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ハルトの和食研究日誌 寿司編

 俺は醤油を手にした。

 苦節1年、何度も大豆を腐らせながらも、やっとのことで正しく発酵に至る菌を得ることに成功したのだ。

 この世界でもちゃんと麹やら乳酸菌が存在しているかどうかは、全く確証のない一種の賭だったのだが、俺は賭に勝った。

 勝利の報酬が日本の味を生み出す要の調味料、醤油だ。

 

 米を調達し、山葵を市場で仕入れた。魚屋さんと仲良くなって手に入れた超新鮮な魚介類の数々が冷蔵庫に眠っている。酢はこの世界にもあった。

 そして、醤油。

 5年もの間ご無沙汰だった、我が故郷が世界に誇っていたヘルシーフード、江戸が生んだ日本の味、『寿司』を再現する日が来たのだ。

 酢を混ぜ込んだご飯に生の魚を乗せ、醤油をつけていただくというシンプルな一品。シンプルだからこそ、その構成要素のどれを欠いても成立し得なかった。

 それが、我が家の晩餐に上る日が来ようとは!


 などと、興奮が表情に出てしまったようだ。


「何じゃ、ニヤニヤして、気持ち悪い」


 エリアルデ支局長は思いっきり怪訝そうに口元をひきつらせ、薄目で俺を見ていた。怜悧な美貌と相まって、そのゴミを見るような目を向けられた日には、思い切ってトップスピードにのった馬車の前に飛び出してしまいたいぐらいには心が抉られる。何度目になるのかわからない程その視線を浴び続けた俺は、もう慣れたけど。


「いや、ちょっと今晩の食事について考えてまして」

「ふん、余裕じゃの。油断しておると死ぬぞ」


 油断すれば死ぬ。

 それは大げさな物言いではなかった。少なくとも今この場においては、なるほど、金言だ。

 

 何故なら俺は、エリアルデ支局長と共に、AAA級魔獣の前に立ちふさがっているのだから。

 ギルドが定めた範囲内において最上位に属する魔獣、リーパーの群れ。数は8体。

 鋭い棘のような鱗に覆われた人のような形をしているが、大きく異なるのはその両腕にあたる部分。いずれもが魔力耐性に優れる鋭利な鎌を持っている。知能はそこそこ高く、群れで連携して狩りを行うこともできる。

 1体で十分強力な魔獣が同時に8体も、しかも魔境の外縁部に現れるというのは相当に珍しく、何より危険だ。並の冒険者や狩人では瞬殺される。どう考えてもギルド・カタリナ支局が担当する地域に、こいつらを始末できるような実力者は居ない。しかし放っておくと村落に被害が出るので、こうして俺とエリアルデ支局長が掃除に来たという訳だ。


 油断すれば死ぬ。一般論で考えればそうだ。

 片やギルドの支局長、片やその部下。単なるギルドの職員風情が、と笑う冒険者も居るに違いない。

 ただの支局長に、ただの部下であれば、の話だが。


 リーパーは俺やエリアルデ支局長の実力に気付いているのか、様子を見るばかりで攻撃をしかけてこない。度々威嚇するように咆哮を上げているが、先陣を切って襲ってくる個体は居なかった。


「障壁を」

「了解」


 短い言葉で意思を伝達。

 俺はリーパーの群れを覆うように、縦に長い円筒形の物理障壁を『投影』した。

 状況に気付いたリーパーが障壁に、魔力耐性に優れた鎌を叩きつけてくるが、皹一つ入らない。そりゃそうだ。この障壁は魔術の産物ではない。

 一応念には念を入れて、俺は同様の障壁を1枚、2枚、3枚……、合計5枚重ねて『投影』した。不可視の檻に閉じ込められた憐れな魔獣は自慢の鎌を何度も障壁に叩きつけるが、びくともしない。

 当たり前だ。理論上は1枚で大砲を防ぎ、3枚重ねれば爆弾すら無効化する障壁なのだから、たかだかギルドに図れる程度の魔獣であるリーパーに破れる道理はない。


 リーパーが無駄な抵抗を続ける間、エリアルデ支局長は莫大な量の魔力を夜空の雷雲に注ぎ込み続けていた。雷雲は時折稲光を見せるが、雨は降らないし落雷もない。さながら風船に空気を入れ続けるように、エリアルデ支局長は雷雲内に自身の雷属性の魔力を封入し、内部で循環させ、増幅していく。

 そして、空気を入れ過ぎた風船はやがて弾ける。


 俺は聴覚を潰さないよう、エリアルデ支局長と自分とをすっぽりと覆うような球形の遮断フィールドを『投影』した。さらに重ねて、魔力を練り込んで強化した物理障壁を10枚ほど展開した。


 直後。


 限界を超えた雷雲が炸裂し、雷が滝のように降り注いだ。


 光の奔流があらゆるものを一瞬で飲み込み、残光を遺して消えた。その正体は雷。

 音だけで木々が傾ぎ、続いて発生した烈風が幹をへし折る。リーパーを囲っていた物理障壁も内圧に耐えきれず、粉々に砕け散り、地面が蠢動して崩れていく。

 烈風と衝撃波で、落雷点を中心とした半径30メートル以内には草一つなく、あまりの熱に融点を超えて溶けだした大地が赤く輝き、活火山の河口のように溶岩が泡立っている。

 

 俺とエリアルデ支局長の周囲、球形の障壁内部だけが外部と完全に隔絶され、元の状態を保っている。今の俺たちは、溶岩に浮くシャボン玉のような有様だ。


 明らかにオーバーキルだ。リーパーの群れは既に欠片一つ残さず消滅している。

 惨劇の現場を一瞥して、俺はため息交じりに言う。


「支局長、やりすぎです」

「一発で片付いたのじゃから、別にいいじゃろ」


 エリアルデ支局長は悪びれることも無く、平然としていた。一体誰がこの後始末をすると思っているのだろうか。


「後は頼んだぞ、ハルよ」

「できればもう少し抑え目にしてもらえませんからね。毎度毎度後片付けするこっちの身にもなってくださいよ」


 地面が溶岩の海に変わる前の様相をイメージする。そのイメージと目の前の溶岩を重ね、『投影』。

 地面が元の固体に戻った。

 ただし、そこに根を張っていた草木や、住んでいた微生物までは戻っていない。円形に広がる荒野とその外側で境界線がはっきりと分かる。

 『投影』は生命に干渉できない。たとえそれが意志なき植物であっても。仮初めの命を作り出すことはできるが、あまり長持ちしない。

 本当の意味での修復は、自然の力に任せるしかないのだ。


 俺たちの身を守っていた障壁を解除すると、辺りは夏真っ盛りかのような熱気に包まれていた。雷や溶岩に暖められた空気がまだ残存しているのだろう。


 エリアルデ支局長は不快そうに顔をしかめている。


「暑い。帰るか」


 エリアルデ支局長の周囲に、魔法陣が展開された。慌ててその内側に駆け込むと、途端に周囲の景色が滲み、ゆがんだ。

 空間移動魔術。

 無駄に多彩な魔術を扱える俺が使えない数少ない魔術の1つ。

 

 気付けばそこは、ギルドカタリナ支局のすぐ近くだった。

 既に今日の営業を終えているので、建物に光はない。

 

「書類の始末は妾がやっておく。もう帰って良いぞ」

「ありがとうございます」


 丁寧に礼を述べ、俺は帰路に就いた。

 

 ギルドの区域内の人員では手に負えない魔獣の討伐。それが俺とエリアルデ支局長の裏の業務だ。

 必要なことだと理解はしている。しかし、どうにも割り切れない、澱のような感情が心の奥底に残る。


♢♢♢


「おかえりー!」


 テテテと小さな足音と共に、白いふわふわした熊を模したパジャマに身を包むくーちゃんが突進してきた。その小さな体を、中腰になって受け止める。

 

 珍しくおかえりとただいまを間違えなかったことに、俺はくーちゃんの確かな成長を感じた。


「ただいま、くーちゃん」

「ハル、たいちょーわるいの?」

「そんなことないよ。ハルはいつだって元気だよ」


 抱き上げて頭を撫で、あやしてやる。6歳程度の大きさのくーちゃんだが、実年齢はまだ1歳少しなので、精神的にはまだまだ幼い。そんなくーちゃんに内心を気取られてしまうのは、親代わりとしてどうなのか。反省すべきだ。


「あ、主様、おかえりなさい」

「ただいま、カーテナ」

「ご飯にします? お風呂にします? それとも」

「飯を作る」


 最後まで言わせない。多分『わ・た・し?』と甘ったるい声で媚を売りつつ言うつもりだったのだろうが、俺は先手を打った。

 大体お前飯作れないだろう。できることって言ったらくーちゃんと一緒に風呂に入る事ぐらいだ。


「今日は俺の地元の御馳走を作るから、楽しみにしててね、くーちゃん」

「ごちそう!?」

「ちょっとだけ時間かかるから、カーテナと一緒に遊んできてね」

「うん!」


 下ろしてやると、くーちゃんは脱兎のごとくカーテナの許へ駆けていった。子供という生き物は、とにかく無駄に動く。どこにそんなエネルギーがあるのかと感心してしまうほどだ。

 金髪碧眼のカーテナと、白髪紅眼のくーちゃんの取り合わせはとても絵になる。笑顔でくーちゃんとじゃれるカーテナと、はしゃぐくーちゃん。俺は自分の表情が気付かないうちに緩んでいることに気が付いた。



「さて、やるか」


 俺は手を洗うと、キッチンにまな板と包丁を出した。

 さらにお手製の冷蔵庫からタコ、マグロ、タイ、ホタテを取り出す。魚屋のおじさんに俺が作ったお手製冷蔵庫を進呈したら、何とマグロをその場で解体してくれて、しかも一律の金額で俺が選んだ部位を売ってくれたのだ。この辺りの人と人とのつながりという点において、古き良き商店街は全国チェーンの大型店に勝っている。


 毎度のように圧力帯を『投影』し、火加減を調節しながらご飯を炊き上げていく。その間に寿司ネタの下ごしらえだ。

 マグロは既に切り身だから問題ない。

 俺はタイとタコをまな板に上げた。


「なにつくってるの?」


 ふと気付くと、くーちゃんが背伸びをして覗き込んでいた。


「お寿司っていう料理だよ」


 俺は水を流しながらタコのぬめりを取り、下ごしらえをしていく。


「なにそれ、きもちわるーい」


 くーちゃんがタコを見て、1歩後ずさった。

 まあ、西洋だと邪神とか言われる生物だし、しょうがないかなとは思う。

 しかし、くーちゃんには食に対して謙虚な姿勢を身に着けて欲しい。だから俺は、タコの処理を途中で中断してまな板の上に置くと、中腰になってくーちゃんの目線の高さに自分の目線の高さを合わせた。


「くーちゃん、今からハルが言うことをよく聞くんだよ」

「……?」

「あのタコさんはね、これからハルやくーちゃんやカーテナが食べるご飯になるんだ」

「きもちわるいのに?」

「見た目が気持ち悪くても、ご飯になる。いいかい、くーちゃん。あのタコさんはね、くーちゃんと同じように生きていたんだ。それが、くーちゃんや皆が食べるために、死んでしまったんだよ」

「しんだら、どうなるの?」

「死んだら……、誰にも会えなくなる」

「くーちゃんがしんだら、ハルにもテナちゃんにもあえないの?」

「会えなくなる」

「やっ! くーちゃんハルとテナちゃんとずっといっしょにいるの!」


 ふわふわしたパジャマの胸の部分をぎゅっと握りしめ、小さな体をいっぱいに使って主張するくーちゃん。感受性豊かな今の時期に、こういう教育は早すぎたかと一瞬躊躇したが、思い直す。感受性が高い今だからこそ、だ。


「タコさんも、誰とも会えなくなっちゃったんだよ。くーちゃんが死なないように、ごはんになるためにタコさんは死んだんだ」

「……」

「だからくーちゃん、気持ち悪くても、ごはんになってくれた命に、感謝しなきゃダメだ。ハルが教えた『いただきます』ってのは、タコさん達へ『ありがとう』っていうのと同じことなんだ。分かったかな?」

「うん……」

「よし、じゃあもうちょっとだけカーテナと遊んでおいで」


 くーちゃんはとぼとぼとカーテナのところへと歩いていった。

 まだまだ幼く未熟なくーちゃんだが、彼女なりに何か思うところがあるのだろう。いつになく、動きが緩慢だ。

 まだ早すぎたんじゃないだろうか。

 そう思わないでもないが、俺にできるのはくーちゃんを信じることだけだ。きっとくーちゃんなら、俺の言葉の意味を完全には理解できなくとも、感じ取ってくれる。

 

 俺はタコの下ごしらえに戻った。

 内蔵を取り出し、食べやすいサイズにカットする。足半分はタコワサ用に小さくカットし、残りは斜めに包丁を入れて、寿司っぽいサイズに整えてみた。


 ご飯が炊きあがったので火を止めた。10分ぐらい蒸らせばご飯はOKだ。


 タイは鱗を落として内臓を取り出し、血合いを綺麗に取り除いて3枚に下ろした。これもタコ同様に寿司っぽいサイズに切り出す。ついでにマグロの切り身も同様に切る。

 最後に大きなホタテ貝から貝柱だけ取り出し、これも同様のサイズにカットする。貝柱以外の部分は明日の朝にバターと一緒に炒めていただくことにしよう。


 ネタの準備が終わり、酢飯の準備に入る。

 『投影』によって生み出した気流でご飯を冷ましつつ、酢を加える。時折味を見ながらかき混ぜ、酢を足し、また味を見る。

 そうしてできた酢飯から『投影』によって熱を奪い、冷やす。

 手巻き寿司を作っていたお袋は、俺にうちわを持たせて人力で冷ましていたっけ。『投影』は実に便利だ。


 小さくシャリを握り、その上にネタを載せていく。

 わさびは入れない。多分くーちゃんが食べられないから。

 

 大きな器に所せましと並べられた寿司は、思ったよりもよくできていて、壮観だった。


「カーテナ、夕飯できた。小さな皿とコップと箸運んで」


 カーテナに呼びかけ、俺は布巾片手に食卓を整える。

 くーちゃんは既に席に着いて臨戦態勢だ。

 

 普段の晩餐とは違ってメニューの数が少ないので、準備は1分もしないうちに終わり、食事の準備が整った。

 最後に俺お手製の醤油を詰めた瓶を置いて、俺も席に着く。


 くーちゃんが小さな手を合わせ、声を張る。


「てをあわせて」

「「「いただきます」」」


 箸を使い慣れないくーちゃんの微笑ましい様子を眺めながら、食事をとる。

 タコの寿司を真っ先に取ったくーちゃん。俺の教えは、心に届いているだろうか。届いているといいな。


 俺はタイの寿司を口に運んだ。わさび醤油のツンとした感覚が口腔に広がり、鮮魚の甘味と酢飯の酸味と醤油の塩味がハーモニーを奏でる。


 実に5年ぶりとなる故郷の味は、否応なく郷愁の念を掻き立てた。

 何もかもが日本とは違うこの世界で、俺はくーちゃんの親代わりとして、今日を生きていく。 

寿司にかこつけてさらに幼いくーちゃんを出したいだけだったりします。

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