできている。
AAA級魔獣、ヨツン。
この辺りにはたまにハイレベルな魔獣が出現する。どうやら俺は、相当運が悪いようだ。
「うわぁ、でか。しかも、たくさん居るし」
『1、2、3、4……何体居るんでしょうか。数えるのも面倒ですね』
不運に不運が重なった。出くわしたのはヨツン1匹ではなく、ヨツンの群れだった。1匹で優に5メートルはある巨体が荒野を埋め尽くしている。
正直、結構危ない状況だ。1匹だけなら問題ない。『ミョルニル』を使わずとも、カーテナを振り回すだけで制圧できる。が、ここまで数が居るとそうもいかない。
「なあ、インベル。アンタのその体、外の影響とか受けるのか?」
『干渉は私の任意です。私が望まない限り、この体は外部に干渉することも干渉されることも不可能です』
「そっか、なら安心だ」
安心して、周りを巻き込むような技を使える。
材料は空気中に無数に存在する窒素。
原子間3重結合によって繋がる窒素分子を解き、新たに網の目のように広がる結合を生成するイメージ。
元の窒素分子に戻ろうとする力をイメージの力で抑え込み、窒素のみからなる高分子化合物を『投影』によって編んでいく。
本来人間の生存可能領域では存在を許されない化合物、『ポリ窒素』。梅宮さん曰く、本来ならば約2000℃、約100万気圧下でしか存在できない物質らしいが、そういう無理を押し通すのが『投影』だ。
掌の上にパキパキと音をたてつつ徐々に成長していく白い結晶。見た目は美しいが、これは核に次ぐ爆薬だ。
身を守るために、強力な物理障壁を三重四重に展開し、俺と刀状態のカーテナ、それにインベルを覆う。インベルは干渉は受けないと言っていたが、結局インベルにも障壁を張ることにしたのは、ひとえに俺の小心が原因だった。何かあったら嫌だし。
そのうち、イメージでポリ窒素の反発を押さえ込める限界域に達した。梅宮さんが生み出したアホみたいなサイズの結晶と比べると、大きさは10分の1といったところか。
だけど、それで十分だ。
「吹っ飛べ」
ポリ窒素の維持を止める。
光とすら認識できない『白』が俺の視界を侵食した。




