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ギルド諜報部-09

『はいくーちゃん、目を瞑って』


 エコーを伴って響くハリカさんの声。時折聞こえるはしゃぐくーちゃんの声。水が跳ねる音。シャワーの音。

 風呂場から聞こえる声や音をBGMに、俺は夕飯時に使用した食器を洗う。

 微笑ましい。思わず口角が緩む。


 ハリカさんが我が家に居候し始めて早1週間、俺たちもハリカさんも、随分と新しい同居人との生活に慣れてきた。

 くーちゃんは一緒に遊んでくれるハリカさんになついているし、家事を手伝ってくれるので俺としてはとても助かっている。ただ、カーテナだけは……。


「泥棒猫めぇぇぇ……私だけのくーちゃんとのバスタイムをよくもぉぉぉ……」


 背筋が凍りそうになる程の怨念が込められた、カーテナの低くしゃがれた声。机に突っ伏し、時折ドンと音を立てて分厚い木製の天板を叩いている。

 放っておこう。触らぬ神に祟りなし。『魔神』が何を言うかって怒られそうだけども。


 『魔神』と言えば、もう一人の『魔神』、ジェラルド・アウリカルクムとの戦闘からも既に1週間が経過した。

 

 戦闘に参加した4人全員が死にかけるというギリギリの戦いを演じたわけだったが、幸いなことに誰1人として死に至ることは無かった。

 ……病院から魔抗銀の枷をぶち壊して逃げたジェラルドは、『生存』と見なして差し支えないだろう。

 エリアルデ支局長とハリカさんの傷は全て『神の薬』で治療し、俺の傷は何故か全部治っていたので、今回の戦闘では人的被害は結果的に0で済んでいる。

 ギリギリのところまで行きながら、一線を踏み越えて二度と戻れなくなった者は居ない。


 冷静に考えてみれば、これはおかしい。


 申し訳ないが一諜報員に過ぎないハリカさんは置いておくとして、超越的な力を扱う『龍王』と『魔神』、『魔神』と『魔神』の戦闘の結末が、人的被害0で済むはずがないのだ。

 しかし、現実問題として死者はいない。

 ジェラルド・アウリカルクムの任務は『ハリカ・アウリカルクムとタカス・ハルトの殺害』だったにも関わらず、俺もハリカさんもこうしてピンピンしている。

 何故なのか。

 偶然か。幸運か。実力か。

 俺はどれも違うと考えている。


 ジェラルドは、意図的に手心を加えたのではないか。


 俺はそう睨んでいる。

 そう考えれば辻褄があうのだ。

 

 1つ目、『魔神』ジェラルドがハリカさんの殺害に失敗したこと。

 アルキドア帝国の主力兵器群を単騎で全て破壊した俺という『魔神』と真っ向勝負して拮抗したジェラルドが、普通の人間であるハリカさんを殺しそこなうことがあり得るのか。

 その気になれば初撃で瞬殺できたはずだ。できたはずなのに、エリアルデ支局長が到着するその瞬間までハリカさんが生きながらえていたということは、ジェラルドがハリカさんを殺すつもりが無かったか、いたぶって楽しんでいたか、どちらかだ。

 捕虜虐待の趣味はジェラルドには無いと断言したのが、ジェラルドに養育されたハリカさんなのだから、十中八九、殺すつもりがなかったのだろう。養女であるハリカさんを殺すのが忍びなかった。そう考えるのが自然だ。


 2つ目、エリアルデ支局長を殺さなかったこと。

 『龍王』の資質を持ち、龍族の中でも特に強力な魔術を扱えるエリアルデ支局長だったが、その力の本質はあくまでも魔術だ。魔抗銀よりも遥かに強力な魔力耐性を持つオリハルコンを自由に操るジェラルドとは、相性が決定的に悪い。

 聞いた話では、まともに通用した攻撃と言えば、俺が教えたレールガンだけだったそうだ。電流と磁場は『魔術』だが、発射された弾丸は普通の鉄球だし、その速度は魔術によって実現したものだとしても、弾自体が魔力を帯びているわけではない。オリハルコンでも防げないのは当たり前だ。何しろ物理学の領分なのだから。

 結果的にはレールガンも強力な回復魔術によって事実上無効化され、エリアルデ支局長は深手を負った。

 深手で済んだ、とも言える。

 ジェラルドが採用した攻撃は、『金属化した脚で蹴る』という非常にシンプルなものだった。もしオリハルコンを整形して作った剣で貫かれていたら、本当に危なかった。

 そうしなかったのは、何故か。

 特に殺す理由が無かったから、だと俺は思っている。エリアルデ支局長は本来ジェラルドが戦う相手では無かったのだから、殺すことに拘泥しなかったのだろう。


 3つ目、俺が生き残っていること。

 俺は今頃死んでいてもおかしくなかった。

 最後の一撃は俺の肺を抉り、多量の出血を招いた。

 だが、ジェラルドにはもっと確実な選択肢があったはずだ。

 どうして、俺の心臓を刺さなかったのか。

 感覚加速を解いた俺は、背後からの攻撃に全く気付いていなかった。あの場あのタイミングなら、俺を殺すことも十分に可能だったはずだ。

 俺については、ハリカさんのように殺害を躊躇する理由は無い。どころか、俺を殺した方がハリカさんを守るに当たって有利になるはずだ。俺さえ殺せばハリカさんの命令違反に関して適当な理由をつけることが可能になる。死人に口無し、どんなことでもでっち上げられる。例えば、『ハリカはタカス・ハルトにその正体を看過され、監禁されていたため任務遂行が困難だった』とか。

 にも関わらず、心臓を狙わずに確実性に劣る肺を刺したのは何故なのか、俺には論理的な回答を見いだすことはできなかった。

 これに関しては、ハリカさんが答えを見いだした。曰わく、


『私のため』


 だそうだ。

 エリアルデ支局長とカーテナはこれで納得していたが、俺は納得できていない。

 俺が納得するしないは置いて、ジェラルドが俺を敢えて殺さなかったのは間違いないだろう。

 多分、相当迷っていたのだろうけども。心臓を刺さず、代わりにオリハルコンを俺の体内に置いて行って魔力の錬成を阻害したのは、その迷いの現れだと思う。


「ハルトさーん、バスタオルはどこですかー?」


 風呂場から聞こえる間延びした声に、俺は応答する。


「引き出しの下から3段目!」


 ふわりと漂う石鹸の良い香り。ボディソープのような品はこの世界には見られなかったが、代わりに様々な香料を配合した石鹸が流通している。正直、俺はそういう物品に対してはあまり関心がなく、従って我が家にあったのは量産品の石鹸だったのだが、ハリカさんが『女の子も居るんですから』と言って、張り切って取り揃えてくれた。

 大喜びしたのはくーちゃんだ。いいにおいがする~、と風呂に入ってから夜寝るまでの間、とても楽しそうにしていた。

 まあ、くーちゃんのためならばしょうがないな。今後は家計が崩壊しない程度に石鹸にも気を遣うとしよう。くーちゃんが喜ぶのならばオールオッケーだ。


 くーちゃんとのバスタイムを取られて傷心なカーテナが、呻くような声音で話しかけてきた。


「……主様、お酒はどこですか?」

「お前に酒は飲まさん。絶対にだ」


 過去2度、俺はこいつの悪酔いのせいで酷い目に遭っているのだ。

 1人で飲む分にはまだ構わないが、過去の経験から考えると、こいつはまた口移しで誰か他の人に酒を飲ませようとするだろう。いくら何でもくーちゃんに飲ませようとするはずはないので、今回の場合、その被害者は自動的にハリカさんになる。

 ……ハリカさんが酔っぱらったらどうなるのか、気にならないわけではないが、エアリアの例もある。避けるべきだ。


「主様の意地悪」

「拗ねてもダメ」


 尚、我が家の酒は料理酒を含めて『投影』と魔術を多重に組み合わせた防壁の内部に保管している。『破戒』に『破魔』を持つカーテナ相手では時間稼ぎ程度にしかならないので、いざという時に備えて酒瓶に自壊魔術も施してある。


 そこへ、白い薄手のパジャマに身を包んだ白い少女が駆け寄ってきた。


「ハル~、くーちゃんいいにおいする?」

「うん、とってもいい匂いだね」


 俺からは若干犯罪臭が漂っているな。


「ハリカちゃんね、いい匂いのするつぶつぶをお風呂に入れてくれたの」

「つぶつぶ?」


 くーちゃんは人差し指を丸めて小さな円を作った。


「これぐらいの、緑色のつぶつぶ」

「バスソルトです。家から持ってきました」


 捕捉したのは、髪をバスタオルで包み込み、頬を微かに上気させたハリカさんだった。こちらからも、何かしらの香料と思しき芳香が漂っている。


「バスソルト……?」

「お塩に香を混ぜ込んだもので、西の方だと結構一般的なんですよ」


 つまり、入浴剤ということだろうか。俺が不勉強なだけで、俺が元居た世界にしか無いと思っていた物品が結構この世界にもあるものだなと素直に感嘆した。


 さて。


「カーテナ、お前先に入るか?」

「……主様と入る」

「身の危険しか感じないから却下する」

「いけず……。先入ってください」


 言われ、俺は最後の食器を洗いあげて水切りに立てると、エプロンを外して風呂場へと向かった。

 

 ハリカさんが来てから、主に我が家の風呂事情が著しく改善された。石鹸やらタオルやら、見事なものだ。

 クーちゃんほどではないが、俺も密かに風呂を楽しみにしていたりする。何しろもう何年になるかもわからない程長らくお目にかかっていない『入浴剤』入りの風呂だ。


 脱衣所の扉を閉め、服を脱いで風呂場に入ると、なるほど、とても良い香りがする。湯船に張った湯は緑色で、見た目にも新鮮だ。

 火炎系魔術、操風系魔術、水流系魔術と俺が元居た世界から持ち込んだ科学的知識を組み合わせて作った、我が家の全自動給湯システムは今日も快調。お湯は適温に保たれている

 かけ湯をして湯船に身を沈める。

 疲れ切った体を緑色に染まった湯が包み、疲労を溶出させていくようだった。


 ああ……。極楽……極楽……。


 ハリカさん、グッジョブ。

 こいつはいいや。


 完全に身の安全を保障できるようになるまでの緊急避難的な居候だが、彼女がこの家を出ていくまでに、我が家はどうなっていくのだろうか。きっといろいろ改革されていくことだろう、と俺は内心期待していたりする。


 なんて、心底どうでもいいようなことに思索を巡らし、湯船の中でぼーっと過ごしていた時のことだった。風呂の扉が勢いよく開いた。


「あ~るじっさま~! お背中流しに参りました!」

「ごぶぁ!」


 バスタオルを巻いただけという扇情的な出で立ちのカーテナが、突如として風呂に侵入してきたのだ。

 完全にリラックスしていた俺は驚いて尻を滑らせてしまい、下半身の代わりに上半身が湯船に沈む醜態を晒してしまった。


「……ご立派です」


 腹立ちまぎれに電流を投影しそうになり、直前で抑えた。

 ここで電流はまずい。バスソルト入りの湯船には通電性があるから、まず間違いなく俺も感電する。


「カーテナ」

「はい」

「出ていけ」

「お断りします」

「……」


 さて、どうしてくれよう。

 『投影』で転移させるか。ダメだ。どうせ戻ってくる。

 重力場で制圧するか。ダメだ。風呂場の床下には給湯用の精妙な魔術装置が設置されている。強い衝撃はNGだ。

 …………。


「カーテナ、今出ていけば、明日の夕飯の献立はお前の希望に合わせよう」

「明日の夕飯よりも今主様と一緒にお風呂入りたいです」


 頬を赤らめ、くねくねしながらそんなことをカーテナはのたまった。

 くーちゃんだったら大抵のことはこれでどうにかなるのだが、さすがに無理か。

 ……ま、いっか。これがハリカさんだったらやばかったかもしれないが、所詮カーテナだ。色々考える労力がもったいない。

 人生諦めが肝心だ。


「じゃあ背中洗ってくれ」

「はい!」

 

 風呂椅子に腰かけてカーテナに背を向けると、石鹸で泡立たせたタオルを使って、カーテナが程よい力加減で俺の背を擦る。

 

「傷跡がこんなにたくさん……」

「ああ、まあ、色々あったからな」


 ちょっとした刺し傷ぐらいならもう何度負ったかすら分からない。身体を貫通するような傷を負ったことも、1度や2度ではない。

 そんな壮絶な日々を経て、今のこの平和がある。


 異世界に来て5年、俺は、この居心地の良い生活がいつまでも続けばいいのにと、心の底から願っている。

睡魔と闘いつつ書いたので、まずい箇所があるかもしれません。またあとで修正します。

20131204追記

普段にもまして酷い文章でしたので、大幅に修正かけました。やっぱり睡魔は強敵でした。

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