龍神の聖母-02
1日くーちゃんと遊び倒した俺は精神的には超回復していたが、肉体的にはいまだガタガタだった。
他者の魔力を体に通した余波は大きい。適切に制御すれば回復力の底上げすら可能となる万能の力、魔力が、今は俺の肉体の回復力を制限している。乱雑な魔力は体にとってむしろ有害だ。気の流れが乱れている、とでも言えばいいのだろうか。
それでも徐々に快方に向かっているようではあるので暫く大人しくしていれば元に戻るだろう、というのは大家の弁だ。
ところで『大人しくする』と言えば、普通は自宅でのんびりする程度のことだと思うのだが、今回に限ってはどうも違ったらしい。
「イテッ」
自力で立ち上がろうとした俺は、あろうことか自分の足で体重を支えきることができず、よろめいてへたりこんでしまった。大家に攻撃を仕掛けた時のように『投影』で補助してやらなければ、自力で歩くことすら困難という現実に、心の方まで折れそうだった。
『大人しくする』というよりは『絶対安静』の方が正確なくらい、今の俺の肉体はズタボロだ。仕事なんて100パー無理。働くどころかそもそも職場に辿り着けない。
「あー、チクショウ」
『投影』で座標を書き換えれば一応は移動できるのだけれど、1つ問題がある。
トイレである。
食事をして喉を潤している関係上、普通にトイレに行きたくなるのだが、その度に負荷の大きい座標の『投影』を行っていては脳の回復が遅れてしまう。そういう訳でできるだけ『投影』の使用は控えたいのだが、自力の二足歩行は厳しい。さて、どうしたものか。
まるで生まれたての小鹿のようにへたり込みつつ考えていた俺の背後から、何やら嫌な気配を感じた。
「ふふ……主様、立てない……力が出ない……魔術使えない……抵抗できない……ふふふふ……」
背筋を強烈な悪寒が通り抜けた。
気配の正体は言うまでも無くカーテナだ。普段であれば失笑と溜息を伴いながら実力行使で邪な企みもカーテナ本人もまとめて潰すのだが、如何せん今はこの体調だ。
魔術は使えない。筋力で抑えることもできない。『投影』はガタガタ。
変態を抑える手立てが、俺の中には残されていない。そのことを意識した瞬間、俺は今までどれだけの脅威と戦ってきたのか理解した。理解して、戦慄した。
「じゅる」
実際の生存年数はこの際置いておくとして、見た目うら若き少女ならば間違っても発してはいけない類の音が聞こえた。
俺は身を硬直させた。さながら虎に遭遇してしまった哀れな鹿のように。
やばい。食われる。
「あっるじーさまー♪」
白々しい猫撫声が大型肉食獣の咆哮に聞こえる。もはや一刻の猶予も無い。
選択肢は2つ。
1、諦める。
2、『投影』を無理してでも使う。
考えるまでも無かった。
俺は失神覚悟で重力のイメージを練り上げると、カーテナの正確な位置を捕捉するため、振り向いた。
まず、欲望に塗れたえげつない金髪美少女の顔を確認して、俺は冷や汗を流した。金髪の変態は両腕を広げて、俺に飛び掛ろうとしていた。その姿は威嚇する熊のようだった。
次に、視界に赤い何かが映りこんだ。
赤い何かは姿が霞む程の速度で以てカーテナに激突し、カーテナと絡まるようにごろごろと転がって、壁に激突して止まった。
え?
何?
「……いったー……、何すんのよ姉さん!!」
「アンタこそ、主が動けないのにつけ込んで何しようとしてんのよ!!」
梅宮さんに『アスカ』と呼ばれている少女。赤い着物のような衣を着た巻き毛の少女が、カーテナにタックルした、のか?
いや、それより、『姉さん』?
俺は巻き毛の少女の顔を凝視した。
なるほど、確かに造形は似通っている。目の形、鼻筋、口元、眉。どのパーツにも大きな違いは無い。二人の大きく違う点は、髪の色と毛質ぐらいだった。どこか神秘的な雰囲気さえ宿す碧眼も、顔の彫りの深さも、輪郭も、良く似ている。
どうして今まで思い至らなかったのか不思議なくらい2人はそっくりだ。
凝視されていることに気付いたアスカは、気持ち体を引いて、俺を睨みつけてきた。
「な、なによ……」
「いや、そういえば、そっくりだなぁって」
「私の姉なんだから当たり前よ」
「初耳だ」
「そうだっけ?」
「そもそも、お前自身の話ってあまり聞いたこと無いな。お前、元々人間だったんだっけ?」
そう言うとカーテナはさっと表情を曇らせ、アスカはカーテナを睨んだ。
「ちょっと、アンタ、まだ話してなかったの?」
「だって……」
「いや、別に話したくないならそれでも」
「いいえっ! 私達の成り立ちを、あなたやユウヤ様は知っておくべきなんです。どうして私やこの子が『この世界には本来存在しないはずの形状』の刀剣なのか、あなたやユウヤ様だからこそ、知らなければいけないんです!!」
アスカにそうまくし立てられた俺は、それ以上宥めるのをやめた。
そうまで言うからには、きっとそうなんだろう。
それに俺は、確かにずっと気になっていた。
何故この世界に『日本刀』があるのか。
エリアルデ支局長の『雷切』、俺の『カーテナ』、梅宮さんの『アスカ』。今まで確認したのはこの3本だけだが、いずれも明らかな日本刀で、この3本以外の日本刀を見たことは無い。
この世界に和食は無い。日本文化は無い。だから俺はわざわざ研究して再現しようと努力してきたのである。
東方世界の民族衣装は着物と酷似しているが、あれはあちらの文化の一部として、必然性から生じた衣服だ。似ているだけで元居た世界の着物とはやはり異なる点が多すぎる。
しかし、日本刀だけは、自然発生したとは考え難い。
造形は完璧。どこからどう見ても非の打ち所のない日本刀。切れ味良し。重さ良し。刀身には刀独特の美しさが備わっている。明らかに洗練された文化を持つ一品だというのに、異物のように、他の文化と混ざらず、ポツンと浮くように存在している。
これで疑問に思わないわけがない。
「カーテナ、良ければ話してくれないか。俺も、ずっと」
気になっていた。
そのワンフレーズを言い切る前に、突然俺の視界がぐるりと回転した。
吹き飛ばされた。
そう認識するより前に壁と激突し、背中全体で痛みが弾けた。
「ううぅぅぅ」
歯を食いしばりうめき声を上げつつも苦痛に耐える。
隆起して破裂した床。吹き飛ばされたカーテナとアスカ。
しかし2人は直前で『破断』を発動したらしく、俺のようにダメージを受けることはなかったようだ。
障壁魔術さえ機能していればそもそも吹き飛ばされること自体あり得ないのだが、障壁魔術はおろか下級魔術すら満足に使えず、しかも身体能力まで低下している現在、俺には苦痛に耐えるぐらいしかなす術が無い。
霞む視界の奥に立つのは、白い老婆。
間違いない。
床を吹き飛ばしたのは、大家だ。
ソファで熟睡しているくーちゃんに一切の累加が及ばなかったのは不幸中の幸いだ。どういうつもりなのか知らないが、とりあえず俺には怒鳴り付ける権利があるはずだ。
テメエクソババア!
しかし、怒そう鳴る前に先手を打たれた。
「悪かった。緊急事態故に手荒になった」
あの大家が、俺に謝罪をした。
あの大家が、俺に謝罪をした。
吹き飛ばされた痛みも忘れて、俺は目を丸くしていた。
さらに大家が口にした言葉に、俺はまたも驚くことになる。
「カーテナ、アスカロン、主を守れ。ハルト、お前は身を張ってクリスを守れ」
「……何を言ってる」
「囲まれてる。敵は10名。狙いは8割方クリス、2割でハルト、お前だ。床をぶち破ったのは、私が奴らの目に触れずこの部屋に辿り着くため。呆けている暇があったらとっとと戦闘の準備をしろ!」
大家の剣幕に押されて、カーテナとアスカはそれぞれ『破断』を纏い、俺は『投影』の用意をした。
怪我がどうのと言っている場合ではない。
大家は冗談を言わない。まして、自身の財産であるアパートを自ら破壊してまでドッキリをしかけるようなタイプでは断じてない。
正直かなり混乱していたが、俺もそこそこの数の修羅場はくぐっている。今までの経験が警鐘を鳴らしている。
これは本物だ。
ここで即座に用意ができないなら、何でもありの戦争的な実戦では死ぬしかない。
魔術は使えない。『投影』も大規模な事象の顕現はできないだろう。
それでもやるしかない。
敵がくーちゃんを狙っているとなれば、尚更だ。
だけど、ここまで力を失っている俺にくーちゃんを守りきることなんて本当にできるのだろうか。
そんな疑問があったこともまた、事実だった。




