龍神の聖母-04
「……ト……きな……ルト……」
遠くで、声が聞こえた。
どこか遠く、ずっと遠くだ。
うるさい。
俺は眠いんだよ。
「…………ハル……ルト……」
それでも尚、声は呼びかけてくる。
無性にイライラするのは何故だろう。
大体重傷を負って床に臥せっている怪我人を無理に起こそうとするなんて、常識が為ってないんじゃないのか。1日でも早い社会復帰のためにも、俺はゆっくり休んで傷を治さねばならないのだ。エリアルデ支局長にも迷惑をかけっぱなしだし。
俺の業務はきっと他の連中が何とかしてくれているとは思うが、それでも借りを膨らませっぱなしというのは性に合わない。
何よりもくーちゃんと一緒に公園に行ける日々を早急に取り戻さなければ、俺の精神安定という観点から見て……――――――。
くーちゃん?
あれ?
「ハル……起き……」
くーちゃんは、どうなった?
そうだ。
俺は、くーちゃんを守らなければならない。
何に代えても、例えこの命に代えても、あの子を守らなくてはならない。
俺はくーちゃんを守る。
でも、何から?
「ハルト…………ハル……」
大局的には、全てから。
直近では…………アパートを囲む、謎の勢力から。
そうだ。
俺は闘っていた。
魔術を封じられ、『投影』も万全ではなかったが、それでも持てる限りの力を尽くして闘っていた。
カーテナを退避させ、無声放電によって作ったオゾンで毒ガス攻撃を仕掛け、敵残存勢力を戦闘不能に追い込んだはず、だった。
俺は、負けた。
致命傷を負い、負けた。
左腕の切断、腹筋及び腹膜損傷、胸部損傷。生き残れるような傷ではなかった。
今こうやって意識を保てているのは、何故だろう。
だけど、本質的にそんなことはどうだっていい。
俺はくーちゃんを守る。守らなければならない。
こんな所で寝てるわけにはいかないのだ。
「ハルト!」
泥沼のような混濁と睡魔の中から、俺は浮上した。
♢♢♢
目を開ける。
見える。
手を上げる。
動く。
呼吸。
できる。
左腕。
ある。
「ようやく起きたか」
布団の上に上半身裸で寝かせられていた俺。その傍らのソファーに、息も絶え絶えといった様子で、大家が腰掛けていた。
半身を起こして周囲を見渡すと、まずのすぐ左横の畳にカーテナが突き刺さっていた。刀身の傷は既に無く、完治しているようだった。奥の部屋には相変わらず梅宮さんが横たえられ、その傍らで赤い服の少女が膝を抱えて眠っている。
さらに、何故かテンペスタさんとエリアルデ支局長が、全身包帯ぐるぐる巻きの状態で畳の上に転がされていた。二人とも、衣服は乱れ、包帯には血が滲み、戦場帰りの兵士のような有様だった。
俺には2人がどうして怪我を負っているのか、そもそもどうしてここに居るのか、全く分からない。ただ、2人への借りがまた膨らんだことだけは理解できた。
そして、
「……くーちゃんは……?」
「攫われた。エリアルデとテンペスタが追ったが、迎撃されて2人共虫の息だ」
「……は?」
「聞こえなかったか。クリスは奴らに攫われた。近傍に展開していた10人の他にも、正面から来る敵は全てなぎ払ったが、一瞬の隙を突かれた。悪かったな」
呼吸が大きく、深くなった。
くーちゃんが、攫われた?
どういう意味だ、それは。
くーちゃん、俺の大切なくーちゃんはどこだ。どこに居る。
息が荒くなっていく。俺はくーちゃんの姿を求めて、家中を見渡した。
机を、布団を、椅子を、畳を、窓を、壁を、キッチンを、廊下を、玄関を、見る。
居ない。
どこにも居ない。
カーテナ、大家、梅宮さん、アスカ、テンペスタさん、エリアルデ支局長。
ここまで来たら、後はくーちゃんだけだろ。
くーちゃんさえ居れば、何の違和感も無く収まる局面だろ。
何でだ。
くーちゃんは、くーちゃんはどこだ。
呼吸音はいよいよ大きくなり、ヒューヒューと耳障りな音に変わりつつあった。
狂ったように周囲を見て、白く小さい影を探す。
居ない。見つからない。
息が苦しい。呼吸しているはずなのに、苦痛が止まない。頭がぐらぐらする。
「落ち着け!!」
大家の怒声が響き、周囲が緑色に光った。直後、俺の周りの空気がゼリーのような粘性を持ち、まともな呼吸ができなくなった。
一呼吸するだけで体力を持っていかれるような状態なのに、どういうわけか、気分が良くなっていく。不快感が、収まっていく。
同時に、狂ったような焦燥感も引き波のように治まっていった。
「……すいません」
「落ち着いたか?」
「ええ、取り乱して、しまいました」
過呼吸、か。いつ以来だろうな。
緑色の光の正体は、多分風に物理的な威力を持たせる補助魔術だ。空気が重さを持てば、呼吸し辛くなる。俺が楽になったのは、それが理由だ。
「どれだけ私に世話焼かせたら気が済むんだい、このガキは」
「…………俺の傷を治してくれたのも……」
梅宮さんは床に臥せ、俺は魔術を使えない。となれば、切断された腕を繋げられるようなレベルの術者は、『龍神』の大家しかいない。
「いいや違う。タカス・ハルト、私が行ったのは、お前の治療ではない」
「治療では、ない?」
「お前は半ば死んでいた。生きている方が不自然な重傷を負い、あと数分放置すればくたばるような半死体となっていた。分かるか。肉体自体が『生きる』方向にではなく『死ぬ』方向に向かっているような状況だった。こんな状態では『神の薬』も作用しない」
左腕切断。胸部損傷、肋骨欠損、肺欠損。腹部穿孔、腹膜損傷、腹筋断裂。それらに伴う失血、脱水、発熱。
なるほど、確かにこれだけの傷を負っていたならば、生きているほうが不自然という表現も納得だ。
だが、それならどうして俺は生きているのか。
「だから私は、『輪廻』という術式を使用した」
「『輪廻』?」
「『龍神』固有の術式群の1つだ。この術式の作用は治癒ではなく、蘇生だ。死後間もない生命であれば、私自身の魔力と対象者の残りの寿命いくらかと引き換えに引き戻すことができる」
俺は驚愕と得心という相反する2つの感覚を同時に得ていた。
魔術でも『投影』でも為し得ないと思っていた蘇生が可能であるという驚愕。
出鱈目な力を持つ『魔神』と同格である『龍神』ならば、それも可能だろうという得心。
しかし何より、他でもない俺という人間が限りなく死に近づいたという事実に、俺は恐怖した。大家が居なければ、俺は死んでいた。くーちゃんを残し、カーテナを残し、エリアルデ支局長にもテンペスタさんにも借りを返さないまま、永久の眠りに就いていたかもしれなかった。『死』の淵に立ったことは過去数回ある。それでも死の淵に実際に落ちたことはない。今回は淵に落ちた後、寸でのところで引き上げられたから俺はこうしてここに居る。居られる。
「タカス・ハルト、お前の場合は生死の境目だったから軽微な方だったが、それでも数年という単位で寿命を失っている。肝に銘じろ。お前には、生きるべき理由がある。クリスを泣かせるような真似をしたら、私がただじゃおかない」
眼光鋭く大家は俺を睨む。が、そこに普段程のプレッシャーは無い。
『輪廻』がどれほどの魔力を使う術式なのか、俺には分からないが、莫大な魔力を消費する術式だということは今の消耗した大家の様子を見れば一目瞭然だ。
「分かってますよ。俺は、くーちゃんの親代わりなんだから」
「ならば、クリスのために生き抜く覚悟はあるか?」
「もちろん」
迷うまでもなく即答。
俺はくーちゃんを優先するあまり、国に喧嘩を売ったことだってある。
世界を選ぶか、女の子を選ぶか、というサブカルチャー世界の命題がある。時代によって主流となる解答は異なる。ある時代では女の子、ある時代では両方、ある時代では世界。その時々の流行によって、この命題の答えは様々に変化する。
だが、俺の解答は常に一通りだ。
くーちゃんを選ぶ。たとえ、世界を犠牲にしてでも。だけどくーちゃんが悲しむから、俺とくーちゃんの周囲の世界も守る。
これはヒロイズムでも何でもない。
一度全てを奪われた俺の、もう2度と失いたくないという、単なる我侭だ。
この我侭だけは、俺はなんとしてでも押し通すつもりでいる。
「よろしい。ならば一先ず現状確認から始めるとしよう。まず、お前の肉体の話からだ。お前の肉体は外傷こそ完治したものの、魔術を使える状態ではない。私の回復魔術を以てしてもそこまでは手出しができない」
言われるまでもなく、分かっていた。
どこかの歯車がずれているような些細な違和感が、今も体の奥の方に残っている。大家の力で肉体が復調したことで、体調不良を原因とする魔術的な不調もまた治ったようだが、梅宮さんの魔力を体に通したことによる不調はそのままだ。
状態としては、中級魔術でギリギリといったところか。高等魔術はまず無理、神級魔術は論外だろう。
「次に、クリスについて。奴らの目的は、クリスが持つ『龍神』の力を制御することだろう。お前という魔術師を脅迫するための人質だとすれば、お前の扱いがぞんざいに過ぎる」
同意だ。
俺への攻撃は、牽制というより排除を目的としたものだった。
俺を脅迫して意のままにしようとするならば、せいぜい半殺しで終わる程度の攻撃に終始するだろう。ところが、実際の攻撃は致命傷からのダメ押し攻撃2発。殺意しか感じられない組み合わせだ。死ななかったのは、大家がそこに居たという幸運の結果に過ぎない。
くーちゃんを兵器として扱うという思想自体は、何も目新しくも何ともない。かつてのアルキドア帝国がそうだったし、そもそも何故俺がくーちゃんを引き取ることになったかと言えば、くーちゃんの身柄を狙う者から守り抜くためという理由があったりする。
しかし、ここまで明確な形で行動に移してきた前例は無い。察知した段階で俺が潰したり、あるいは『神殺し』という嘘八百の二つ名が未然に行動を制限していた。実際のところ、俺は神を殺してない。そういうことにして、牽制を図るというのが梅宮さん達の策だったらしい。ところが今回の敵にはその策すら通用せず、『龍神』を出し抜いてまんまとくーちゃんの誘拐を成功させた。
今回の敵は規模が違う。国よりも大きい何かだ。タイミングにも作為を感じる。俺と梅宮さんが臥せっている時に襲撃してきたのは、多分偶然じゃない。全て知られていた。そう考えるほうがよほど自然だ。
「龍神の力って、外からの力でどうこうなるものなんですか?」
「無理だ。魔と龍、王と神の四役が持つ力は、適格者でなければ扱いきれん。ここ数百年の魔術隆盛で、適格者でもないのに魔神の領域に足を突っ込んだものは数名居るが、その誰もが力を制御しきれなかった。龍神のそれも、魔神と同じだ」
「だったら、くーちゃんを誘拐したってどうしようもないはずじゃ」
「力そのものはどうしようもない。だが、力を保有する器の方はどうだ。洗脳してしまえば、どうにでもなるとは思わないか?」
「……敵の目的は、くーちゃんを洗脳して意のままに操ることだってことですか?」
「その可能性が最も高い。そして、クリスを誘拐された今、その可能性に賭けるしかない」
俺は目を細めて大家を見た。
言っている意味が分からない。その可能性に賭けるって、どういうことだ。
くーちゃんが攫われたこの時点で、ほとんど詰みみたいなものだ。
行方も所属も分からない。くーちゃんをどこに連れて行ったのか、皆目見当もつかない。
それのどこに、賭けるような要素があるというのか。
「分からんのか。クリスの洗脳が目的ならば、クリスは『確実に生存している』ということだろう。生きてさえいれば、何とかなる。方法はいくつかあるが、その中で最も有望な手段を、お前に教える。お前にしかできない。だから、残り少ない魔力を消費して、お前を治した」
何かと思えば、そういうことか。
「……くーちゃんを探知魔術で捉えることは、できない」
魔力で対象を捜索する探知魔術で捕捉できるのは、生者に限られる。死者は魔力を持たないからだ。
更に例外的に、高い魔力耐性を持つ者相手に探知魔術を使うことはできない。
カミラがそうだったように、くーちゃんもまた、龍神として高い魔力耐性を持っている以上、探すことは不可能だ。
「探し出すことに変わりは無いが、使う手段は魔術ではない。もっと原始的で、本能的な手段を使う」
「原始的……?」
「テンペスタとエリアルデの妹、つまり、クリスの母親に協力してもらう」
「え、いや、その人は、もう亡くなったはずじゃ……」
俺がくーちゃんを引き取った理由はいくつかあるが、そのうちの1つに、くーちゃんが親を失った孤児だったから、という理由もある。
くーちゃんの両親は死んだ。
そう語ってくれたのは、テンペスタさんだった。
「フン」
大家は、笑みを浮かべた。
嘲るのでもなく、誇らしさのような感情を湛えて。
「お前とて、クリスの身を守るために色々と仕掛けておっただろ。同じことだ。なあ、『インベル』」
『あら、気付いていたんですね』
後ろから突如響いた知らない人物の声に驚いて、俺は振り返った。
そこには、半透明の、真っ白な女性が立っていた。




