叛逆の皇女-16
次元を隔てた向こう側にある俺の祖国には、出汁を取る文化があった。
昆布、鰹節、椎茸、海老、煮干し、ほか多数。
出汁をとれる食材は数限りなく存在し、出汁を起点に作られる料理も少なくない。
その究極形の1つ、『鍋』が我が家の食卓に並んでいる。
食卓の中央に据えられた鍋の底を、俺は魔術によって熱している。
ぐつぐつという音が蓋越しに聞こえてくるが、まだ我慢だ。
「ねぇ、ハル、まだ食べられないの?」
「もうちょっと待ってね。もう少ししたら煮えるから」
山海の食材を色々とねじ込んだ土鍋は、食欲をダイレクトに刺激する香りを放っている。既に箸も皿も並べ終え、後は鍋の完成を待つのみ。
くーちゃんは初めて見る『鍋』という料理を、好奇心と期待に満ちた目で心待ちにしている。この鍋の出来は、きっとくーちゃんの期待を上回るものになるだろう。
と、その時、蓋の縁から煮立った汁が漏れ出してきた。
今だ。
俺は土鍋の蓋を掴み、開けた。
瞬間、数多くの山海の幸から染み出た香りが、水蒸気と共に拡散、俺たちの鼻孔を直撃した。
俺は深呼吸して香りを摂取。くーちゃんは満面の笑み。カーテナは目を輝かせた。
「さあ、食べようか。くーちゃん」
「手を合わせて」
「「「いただいます!」」」
そう唱和して、鍋をつつこうとした、まさにその瞬間。
我が家の扉が、けたたましい音と共に破られた。
剣を帯びた礼服姿の老人を先頭に、魔抗銀製と見られる半甲冑を装備した騎士が5名、室内に押し入ってきた。
「カーテナ!」
阿吽の呼吸でカーテナは即座にくーちゃんをその背の陰に隠し、両腕に『破断』を帯びた。少なくともこの状況、くーちゃんに降りかかる火の粉だけは確実に払わなければならない。
「タカス・ハルトとお見受けする。姫をどこへやった?」
剣を帯びていること以外は執事然とした老人が問いかけてきた。
まずいことになった。
あの半甲冑の意匠は、明らかにアルキドアのものだ。すなわち、アルキドア帝国がとうとう本気で俺の首を取りに来た可能性が高い。
姫、というのは、多分カミラのことだ。
大方カミラを追ってきた刺客が偶然俺がカミラを運んでいるところを目撃し、一網打尽に始末しようとここまで踏み込んできたのだろう。
「カミラなら、どこに行ったのか俺が聞きたいぐらいだよ」
「……大人しく話した方が身のためだ」
「アンタこそ、自分の身を心配した方が良いんじゃないか?」
問答無用で斬りかかるべきタイミングを、侵入者は逃した。会話をしている間に、俺は重力場のイメージは練り終えた。
「ガッ……ハ……」
「グォ」
魔抗銀で身を固めた奴らには、『投影』で強烈な重力を。
赤黒い魔法陣が礼服の老人の足下に現れ、一瞬で消える。老人は回避しようと試みたが、もう遅い。
神級魔術、『神の鎖』。
12本の赤い鎖が、その身体を雁字搦めに縛り、動きを止める。
「……貴様……」
「一体どうなってんだ、パーシヴァル」
老人の名は、パーシヴァル。カミラの世話係を務めていた騎士で、『礼服の剣士』の異名を取り、数多の戦果を挙げたアルキドアの英雄だ。
カミラの遊び相手は俺だったが、それ以外の全ての世話と、一部の教育はこのパーシヴァルが行っていた。
「どうしてお前が、カミラを狙う?」
「何を言っている。私は今も昔も、姫の臣下だ」
「……カミラの命を狙っているんじゃないのか?」
「それは貴様の方だろう、タカス・ハルト!」
怒りを表情に顕し、圧倒的不利なこの状況下でもまだ俺に嚙みついてくる。
「アンタは、カミラの味方なのか?」
「私が姫の敵であったことなど一度も無い!」
俺に向けられたその眼光の鋭さたるや、並の騎士や魔術師では比較にならない。膨大な戦闘経験と覚悟に裏打ちされた、正真正銘の戦士の目に、俺は圧倒されていた。
もう考えるまでもない。
『投影』を解除。『神の鎖』を解除。魔力を制限した状態での神級魔術の行使は俺の体力をごっそりと削っていたが、そもそもこれ以上の魔術は必要ないだろう。
自由になったパーシヴァルは、剣を上段に構えて、訝しげに俺を睨んできた。
魔術師相手に馬鹿正直に突っ込めば、攻撃を起点に発動する呪詛魔術や、何らかの悪質な障壁、魔術を喰らう可能性がある。そういった小細工を全て無視できる材料が無ければ、わざわざ攻撃を誘うように無防備を晒す魔術師相手に無謀な特攻をかけることは賢いとは言えない。パーシヴァルの慎重さは流石だ。
そもそも俺にはある種の才能を必要とする呪詛魔術はあまり使えないし、障壁魔術も防備一辺倒でトラップじみたものは開発していない。
だから、今の俺は本当にただの『無防備な魔術師』なのだが。
「だったらアンタは俺の敵じゃない。俺も、アンタの敵じゃない。俺は瀕死の重傷を負ったカミラを治療して預かっていただけだ。目を覚ました日の夜、あのお転婆は勝手に逃げて行ったんだよ。だから俺は、アイツが今どこにいるのかは分からない」
「根拠が無い」
「根拠は無いけど状況証拠ならある。クーデターを目論むカミラと俺が敵対して、一体何のメリットがある? あのクソガキが皇帝になれば、アルキドア帝国に2度攻め入ってなお果たせなかった俺の望みが叶う。魔魂石を放棄させるっていう、俺の望みが」
パーシヴァルは眉根を寄せてしばらく思案した後、剣を下ろした。パーシヴァルに倣って、重力から解放された騎士たちも剣を鞘に納めた。
「……陛下は姫を殺すために、騎士と宮廷魔術師からなる討伐部隊をこの国に潜入させた。このままでは、姫の命が危ない」
「分かってる。俺だってあのクソガキを死なせたくないが……。アンタらはいいのか?」
「我々は姫を守るために動くだけだ。たとえ祖国に背くことになろうとも、その結果命を狙われることになってもだ」
何だ。
あのクソガキ、結構いい臣下に恵まれてるじゃないか。
「パーシヴァル、カミラは帝位簒奪を企てているぞ。それでも、アンタはカミラに協力するのか?」
「私は姫の臣下だ。姫に従うまでだ」
「そうか。じゃあ、あまり無理させないでくれよ。こっちもこっちで、いろいろと考えてる。アイツには、生きててもらわなきゃ困る」
「貴様に言われずとも、分かっている」
互いのわだかまりは、これで概ね解けたはずだ。
「カーテナ、もういいよ」
「はい」
『破断』の黄金色の光が消えたところで、ようやく俺たちとパーシヴァル達の間で張り詰めていた緊張が解けたような気がした。
「タカス・ハルト。夕餉の邪魔をして、済まなかった」
そう言って、パーシヴァルと騎士達は俺の部屋を出て行った。
♢♢♢
「ふぐっ……ぐす……」
カーテナの背中に隠れていたくーちゃんは、べそをかいていた。
楽しいはずの夕食に突然現れた『敵意を持つ大人』が相当に怖かったらしい。
くーちゃんは悪意や敵意に慣れていない。いずれはこの世界の高密度な悪意を知らなければならないだろうが、あまりに早い時期に悪意を知ることはくーちゃんの心の成長にあまり良くない影響を与えるだろうと判断した俺とカーテナが、意図的に悪意や敵意から遠ざけているからだ。
カーテナに手を出そうとした身の程知らずの馬鹿共との一件の時も、そういえばくーちゃんは恐怖で泣きだしていた。
「くーちゃん、大丈夫。もう怖くないよ。さ、ご飯食べよ。冷えたら美味しくないよ」
カーテナがくーちゃんを抱きしめながら、優しく声をかけている。
こういう技量は、俺よりもカーテナの方が上だ。日中外に居る俺と、1日中くーちゃんと一緒に居るカーテナでは、どうしたってカーテナの方がこういう時の対応に手馴れている。
涙を袖で拭い、鼻をすすると、くーちゃんは頷いた。
本来ならば、くーちゃんを泣かしたというだけで万死に値する重罪なのだが、パーシヴァル達には敵意こそあれ、悪意は無かった。彼らなりに彼らの主のために起こした行動だったので、くーちゃんが泣いたからという理由で彼らに攻撃を加えるのは、くーちゃんの教育方針にも、俺のポリシーにも反する。誰が悪いわけでもなく――強いて言うならアルキドアの皇帝が悪いが――ただの不幸な勘違いだった。
今回は単なる勘違いで済んだ。双方ともに目立った実害は無い。
しかし、押し入ってきた連中が、もしパーシヴァルではなく、俺たちの身柄を狙うアルキドアの刺客だったら、どうなっていたのか。
考えるまでも無い。
俺が刺客を殺し尽くすか、反応が遅れてこちらに被害が出るか、どちらかだ。どちらにしても、くーちゃんにトラウマを刻みこむことになるのは間違いない。
アルキドア帝国がこれ以上増長すれば、そんな『if』の話も現実になり得る。
カミラはアルキドア帝国の増長を止め、根本から変え得る重要な人材だ。
情報収集や工作、東方8ヶ国同盟へのコンタクトなど、俺だって事態を黙って眺めているだけではない。色々と動き回っている。しかし、パーシヴァル達が襲撃してきたことによって、もう悠長にしていられるほどの余裕が無い事を、俺は悟った。パーシヴァルがカミラを見つけるのが先か、刺客がカミラを見つけるのが先か、そんな危うい綱渡りの上に今の小康状態は成り立っている。
梅宮さんと連絡が取れ次第、俺も本格的に動こう。ありとあらゆるコネと力を以て、アルキドアに勝つ。
3度目の正直は、自分の手で引き寄せてみせる。
ようやく一息つけます。
話の方は、そろそろ本格的に動き始めます。もう少しおつきあいください。




