くーちゃんとの生活-06
ヨルムンガンド、ガルム、ミズチの三体を始末し終えたのが日が昇ろうとする頃。そこから死体の処理やら隠蔽工作やら色々としていたら、結局朝帰りだ。
やむを得ずエリアルデ支局長と一緒にギルドに戻ったところ――――
「あ、ハルトさん、おはようござ…………エリアルデ支局長……?」
と、少々早めに出勤していた受付嬢のハリカさんが、俺と支局長を見て凍り付いた。
「支局長、つかぬことをお聞きしますが、もしかして、昨晩はずっとハルトさんと……?」
「む? ハルなら妾と一緒におったぞ。ハルがあまりに激しく暴れてしまってのう。結局朝まで休み無しじゃ」
あれ、何かおかしくない?
別に支局長何も間違ったこと言ってないけど、何か取り返しのつかないことが起きそうな……。
「そんな……、朝まで激しく!? し、支局長とハルトさんが、そんな仲だったなんて……」
などと、わなわなしながら震えだしたハリカさん。
さらに「朝まで激しく」の部分を耳聡く聞きつけてわらわらと集まり始めた、職員たち。
「え、支局長とハルトが?」「いつの間に、そんなことに」「麗しの支局長が……」「許すまじ……ハルトォォォォ……」
「え、ちょっと、何みんな、怖いんだけど」
じりじりと迫り来る男性職員の皆様方。後ろで顔を赤くしながら話に高じる女性職員の皆様方。そして、当事者であるはずなのに、誤解が生じていようとどうでもいいといった調子のエリアルデ支局長。
孤立無援とはこのことだった。
ていうか、何で今日に限ってお前らこんなに出勤早いの。
その後、男性職員の皆様が飛ばす呪詛(中にはガチの効力を持った呪詛も)を迎撃しつつ、何とかエリアルデ支局長に有給休暇願を提出し、俺はギルドから逃げた。
深刻なくーちゃん分不足によって精神に変調をきたしだしていた俺は、『投影』による空間移動を連発して五秒でアパートに帰り着き、今に至る。
ノッカーを使って、テンペスタさんの部屋のドアをコンコンとノックする。
ああ、この扉の向こうにラブリーマイエンジェル・くーちゃんが……。どうしようくーちゃん早く会いたいよくーちゃん、ハァハァハァ。おっといけね、涎が。ジュル。
『私が言えた義理じゃないんだけど、主様って変態?』
「俺は断じて変態ではない! ただくーちゃんのことが大好きなだけだ!」
興奮して叫ぶと、今度は鼻血が……。
すると、そのタイミングで扉が開き、ぬっと顔を出したのはテンペスタさん。
鼻息荒く鼻血を垂れ流す俺の姿を一瞥すると、テンペスタさんはそのまま扉を閉じた。
「そんなひどい! テンペスタさん! ハルトです! くーちゃん迎えに来ました!」
「いくら旦那とはいえ、そんな変態みたいな男にクリス様を渡すわけにはいかねぇな」
『主様、鏡見てみようよ。さしもの私もドン引きなんだけど』
鏡は無いので代わりにカーテナを抜き、刀身に自分の姿を映してみる。
そこには。
ハァハァと鼻息荒く肩を上下させ、鼻血をバタバタと垂れ流し、口元に涎がたまり、血走った赤い目をした、変態の姿があった。
「誰だこれは!」
『主様、現実見なきゃ』
「だが断る!」
『くーちゃんに会えないよ?』
「それだけは嫌だ!」
と、変態に常識を諭されているという事実に打ちひしがれつつ、しかし俺は曲げられないもののための戦いを続けていると、アパート一階の一番奥の部屋の扉が乱暴に開かれた。
いや、開かれたという表現は正しくない。
内側から吹き飛ばされた。
「うるさいわっ! 朝っぱらから訳の分からんことをぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。家賃値上げされたいんか? オォ?」
「な、そんな、横暴な」
「この契約書には『大家は賃料を値上げする権利を有する』って項目があるんだよ」
突如現れた大家のばあさんが、懐から契約書を取り出した。
忘れもしない。昨年の今頃、俺が入居手続きを済ませてここに来たときのことだ。
この大家のばあさんが、最後の契約書だ、とかいいながらサインを求めてきたのだ。この世界に来てからというもの、皇族から詐欺師まで、いろんな奴に騙されてきた俺のこと。契約書の文面は逐一チェックした。その上で問題なしと踏んだからサインしたというのに……。
このババァ、感圧複写紙などという古典的な罠を俺に仕掛けていやがった。
一番上の紙に記した俺のサインは下の紙にも写り、理不尽な契約条項が俺に課された。
くーちゃん分の不足によって溜まったストレスと相まって、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「そんな紙切れ無効だ!」
「わかってないね。この世界ではサインされた契約書は絶対なんだよ。まんまと引っかかったお前が悪い」
「ンだとこのババァ!」
俺は全身に各種障壁や力場を『投影』すると、位置座標をババアのすぐ後ろに指定した。
俺の持つ力のすべてを尽くしてその契約書を処分してやる。
「は、甘いね」
「なっ!?」
気付くと、ババアの掌底が俺の鳩尾に迫っていた。
しかし俺は数々の物理障壁や力場を全身に纏って武装している。この状態の俺には、たとえAAAランクの魔獣であろうとも傷一つ
「ごぶぁぁあ!!」
一瞬何が起きたの理解できなかった。
肺の空気を叩きだされ、そのまま見る見るうちに大家が遠ざかっていく。
掌底が俺に命中した、という信じられない事実を認識するまでに、俺は数秒の時間を要した。
そして現実を認識すると同時に、俺はアパートの『燃えないゴミ』の山に頭から突っ込んだ。
障壁によってゴミと俺の間には隙間が空いているが、しかし精神的な屈辱はゴミ山に放り込まれるのと大差無かった。
「て、め、え、この、ババァ!!」
全身に誘電場を纏うと、俺は自身をU字型の磁力でできたレールにセッティングした。さらに、ツチグモを始末した時の三倍近い電流を『投影』すると、ローレンツ力によって俺は紫電を曳きながら大家目がけて『射出』された。
『ミョルニル』
と、俺はこの技に名前を付けた。
音速をはるかに上回る速度で大家に迫る俺。
このまま通過すれば柔らかい人肉など粉みじんだし、横を通り抜けるだけで衝撃波でバラバラになる。本来生物に使っていい業じゃない。かつて俺がこの技を使用したのは、行く手を遮る厚さ二メートル近い鋼鉄の壁をぶち破った時だ。
完全に頭に血が上っていた俺は、大家も生物であること忘れ、最大出力でミョルニルを放ってしまった。
しかしもう遅い。音速に対応するために『投影』によって加速した思考能力は、停止不可と結論付けた。
驚愕の表情を浮かべる大家が眼前に迫り、そして、
大家が笑った。
気付くと俺は、空を目指して飛んでいた。
何が起きたのか、さっぱり理解できない。
あれ、ババァは? ていうか、ミョルニルは?
「大家に刃向おうなんざ、百年早いわ!」
「!?」
突如俺の上に大家が出現したかと思うと、無性に腹の立つドヤ顔で、そう宣言した。
「ガッ!」
直後、大家の拳が、俺の腹に決まった。
一転、恐ろしい速度で地面が迫る。
どうすることもできず、俺はそのまま地面に突き刺さった。
「なかなか面白かったよ。楽しい戦いに免じて、今回は賃上げを見送ってやる」
完全に負けた。
俺はこの日、大家相手に記念すべき黒星150を数えた。
クレ○○○○○○ん以来、大家さんというのは強いものだと強烈に刷り込まれた結果がこれです
大家さん以外もみんな強すぎますが
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