叛逆の皇女-18
何故だか今日はくーちゃんの寝付きが悪かったので、カーテナが数百年の昔に親から受け継いだという子守歌でくーちゃんを寝かしつけていた。
食器を洗いながら歌詞の内容に耳を傾けていると、面白いことに気がついた。
この歌は言霊だ。
通常魔術の発動には魔力と所定の魔法陣が必要だ。魔法陣は魔術のイメージそのものであり、この魔法陣の現出にはその魔術への深い理解が必要となる。
では、深い理解を伴わずに魔術は使えないかというと、そういうわけではない。
発動までにタイムラグが生じてしまうが、発動したい魔術に対応した『言霊』を詠唱することで、魔法陣を呼び出すことが可能となる。
もちろん戦闘においては言霊の詠唱は致命的な隙となる上に、言霊詠唱で発動する魔術と理解に基づく魔術ではその正確さや威力が異なる。実力者は魔術を無詠唱で発動できるよう訓練しているのが普通だ。
日本語で文を書いた後に自動翻訳で英訳するか、最初から英語で文を書くかの違いに似ている。
カーテナが歌っている子守歌に含まれる歌詞は、一部高等魔術『優しき眠り(ヒュプノス)』にも通じる言霊そのものだった。
まだ魔術が今ほど体系化されていないからあったという古い子守歌だから、先人達は経験則でその歌詞を獲得していったのだろう。
やがて、すーすーと規則正しい寝息が聞こえてきて、カーテナの子守歌も終わった。
「主様、寝入りました」
「ご苦労さん。片付け終わったら俺も寝るわ。先に寝ててもいいぞ」
「夫婦の営みは?」
「ない」
いつも通り、カーテナのセクハラ発言を適当に流して、俺は食器洗いを続行した。
と、突然。
前触れも無く、ただ突然に、頭がぐわっと揺れた。
「う……」
手に持っていた皿を落とす前に水桶に放り込み、俺は身体を支える物を求めてふらついた。
たまたま手に触れた食器棚にもたれかかるようにして体を支え、脳をシェイクするような眩暈に耐える。
さらに、頭の中に何かが差し込まれてくるような印象を覚えた。
この感覚には覚えがある。
以前、俺は2回、エリアルデ支局長の命の危機を、事が起こる前に感知したことがあった。回を重ねるごとに眩暈が強烈になっていることを除けば、過去2回と今回の眩暈はほとんど同じだ。
突然頭の中に差しこまれた、1つのヴィジョン。
要所に鈍色のアーマーを備えた、どことなく上品な印象を受ける衣服を着ているこの女性は、多分カミラだ。そうだと『知っている』。
カミラの腹部から突然血が飛び、崩れ落ちるようにうつ伏せに倒れた。みるみるうちに広がっていく血溜り。
狂気の笑みを浮かべる誰かがカミラの後ろに立っているが、その人間が誰なのかまでは分からなかった。
ヴィジョンはそこで終わった。
間違いない。
これは『予知』だ。
「主様!?」
カーテナが慌てて駆け寄ってきて、俺の身体を支えてくれた。
ヴィジョンが終わると同時に眩暈も急速に和らいでいき、少しして俺はようやく自立できるコンディションになった。
「もう大丈夫だ」
「主様、お疲れなら早く休んでください。後の片付けは私がやりますから」
「いや、そういうのじゃない。『予知』だ」
「……じゃあ……また誰かが……!」
「ああ。カミラが死にかけてた。場所は屋内だけど、やたらと天井が高かったから、候補は絞られるな」
教会、聖堂、集会所、劇場、城、要塞。
天井の高さから推定された場所は、そういった巨大な建築物の可能性が高い。
カミラが帝位簒奪を企てていることを考慮すると、このまま放置すれば彼女が死にかけることになる建物とは、『城』だ。
アルキドア帝国帝都の中央にそびえる軍事力と権力の中枢の城。恐らく、ヴィジョンの舞台はそこだ。
そこから逆算して考えれば、カミラは独自にアルキドア帝国に対してクーデターを起こす、もしくは既に起こしてる可能性がある。
パーシヴァルがどうしてあれほど慌てていたのか、何となく分かった。
彼らも、カミラの命か、独自の判断なのかはわからないが、クーデターの準備を進めていたのだ。
ごく近い未来に確実にカミラは武装して城の内部にまで攻め入ることになるが、曲がりなりにも1つの帝国の首都。単身ではその中枢に簡単に潜り込めるわけがない。
確実に彼女をサポートしている人員が居る。それも、帝国の騎士や宮廷魔術師に対抗できる程の質と力を持つ者達が。そんな人員が一朝一夕で集まる訳も無く、カミラは逃げることに全力を注いでたと考えれば、自ずと何が起こっているのかは推測できる。
カミラは逃亡後、亡命した有力者を回り、抵抗勢力を集めて回った。その過程で刺客に襲われて負傷し、偶然俺とエアリアが助けた。その後俺の家を抜け出してからは潜伏を続けている。
カミラが刺客に襲われて以降、パーシヴァル達協力者はカミラの捜索と並行して勢力を集め続け、その過程で我が家の襲撃に至る。
その後カミラとパーシヴァルは合流し、集めた勢力を以てアルキドア帝国に反乱を起こそうとしているか、既に起こしている。
となると、『予知』した場面の到来は、そう遠くない。
「カーテナ、今すぐ準備をしてくれ。カミラが殺される前に、アルキドアに向かう」
「分かりました。でも、あの、くーちゃんはどうします?」
「テンペスタさんに預けよう。事情を説明すれば分かってくれるはずだ」
『予知』で見える未来が訪れるのはいつなのか。
来週か、明日か、それとも1時間後か。
今分かっているのは、時間の経過と共に惨劇を防げる確率は低下する、ということだけだ。
♢♢♢
「そういう訳で、くーちゃんをお願いしたいんですけど」
「預かる分には一向に構わんが……旦那は大丈夫なのか? アイツらの兵器で姉貴は死にかけたんだろ? いくらが旦那が強いと言っても、100%安全って訳じゃねえだろ?」
「一応前に襲撃した時よりは俺自身の力も上がってますし、向こうも万全の体制じゃないので、俺は多分大丈夫です。問題は皇女の方です。このままだと、多分死にます」
「そもそも、旦那が首を突っ込まなきゃいけないような問題なのか? もし旦那に何かあったら、クリス様はどうするんだ?」
「……」
痛いところを突かれた。
もし俺に何かあったら、くーちゃんは深く悲しむだろう。
今晩やけに寝付きが悪かったのは、多分俺が戦闘に身を投じようとしていることをぼんやりと『予知』か何かで分かっていたからだ。魔神化したあの時も、くーちゃんは寝付きが悪かった。
くーちゃんは、俺が戦うことを不安に思っている。本当の親と生まれてすぐに引き離されることになったくーちゃんは、無意識的に2度目の別離を避けようとしているのだろう。
しかし、だからと言って、カミラを放置するわけにはいかないのだ。
「アルキドア帝国はくーちゃんが『龍神の御子』だと分かったうえで、くーちゃんの身柄を狙っています」
「……クリス様がここに居ることもバレてるのか?」
「多分。それでも襲ってこないのは、くーちゃんのすぐ側にはいつもカーテナが居て、普段くーちゃんが居るこのアパートに『龍神』や俺、テンペスタさんが住んでいるからだと思います。ただ、それも一時的なことだと俺は踏んでいます」
「帝国の軍事力次第、ってことか」
俺は頷く。
「魔魂石を増産して自信を付ければ、アルキドアは躊躇なくリアナに攻め入り、ここまで侵攻してくると思います。くーちゃんの身の安全を保障するために、今皇女を失う訳にはいかない。それに、カミラの母親は俺の恩人です。彼女から受けた恩を、仇で返すわけにはいかない」
テンペスタさんは目を瞑って考え込み、やがてふぅと息を吐いた。
「分かった。だが、必ず生きて戻ってこい。クリス様には、まだまだ旦那が必要だ」
「もちろんです」
カーテナが眠り込むくーちゃんをテンペスタさんに慎重に渡した。
「少し重たくなったな」
「まだまだ成長途中ですから。では、お願いします」
俺がテンペスタさんの部屋を後にしようとした、その時。
「待って!」
奥の部屋からエアリアが飛び出してきた。
ついさっき見た時には自分で編んだらしい毛糸の灰色のパジャマを着ていたのに、今はもういつもの衣に着替えている。
「私も連れて行ってくれ!」
「何言ってんだエアリア」
これから俺が出向く先で起こるのは、良くて小競り合い、最悪戦争だ。
そんな所にエアリアを連れて行くわけにはいかない。エアリアは強いが、それでも何かあったら俺はテンペスタさんに顔向け出来ないし、何より俺が悲しい。
「エアリア、旦那を困らせるな。アルキドアには姉貴もやられかけてるんだ。お前も同じ目に遭いたいのか?」
「私は自分が助けた命に最後まで責任を持ちたい。それにあの子は、私と同じだ」
「……同じ?」
「あの子は復讐に狂ってる。このままじゃ絶対に取り返しのつかないことになる!」
必死な様子のエアリア。
そういえば、カミラに『魅了』で操られた後、少し会話をしたと言っていた。あの時に、何か感じるものがあったのだろうか。
「私も連れて行ってくれ! 私が龍の姿で飛べば、ハルトよりも早く着く。危険だったら迷わず引く。戦力は少しだって多い方が良いはずだろう?」
「けど……」
ここまで必死な様子のエアリアを見たことは過去1度だってない。
浅薄な考えで同行を願い出ている訳ではないことは、嫌というほど伝わってくる。
加えて、エアリアの言うことには一理あった。
梅宮さんにはついさっき行動を起こす旨を伝えたから、今のところのこちら側の戦力は俺と梅宮さんだけだ。単純な『力』という意味での心配はないが、組織に対抗するとなるとたった2人では心もとない。
『場』を制圧することにかけては随一の性能を誇る操風系魔術の達人であるエアリアが味方に加わってくれれば、色々と助かるのは事実なのだ。
さらにエアリアが俺を運んでくれるという。確かに俺が超長距離の『投影』による疑似瞬間移動を繰り返すよりも、エアリアに頼った方が早いし、力の消費も抑えられる。
だけど、これは人の生き死にが関わった殺し合いだ。
そこに進んでエアリアを巻き込むことは、やはり俺には……。
俺が逡巡していると、テンペスタさんが溜息をつきながら発言した。
「旦那、俺も行く。どうせ旦那はエアリアの身の危険を心配してるんだろ? だったら、俺が護衛に付く。それだったら問題あるまい。くーちゃんは『龍神』様に預けるが、構わねえか?」
「ちょっと、テンペスタさんまで何言ってるんですか。これは俺の問題です。そんなわざわざ危険に首を突っ込むようなことなんて」
「旦那だけの問題じゃねえ」
俺の抗弁は途中で遮られた。テンペスタさんの目は、真剣そのものだ。エアリア同様、伊達や酔狂でこんなことを言っているのではないと、目が語っている。
「俺の余生はクリス様のためにある。妹を守りきれなかった俺だ。せめて姪ぐらいは守りたい。そのためだったら、俺も何だってするさ。旦那と同じだ。それに、俺はこいつのこんな真剣な様を見たのは初めてなんだよ。旦那、俺の我が儘を、聞いてくれ」
「おじいちゃん……」
……もうこうなったら梃子でも曲がらないのがこの姉弟の特長だということは、過去何度も経験している。
テンペスタさんは、『神の鎖』で縛り上げても力付くで破って追いかけてくるようなあの姉の弟なのだ。
「だったらとっとと行っておいでな」
突然背後から聞き覚えのあるあまり聞きたくない声が聞こえたかと思えば、そこには大家が居た。
「テンペスタ、エアリア。エリアルデの二の舞にならぬよう、重々注意するように」
「は、はい」
「心得ました」
挑むこと数百回。『神殺し』、『魔神』と呼ばれ、少なくとも世間一般よりは遥かに強いはずの俺は、大家に1度として勝てていない。この小柄な老婆のどこにそんな力があるのかと思っていたら、この老婆、『龍神』だったから驚きだ。
いつものこにくそい目を俺に向け、大家は言う。
「ハルト、もし次私の手を煩わせて見ろ。家賃3倍にしてやるからな」
「りょ、了解です」
ちょっと良い人っぽかったのにな……。
やはり俺はこの大家とは相容れることはない。
「クリスを渡しな。帰ってきたら、下においで」
言霊の力で深く寝入るくーちゃんがふわりと浮き上がり、テンペスタさんの腕を離れた。
どういう種類の力が作用しているのか、さっぱり見当がつかない。
浮かび上がったくーちゃんは、そのままふよふよと浮かびながら、大家に連れられていった。
本当は大家にくーちゃんを預けるなんて死ぬほど嫌なのだが、背に腹は代えられない。俺が居ない間にくーちゃんを狙う不埒者が現れないとも限らないのだ。
まあ、大家のババアは実力だけは確かだから、主観を排せばくーちゃんを預ける相手としては最適なのは間違いない。
そう自分に言い聞かせて、俺は無理やり納得しようとした。
「主様、すごい顔してますよ。血管切らないでくださいね」
「旦那はどうして大家とここまで仲が悪いのかね」
「結構良い人だぞ」
大家と対立しているのは、どうやら俺だけのようだ。
くーちゃんも実はそこそこ大家に懐いていることを思い出して、俺は孤独感を覚えた。




