叛逆の皇女-14
ギルドが営業を開始して間もなく、灰色の衣を纏った長身の女性が現れた。
視界の隅の方にぼんやりとその様子を捉えてはいたが、朝からカミラを探してせいで終えられなかったデスクワークと格闘している俺は、そちらを見遣る余裕は全く無かった。
「ハルトは居るか?」
「チッ。またアイツか。おい! ハルト! お前に客だぞ」
接客態度としては『落第』をくれてやるしかないぞんざいな口調で応対した同僚に呼ばれ、顔を上げてみれば、そこに居たのはエアリアだった。
客ならば仕方がない。
俺はペンを置いて、接客カウンターに向かった。
「クエストの受注かな。一応いろいろピックアップしてあるけど」
「いや、クエストはいい。カミラのことで話がある」
「……場所を変えよう」
エリアルデ支局長に許可を取り、支局長室に入る。
カミラの話題はまずい。既にアルキドアから『叛逆の皇女』捕縛クエストとして、対象の名前と似顔絵が公開されている。もちろん、クエストを扱うギルド職員も『カミラ』という名前を知っている。
「カミラが行方不明になった。エアリア、何か知っているのか?」
「ああ。昨日の夜――――……
♢♢♢
ぼんやりと意識が薄れ、思考がまとまらないふわふわとした状態に自分が居ることを認識した。
これは何なのか。
ここは何処なのか。
問いを発することはできても、問いに答えることはできない。
薄まった意識の海を漂うこの感覚には憶えがあった。
何故か思い出されたのはクレープだった。甘いクリームとフルーツのジャムを熱々の生地でくるりと巻いた、美味しいクレープ。
続いて、この地方の標準的な衣服に身を包んだ、黒髪の青年が浮かんだ。細かい部分はぼやけているが、誰の姿なのか、私は理解できた。
漆黒と言えるほど濃く、純粋な黒髪を持つ者は珍しい。男と女で1人ずつしか、私は知らない。
女なら、エリアルデ。男なら、タカス・ハルトだ。
彼には、もう3度も助けてもらった。
まだ小さかった頃に1回、ごく最近に1回。あともう1回は……。
そうだ。
あともう1回は、おじいちゃんを探して私がここまで来た時。
異常な力を扱う魔術師に、私は『テイム』をかけられ、操られた。
その『テイム』術式を破ってくれたのが、ハルトだった。
この感覚は、とても似ている。『テイム』に縛られていた時と、良く似ている。
また、私は縛られているのか。誰かに良いように使われているのか。
ふざけるな。
私は嵐龍王の孫だ。おじいちゃんから受け継いだ力を、魔力を、良いように使われてたまるか。
私はできる限りの魔力を、体の内部から爆発させるように練り込んだ。
直後、意識にかかった靄が急速に晴れていった。
♢♢♢
「ぅあ……う、そ……」
気付くと、私は――どこかは分からないが――荒れ果てた丘のような所に居た。
目の前には、ハルトの部屋で見た少女。今はどこか見覚えのある黒いローブを纏い、苦痛に表情を歪めている。
「カミラ、と言ったか。私に『テイム』をかけたのはお前か?」
「……あんな乱暴な術式と一緒にしないでよ。これは『魅了』。『テイム』じゃない」
頭を押さえ、肩で息をするカミラ。
多分、私が『魅了』なる術式を打ち破って中断したから、何らかのフィードバックが術者に返ったのだろう。
術式に対する修練が十分かつ術者本人の力量が卓越している場合にはフィードバックを避けることもできるが、少女はどうもその域には達していなかったらしい。
「どんだけの馬鹿力なのよ……。『魅了』を無理に破るなんて……」
龍の爪を部分解放し、ふらふら揺れる少女に私は問いを投げかける。
「ハルトの知り合いに手荒な真似はしたくない。だから、私の質問に大人しく答えてくれ。私を操った目的は何だ」
「……ただの移動手段よ。ハルトは何重にも張られた障壁で手が出せなかったから、代わりにアンタを操った。それだけよ」
「ハルトの家から逃げ出して、一体どうするつもりだ? お前は命を狙われていたのではなかったのか?」
「……私には目的がある。クソ親父を殺すためには今日この日、どうしてもここに来る必要があった」
魔術中断によるダメージもだいぶ和らいできたらしく、呼吸の乱れが収まり始めた。
念のため、簡易な魔力障壁を展開し、魔術攻撃に備える。
「憎しみは、また新しい憎しみを生むだけだ」
「アンタに、何がわかるって言うの」
「わかるさ。私も、憎しみに囚われていた者の1人だからな。憎悪を燃料にどれだけ殺しても、心は晴れるどころか新たな憎悪に塗りつぶされていく」
カミラがギリッと音を立てて歯を食いしばり、物凄い形相で私を睨み付けてきた。
「知ったような口を利くな!! ハルトといい、アンタといい、何で私に干渉しようとするの。私がやらなきゃ、母さんは無駄死にだ! あのクソ親父を生かしておいたら、罪のない国民が際限なく殺される! 事情も知らないお前が、私のやることに口を出すな!!」
「そうかもしれない。お前の方が正しいのかもしれない。だけど、やっぱりハルトの言う通りだ」
「……何を言ってるの?」
「憎しみに塗れて力を振るっていた私は、きっと今のお前と同じ顔をしていたんだろうな。なるほど、止めたくなる気持ちも、今ならよく理解できるよ」
魔境の魔獣共よりも人に恐怖を与えるような表情を顔に張り付けたカミラは、どこか物哀しい。憎悪を燃やした先にあるものは、一体何なんだろう。
龍であれ、人であれ、皆誰かと繋がりを持っている。誰かを殺せば、呪いのように憎しみがついて回る。そうやって憎しみは連鎖する。
ハルトがあの日私を止めたのは、きっとその連鎖を断ち切りたかったからだ。
「……話しても無駄かな」
「悪いが、逃がすつもりは無いぞ。詳しい事情は知らないが、お前はハルトの許に居るべきだということだけは分かる」
操風系魔術、『風牢』。
魔力を帯びた風が対象を取り囲み、閉じ込める魔術だ。
カミラは抵抗らしい抵抗を1つも見せず、風の牢獄に囚われた。
「ハルトの部屋には戻らない。私には、やるべきことがある」
カミラはローブの下に着込んでいた服の懐から、細長い円筒を取り出した。蓋を開け、その中身を嚥下していく。
直後。
カミラの碧眼が、赤く妖しい光を帯びた。
カミラが風牢の側面に手をかざす。
たったそれだけの動作で、風牢が効力を失って消滅した。
「なっ!」
慌てて『風牢』を再構築しようと再び術を発動させたが、カミラは風を避けた。
横でも後ろでもなく、上に。
その姿を見て、私は一介の人間に過ぎないカミラがどうしてハルトの魔力を枯渇させるほどの魔力耐性を備えていたのか理解した。
「お前……吸血鬼か……」
カミラは背中から黒い翼を伸ばし、滞空していた。
龍族のように最初から備えていた翼を解放したのではなく、吸血鬼の翼は魔力を練り上げて作ったものだ。当然莫大な魔力を消費する。
翼を出せるということは、並の人間を遙かに上回る魔力を持っているということと同義だ。
「……あんまりストックがないから使いたくなかったのに」
カミラが掌をかざす。
赤黒い魔法陣が一瞬私の周囲を囲むようにして浮かび上がり、消えた。
本能的な危機を感じた私はとにかくその場から離れようとしたが、しかし、私が動くよりも先に、地面から飛び出してきた魔法陣と同色の鎖が私の体に絡みついてきた。
「ぐっ……このっ……」
魔力耐性に優れた爪を振り回して鎖を引きちぎろうとしたが、後から続々と沸いてくる鎖の全てを断ち切ることはできず、気付けば私は雁字搦めに縛られていた。
「8本か……。神級魔術は難しいわ」
身動きがとれない。魔術を発動しようにも、何らかの阻害術式が作用しているらしく、起点となる魔法陣を展開できない。
「足代わりに使ったことは謝るわ。だけど、私の邪魔をさせるわけにはいかないの。しばらくここで、大人しくしてて」
それだけ言って、カミラの姿がかき消えた。何らかの認識阻害魔術だろう。
最終的には、赤黒い魔術の鎖は、それから数十分で消滅した。
カミラの姿を地上から空から探したが、結局見つけることはできなかった。




