龍神の聖母-06
カタリナ支局は常に無い慌しさに包まれていた。
もう営業時刻目前だというのに、職員は山と積まれた書類を相手にまだペンを走らせている。書類処理速度に定評があるギルドナンバー1の受付嬢、ハリカですら目の前の書類を相手に四苦八苦し、部下の扱いに定評があるギルドの長、エリアルデですら書類の山と闘っている。その表情には焦燥の色が浮かび、手はインクで黒く汚れていたが、それを拭う事すらせず、ただひたすらにペンを走らせる。
過去に類を見ない異常事態だった。
きっかけは朝方ギルドの本部から、わざわざクエストを受注して人を集めてまで届けられた莫大な書類だった。恐るべきことに、その全てにおいて処理期限は届いたその日。
ギルドにはクエスト斡旋というメインとなる業務があるから、それをおろそかにするわけにはいかない。したがって職員は総出で営業時間前から書類を処理している、というわけだ。
「何でハルトはいないんだよ」
「知らねーよ、愚痴言っている暇があったら手を動かせ」
男性職員は普段ことあるごとに女性をイチャつく黒髪の職員の不在を痛いほどに認識していた。普段ハルトに嫉妬の炎を燃やすエルドは、偶然早朝に出勤した際に見た、山と積んだ書類相手に1人で格闘するハルトの姿を思い出した。
こんな日にあいつが居れば。
むしろ、なんで今日に限ってあいつは居ないんだ。
エルドは同僚の愚痴を適当にあしらいつつも、同時に心のうちで似たような愚痴を垂れていた。
エルドは知らない。エリアルデも、ハリカも、ハルトも知らない。
この書類地獄にこめられた本当の意味を。
「……? 何だ、これ?」
それが明らかになったのは、エルドが山のような書類の中から、不可思議な魔方陣が刻まれた1枚を取り出した時だった。
エルドは突如倦怠感に襲われた。短距離走を何本も繰り返したかのような感覚だが、息は切れていないし、汗ひとつかいていない。
まるで、『魔術を使いすぎたときのような』不思議な感覚をエルドは覚えていた。
その原因が手にした魔法陣にあるとエルドが気付いた時点で、既に事は起こり始めていた。
魔方陣が光る。連動して、それぞれの職員の机に積まれた書類の束から同様の魔方陣がするりと抜け落ちて、濃紺の光を放つ。それぞれの書類は勝手に床を滑っていき、やがて止まった。
職員の目には無秩序に散らばる光る紙、程度の印象しかなかったが、魔方陣を記した書類は実は規則的に配置されていた。
円。
書類から青い光のラインが伸びてほかの書類と繋がり、1つの大きな陣を生み出していく。
この段階で有効な対抗手段を練ることができたのは、カタリナ支局ではわずか2名。
直後に陣が強烈な光を発したかと思えば、2名を除き、職員全員が机に突っ伏すか床に倒れこんだ。
2名のうちの1人、エリアルデは、障壁魔術を解除して、懐から取り出した龍玉で残留した魔力の色を確認していた。
「『優しき眠り(ヒュプノス)』、じゃな」
もう1人、ハリカ・アウリカルクムは、すぐ近くで倒れた同僚を仰向けにしながら疑問を口にした。
「書類に分割した陣を紛れ込ませるなんて……一体誰が……」
「ギルドの書類はギルドで厳正に監査されておる。と、すれば、こんなことができるのは、運び屋を務めた者共か、ギルドだけ、じゃな。当然眠らせただけで終わるわけがない」
「……狙いは私か支局長か、ハルトさんの誰かでしょうね」
「ハルトが重傷を負ったタイミングでというのが少しひっかかるのじゃが……居らんのは幸か不幸か、どちらに転ぶかの」
エリアルデは普段隠している龍族の角を開放した。更に知覚の加速や肉体の強化といった一連の補助魔術を発動すると、最後に懐から直径2センチ程の鉄球をいくつか取り出した。
ハリカもまた同様に補助魔術を発動した。更に見栄え重視でかさばるスカートやコルセットの類を全て脱ぎ捨て、アンダーとして着ていたつなぎの黒い戦闘服姿になった。
ハリカは更に高等魔術『天眼』を発動し、カタリナ支局周辺の様子を探る。
特に苦労することなく、正面扉から少し離れたところにある林に潜むローブ姿の一群を捕捉することができた。
「……前方の林に12名、おそらく魔術師です」
「ふむ。少し脅かしてやるとしよう」
そう言うと、エリアルデの周囲を緑色の魔方陣が包みこんだ。直後には魔方陣もエリアルデの姿も掻き消え、それとほぼ同時に支局の外、正面扉のすぐ近くに姿を現していた。
手にした鉄球を投げ上げる。自由落下する鉄球を覆うように、精妙に電気が流れる通り道を作り上げ、砂鉄等の収集に使う金属吸着魔術と雷撃魔術を同時に発動する。
レールガン。
科学全盛の異世界より魔術の世界に降り立った若者が持ち込んだ技術。
赤い尾を曳きながら空気すら切り裂く金属の弾丸は、樹木をへし折り、地面を抉り、しかし魔術師たちには直撃せず、ただその周囲のみを破壊した。
砂埃と土煙が舞い、へし折れた樹木の断面はプスプスと黒煙を上げる。
「雷雲よ、在れ」
視界を遮る煙幕が晴れるより先に、エリアルデは空に手をかかげ、雷撃系魔術最大の術式を発動させる。
空を真っ黒な雲が覆い、日光を遮り、辺りを一瞬で夜のようにかえるこの魔術は、『龍王』にのみ先天的に許される術式の1つで、神級魔術『神の雷』級の雷撃を、自然の力を利用してより少ない魔力の消費で放つことができる攻撃に特化した術式だ。
一筋の雷がエリアルデの直ぐ脇に落ちる。雷光が消えた後、そこには紫電を纏う一振りの日本刀が残されていた。
『雷切』と呼ばれる、かつてカーテナとアスカロンを作り上げた刀匠に作られた、この世界に現存する3本目の日本刀だ。
エリアルデは刀を手に取り、切っ先をズタズタに破壊された林に向けた。
「汝等、一体何が目的で我が支局に手を出した? 返答次第では、ただではおかぬぞ」
返答に代わって、魔術による攻撃が返ってきた。
突如空中に、見えない導火線が出現したかのような奇妙な火線が走る。ジジジと音を立てて、数百メートルはある距離を一気につめてくるが、それ自体は貧弱で、特に脅威は感じなかった。しかし『龍王』の『予知』が、エリアルデに危険を知らせた。
エリアルデはその感覚に逆らわずに空間移動魔術で一気に距離を取り、カタリナ支局の屋根の上に移動した。
エリアルデの判断は正しかったことは、エリアルデの眼前に突然出現した高熱を放つ火球が証明した。
じりじりと皮膚を焼く火球の熱に耐えかね、エリアルデは翼を解放して上空に飛び上がった。
それは、確かに魔術でしか為しえない攻撃だった。
しかし。
(何かが違う。あれは『単なる魔術』ではありえん)
長く魔術と共に生き、ハルトというイレギュラーとも繋がりを持ったエリアルデだからこその感覚。
ハルトに教えてもらったレールガンは、裏に細かな理論を備えていた。それと同じ、単発の現象を引き起こす魔術とは違う、異質な何かの感覚。
この攻撃の組成は、どちらかといえば。
(ハルの、魔力要らずの異能に近い)
エリアルデは翼をはためかせて、火球からさらに距離を取ると、火球めがけて雷を落とした。
雷そのものは単なる炎である火球には干渉できないが、雷が空気に作用して生じた余波は違う。
雷撃は空気を加熱する。電気が本来通らないはずの空気という混合物に無理やり電気を通した結果が落雷で、その副産物としてプラズマすら発生し得る莫大な熱が生じる。熱を帯びた空気は体積を増し、体積を増した空気が他の空気を押しやり、流れが生じる。
結果、生じたのは暴風。
雷を中心にその周囲に広がる形で生じた風は火球を散り散りに吹き飛ばし、細かい小片に分断された火球はみるみるうちに熱を失い、やがて消えた。
火球の脅威が去ったことを確認すると、エリアルデは懐から先ほど放ったものと同じ鉄球を適当に取り出し、それらを魔術師達が居た辺りめがけて射出した。
ほとんどタイムラグなしに鉄球は地面を大きく抉り、辺りの地形を変えていく。
さらにダメ押しの一撃として、雷を落とす。
熱、電気、圧力。
およそ人の命を削り取り得る要因が複数個渦を巻く。
雷に対策を講じてもレールガンが、レールガンに対策を講じてもプラズマが、プラズマに対策を講じても雷が、彼らの命を奪う。
しかし、そんな弩級の攻撃さえ、意味を為さない。
「!!」
エリアルデは『予知』がささやくまま、状態を思い切り反らした。つい先ほどまで頭があった位置、額のすぐ真上あたりを、赤い線が通過していく。
それが何なのか、エリアルデには分からなかったが、そこから伝わってくる強烈な『熱』から危険性は十分に理解できた。
あれはヤバイ。
たとえ腕1本犠牲にしてでも、あの攻撃を食らうことだけは避けなければならない。
エリアルデは魔方陣を展開し、再び空間移動を実行した。転移先は今しがた爆撃した地点。
手近なところに居た黒ローブの魔術師に、紫電を散らす雷切を振るう。
腕に生身を切り裂く嫌な手ごたえが発生し、それでも刃を振り切ると、鮮血を散らしながら魔術師の腕が胸元を大きく巻き込む形で切断される。
「ぎ……あああああああぁぁぁぁぁ!!」
断末魔の叫びが轟き、他の魔術師達がこちらへ向き直る。
その隙を、ギルドの暗部で数々の暗殺任務や諜報任務をこなしてきたハリカは逃さない。
『天眼』で様子を見ていたハリカは、絶えずハリカの方に注がれていた視線が外れたことを確認すると、エリアルデとは反対側に空間移動し、懐から抜剣したオリハルコンの短剣で魔術師の延髄を切り離した。
ささやかな障壁をオリハルコンの刃は容赦なく粉砕し、皮膚を破り、骨を砕き、その先にある絶対の急所を抉る。延髄を切られた魔術師は断末魔すら上げることができずに即死し、倒れていった。ハリカは魔術師が倒れきるより前に、既に次のターゲットの下へと動いている。
立て続けに刃を振るい、2人目、3人目をものの数秒で始末したハリカ。
エリアルデもまた雷切を2度3度と振り回す。その度に魔術師が1人ずつ絶命し、エリアルデが転移してからものの10秒程度のうちに、魔術師は12人から5人に減った。
対魔術師戦の基本は魔術を使う隙すら与えない接近戦に持ち込むことだ。タカス・ハルトやジェラルド・アウリカルクム、『龍神』デア等の接近戦に持ち込むとむしろ危険なタイプの魔術師も存在するが、それは例外中の例外だ。
エリアルデもハリカも基本に忠実だった。
12人を5人にまで減らしたのだから、十分成功と言える。
ただし、相手が『死』すら利用する例外的なプロフェッショナルではなかったら、の話だ。
次なるターゲットに意識を移していた2人は、完全に絶命したはずの魔術師から突如立ち上った禍々しい色の煙に気がつけなかった。煙は2人の全身を縛るように絡みつき、その動きを縫いとめる。
ギチギチと刀を振りかぶったままの姿勢で固まるエリアルデと、ナイフを構えた状態で微動だにできなくなったハリカ。
「何……!!」
「……魂食いの術式……!」
ハリカはこの術式に見覚えがあった。
ギルド諜報部で開発されていた死後発動する種々の魔術。そのうちの1つ、大規模戦闘用の足止め魔術だ。
たとえ死んでも味方に望みを繋ぐための術式だが、死後魔術を発動するために『今』の寿命を削ることになるという重大な問題点が発覚し、開発は停止され、『魂食い』として禁術指定された。
はずだった。
「!!」
エリアルデは2人がかりで何らかの術式を編んでいる魔術師に気がついた。
ぼんやりとした赤い光を生み出す男と、効果不明の別の術式を編み上げる男。
(赤い光…………そうか!)
『予知』よりも早く、エリアルデは危機を察し、対抗策を練った。
エリアルデとカミラを縛り上げている術式は、『神の鎖』を彷彿させる強度の縛鎖だったが、1つ『神の鎖』とは決定的に違う点があった。
すなわち、魔術使用の可否。
『神の鎖』は動きだけでなくあらゆる魔術の発動を妨げるが、この術式にそうした特長はないようだった。
魔術が使えるのならば、いくらでも抜け出す方法はある。
緑色の魔方陣がハリカとエリアルデをすっぽりと覆い、赤い光線が放たれるよりも前にエリアルデとハリカは空に掻き消えた。捕らえる対象を失った禍々しい色の煙は一瞬蛇のようにうごめいたが、徐々に雲散していき、やがて完全に消えた。
水平距離を大きく取って転移したエリアルデとハリカは、様相が変わってしまったカタリナ支局付近の林に身を潜めた。さらにハリカが気配を遮断する魔術や認識阻害魔術など、隠密行動に必須な各種魔術を次々と発動し、2人の周囲は『天眼』でもそれと見通せない不可視空間となった。
だが、長くは保たない。居場所が分からずとも、空間全域を対象とする魔術を食らえばそれで術式は崩れてしまう。
「過去様々な軍勢と闘ってきたが、あれほど多彩で強力な軍勢は見たことが無い。ハリカよ、あ奴らに心当たりはあるか?」
「……多分、ギルド絡みの部隊だと思います。使用する術式や行動方針が驚くほどギルド暗部の部隊に酷似してます。あんな強力な部隊は、少なくとも私が居た頃にはありませんでしたけど」
「新設、というには錬度が高すぎるようじゃが……」
手傷こそ負っていないものの、エリアルデは追い詰められたような感覚を覚えていた。
死体を用いた裏をかく戦略や、未知の魔術群。いずれも対処が遅れ、すんでのところで命を拾ったに過ぎない。『予知』がなければ確実に死んでいただろう。
「何にせよ、始末することに変わりは無い。狙いが妾自身にせよ、汝にせよ、ハルにせよ、殺さねば脅威は排除できぬ」
「どうします? 空間移動術式はもう警戒されちゃってるでしょうし、かといって支局長の雷撃も効かないみたいですし」
「あの程度の雷撃、妾の本気には程遠い。次は障壁ごと弾き飛ばしてくれる」
エリアルデは『雷切』の切っ先を空に向け、大きく構えた。
エリアルデと刀がバチバチと爆ぜるような音を立て、紫電に包まれていく。呼応するように上空の雷雲から稲光が漏れ、地上を絶え間なく照らし始めた。
魔力が渦巻き、ハリカが張った隠蔽魔術が揺らぎ始めた。
小細工も策略も、全てを力一つで破るための一撃。
「ハリカ、少し離れておれ」
ハリカはエリアルデのこの技に見覚えがあった。直撃せずとも余波だけでハリカには真似できない規模の破壊を生み出す攻撃。ここに居ればハリカも危ない。
そう判断して、ハリカは空間移動術式を用いて大きく距離を取った。
上空の黒雲より、エリアルデ目がけて特大の雷が落ちた。
雷は『雷切』の切っ先に触れると刀身に吸収された。雷を吸収した『雷切』はより激しく紫電を放ち、エリアルデを青く彩る。
エリアルデは、『雷切』を振り下ろした。




