叛逆の皇女-28
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
ぼやけた視界は徐々に鮮明になっていく。
「……ぁ?」
口の中がパサパサしていて、発声が上手くいかない。
冬場の寝起きにも口の中が乾ききって不快になることはあるが、それよりも数段酷く感じる。
「あ、ハル起きた!!」
突っ込んできた白い影を俺は条件反射で受け止めようと試みたが、反応はできても体が動かず、結局ただのしかかられた。
衝撃は大したこと無い。
まだまだ小さく軽い体躯を支えきれないほど俺は柔ではない。
絹のように繊細でしなやかな白髪。雪のように白い肌。好奇心に満ち満ちた赤い瞳。
『龍神の御子』として、次代の龍神となることが確定している龍族の少女、くーちゃん。
のしかかってきた白い影の正体だ。
…………記憶の整合性が取れない。
どうして今ここにくーちゃんが居るのか。
ここは…………俺の家だ。
カミラを治療しきったところまでは覚えている。その後、限界を迎えて意識が遠のいたことも、覚えている。
それ以後の記憶は全くない。
今がいつなのか、どうしてここに居るのか、カミラは大丈夫なのか、その全てが不明確だ。
「やっと起きたか」
「!?」
あまり聞きたくない声が聞こえ、俺は一瞬身を硬直させた。
大家!?
どうしてこいつがここに!?
「またクリスを置いて無茶したね、タカス・ハルト。クリスがどれだけ心配したことか。この女たらしの愚か者が!!」
「ちょっと待った! 何でアンタがここに居るんだ!?」
「クリスの面倒を見るために決まっておろうが!! 1週間も眠りこけおって!!」
「1週間!?」
「当然来月の家賃は3倍増しだ」
「ちょ……、大家さん、3倍は横暴すぎませんか。せめて2倍に」
「3倍だ」
「こんのババア!!」
交渉の余地無き横暴を認めるわけにはいかない。
俺はくーちゃんを安全圏のソファーに『投影』で移動させると、身体能力を底上げする魔術を発動して飛びかかった。
が、しかし。
「がっ」
期待していた推力の半分も出ず、捉えきれないほどの速度で以て俺は大家に抑え込まれた。
重心を押さえられ、身動きがとれない。脱出しようと魔術を使おうとして、今度は不発に終わった。
「アンタ、自分の体に起きたことも理解できてないのかい」
「…………!」
「他人の魔力を使用したツケだよ。魔力の生成から制御まで、あちこちがガタガタだ。少なくとも2週間はその調子だろうさ」
「2週間……」
「ウメミヤとかいう小僧はもっと酷い。あちらは、まず目を覚ますかどうか。流石にこれ以上は面倒見きれないから、医院に移す。そのための費用がアンタの家賃2ヶ月分だ」
締め切られた奥の戸を『投影』で開けると、布団が敷かれ、梅宮さんが寝かされていた。傍らにはアスカと呼ばれていた少女の姿があった。
「今までに2度、呼吸が止まった。私の癒しの魔力で死の危険は回避したが、意識が戻るかどうかは別問題だ。一体どんな魔術を使ったらあんなことになるんだか」
そういえば梅宮さんは、前に魔力を用いた『投影』の実験をしたときに危うく死にかけたと言っていた。
俺は、制御ミスの度に勝手に起こる事象の暴発に巻き込まれてのことだと思っていた。
いや、もちろんそれも原因の1つには違いない。事実俺も至近距離で発生した正体不明の爆発に巻き込まれて、側頭部に傷を負っている。俺という外部制御装置を得てもこの様なのだから、『暴走』とやらはもっと酷かったはずだ。
だけどそれ以上に、こうして限度を超えて脳にかかる負荷の方がより直接的に生死に関わったのは間違いない。
たかだか魔力の整流器役を果たした俺ですら1週間寝こみ続けたのだ。俺は、梅宮さんが構築した陣の一端を担ったにすぎない。
陣のド真ん中で力を行使した梅宮さんの身を襲った負荷は、俺の比ではないはずだ。
「カミラとかいう小娘はピンピンしてるそうだ。アンタといい、この小僧といい、何故他者のためにそこまでするんだい。私には理解できないね」
こちらの常識に照らし合わせれば、大家の言葉は正しい。容易く人の命が失われる環境下では利他的な者ほど早死にする。
『善い奴程早く死ぬ』
この世界では、確かにそうだ。
「困った人がいたら助けなさいって、そう教えられて育ったんで」
目の前に失われかけている命があって、手の中に少々の犠牲と引き換えにその命を助ける手段があれば、迷っても最後には使ってしまう。俺も梅宮さんも、残念ながら、しかし誇るべきことに、そういう人種だ。
「フン。青い青い」
大家は鼻で笑ったが、しかし、心のそこからの侮蔑の色は無かった。
♢♢♢
「ねぇ、ハル、お絵かきしよ!」
数日に渡って放置してしまった贖罪の意も込めて、俺はくーちゃんと思いっきり遊ぶことにした。
魔術は使えないし、全身ガタガタで動くのも辛い。医院からお迎えがくる明日まで梅宮さんの身の回りの世話も必要だ。
そういう諸々の状況を、突然ドアを蹴破るような勢いで我が家に(文字通り)転がり込んできたエリアルデ支局長に話すと、二つ返事で有休が取れた。もちろん1日中梅宮さんの周りでばたばた動くわけもないので、こうしてくーちゃんと遊ぶ余裕もあるというわけだ。
カーテナとくーちゃんと卓を囲んでお絵描きをしているだけなのに、不思議と優しい気持ちになれて、ゆっくりと流れる時間を楽しむことができる。
ここのところ厄介事に首を突っ込みすぎて、まともにくーちゃんを構ってやれていなかったことに俺は気付いた。
「ねぇ、影はどうやってつけるの?」
「この辺にお日様があるって想像してみようか」
「お日様があったら燃えちゃうよ」
純真無垢なるくーちゃんの懸念はまさにその通りだが、俺は子供特有の思考の柔軟さよりも前に、その可愛さの前に屈してしまいそうだった。
すなわち、疑似太陽生成術式『レーヴァテイン』を以て極小の太陽を作り、実際に影ができる様を再現するという、魔術の無駄遣いの欲求に駆られていたのだった。
しかし、欲求に駆られたところで今は何の問題もない。
身体強化用の魔力すら制御できない以上、とてもじゃないが精緻な魔力の制御を要求する『レーヴァテイン』は使えない。
実際に『影ができる』という現象がどんなものなのか、『教育的な意味で』見せてやりたいのは山々なのだけれども。
魔術とは別系統のもう1つの異能・『投影』も今の体調では制御しきる自信がない。念動程度ならまだしも、火や光を生成し、しかも安全に運用できるかどうか、全く未知数だ。くーちゃんの身を守る障壁魔術は、俺の魔術的な体調に連動して停止している。もし暴発でもしたらおしまいだ。
役立たずの俺はカーテナに目配せをして、救難信号を送った。
無言のうちに意志疎通が行われ、カーテナは頷いた。
「くーちゃん、見てて」
カーテナは鉛筆を縦に持つと、上斜め45度方向にもう片方の手をかざして『破断』を発動させた。金色の光が生じ、鉛筆を照らし、『影が生じる』。
「こんな風に、光ってる方の反対側に伸びるのが影なの」
「くーちゃんの絵だと、どのあたりにお日様があるのかな?」
「えーとね……、この辺!」
実例は理解を早める。そんな理屈で高校時代は散々実験やら実習やらいろいろと『体験』させられた。色々な疑問について、こんな風にくーちゃんに実演して見せてあげるというのも面白いかもしれない。
くーちゃんが影の概念を感覚的に理解したらしい様子を見届けると、俺は次の一筆を書き加えようとして鉛筆を手に取った。その瞬間、鮮烈な苦痛が頭を殴りつけ、俺は持ち上げた鉛筆を落とした。
周期的に強弱を繰り返す苦痛はやがて鎮まり、やがて完全に消え去って後には不快な汗だけが残った。
面倒ごとに首を突っ込むと、いつもこの様だ。
制御不能なわけのわからない力を解き放つことになったし、大怪我するし、挙句に魔術が使えなくなってしまった。
俺の周りの人間を助けに入ろうと走り回った結果の傷だから、正直他人の危機を黙殺して放っておけば負うことはなかった傷ということになるが、しかし、それは俺の主義に真っ向から反する。
自分と自分の周りの世界だけは、意地でも守る。
弱肉強食が今だまかり通るこの野蛮の世界で俺が定めた1つの基準だ。
くーちゃんを、エリアルデ支局長を、ハリカさんを、カミラを守るために奔走する俺の姿は、大家を始めとするこの世界の大多数にとって『滑稽』そのものに違いない。それでも俺は、繋がりを強制的にすべて奪われた俺は、せめてこの世界で育んだ絆を大切にしたい。
この頭痛も、そういう風に考えれば一種の『勲章』と捉えることもできるはずだ。
面倒ごとはすでに過ぎ去った。魔魂石は排除し、カミラのクーデターは成功し、禍根はすべて消し去った。残るはこの頭痛と、梅宮さんが負った傷だけだ。それもいつか、時が癒してくれるだろう。
そんな風に、過去のことはポジティブに受け止めて、のどかな空気と緩やかに流れる時間に身を委ねて、俺はくーちゃんと遊ぶことのできる『今』を過ごすことに決めた。
インターネット、ようやく開通しました。できる限りペースを回復させていこうと思います。
20140527追記
これにて『叛逆の皇女』編は終了です。次回からは時系列的に連続している次編、『龍神の聖母』となります。




