ギルド諜報部-06
鞭を打ち鳴らす音を数十倍にしたような音が鳴った。
それは、ジェラルドが何らかの魔術を使った結果生じた現象、ではなかった。
むしろ、ジェラルドは魔術を『使われた』側だった。赤い尾を曳く何かが高速で飛来し、その胸を直撃する様を、私は目にした。
高等魔術を3つ重ねても火傷一つ負わなかったジェラルドが全身を痙攣させつつ吹き飛ぶ様子を、私は呆然と眺めていた。
一体、何が……。
「ふむ、初めてにしては上出来かの」
突然背後から響いた、聞き覚えのある声、口調。振り返ると、そこに居たのは、
「この『龍王』エリアルデの部下に手を出すとは、肝が据わっておるの。そういう者は、嫌いではない」
ギルド・カタリナ支局の長、エリアルデ支局長、その人だった。
黒い一枚布の装束姿はいつもと同じだ。束ねた長い黒髪も、時折ぞっとするほど冷たい光を帯びる紅の瞳も。
1つ違うのは、その側頭部。
繊細に彫られた、丸みを帯びた木彫り細工のような1対の角が、両側頭部から伸びていた。
それは、龍族の証。
絶句する私に、エリアルデ支局長は声をかける。
「ハリカよ、汝の正体も、汝が何故命を狙われておるのかも、大雑把にではあるが把握しておる。若いのじゃから、少しは命を大切にせんか」
「……どうして……」
「アルキドアに殴り込みをかけに行く直前のハルと同じじゃった。普段の3割増しで愛想を振りまくし、かと思えば思いつめたような顔をするし、ひっそりと書類の整理をする。2度目ともなれば、流石に気付く」
「そうじゃなくて……どうして、私を助けるような真似を……。あなたまで、ギルドに狙われるかもしれないんですよ……! あなただって、ハルトさんと……」
「阿呆。汝は妾の部下じゃ。とびっきり優秀な部下じゃ。汝が居なくなれば支局の運営にも影響が出るじゃろうが。それに何より、自分のために汝が死んだと知れば、あ奴が悲しむ」
「……っ」
私の頬を濡らす涙の意味が変わった。
「ゥ……グ……」
吹き飛んだジェラルドが立ち上がろうとしていた。よろよろと軸がぶれているが、戦闘不能には至っていない。並の人間であれば間違いなく即死するレベルの魔術攻撃を受けて、尚立ち上がることができる。最早、彼も人間の領域から外れている。
エリアルデ支局長は私とジェラルドの間に、遮るように歩み出た。
「『龍王』……、そうか……」
よろめくジェラルドの周囲に、桃色の光を放つ魔方陣が展開された。
光の粒が胸元に集まっていき、ジェラルドの身体に再び芯が通った。
神級魔術、『神の薬』。文献の知識で実際の魔術を目にしたことはないが、十中八九間違いない。生きてさえいれば、どんな状態からでも回復させると言われる回復魔術の極み。遠からず、ジェラルドは再び戦えるようになる。
エリアルデ支局長と私の利害は一致する。
ジェラルドをこのまま放っておくことは、そのままハルトさんの危機につながる。私はもちろん、エリアルデ支局長だって、それを良しとはしない。
私ではジェラルドを止められない。だけど、龍族のエリアルデ支局長なら、或いは。
今の私にできるのは、ジェラルドに関する情報を開示すること。ギルドの構成員の情報を第三者に漏らすのは良くて投獄最悪死刑の重罪だが、私は既に殺されることになっている。構うものか。
「彼は、ジェラルド・アウリカルクム。ギルド諜報部一の実力者で、私の育ての親です。高い魔力耐性を持つオリハルコンに魔術を組み込む技術を持っていて、自分の身体をオリハルコンに変質させることができます」
「……オリハルコン? 随分と厄介な力を扱うの。それに、汝の育ての親とな」
「気にせずぶっ飛ばしちゃってください。…………でも、できればでいいので……、命だけは、取らないであげてください」
「ふん。汝もハルも、随分甘いの。そんなことでは、長生きできんぞ」
ぞんざいに言い放つと、バチバチと音を立てて、エリアルデ支局長が紫電を放ち始めた。
強烈な魔力がビシビシと伝わってくる。
「じゃが、不思議と、嫌いにはなれんの。雷雲よ……在れ」
エリアルデ支局長の言葉に呼応して、星と月が輝く夜空が、一切の光を通さない分厚い雲で覆われた。俄かに風が吹き始め、時折稲光が地上を照らす。雲も雷も、全てがエリアルデ支局長の魔力に由来するものと気付いた時、私は愕然とした。
「『雷切』」
雷がエリアルデ支局長のすぐ近くに落ちた、と思えば、そこに1本の刀剣が刺さっている。あまり見ない形の、片刃の剣だ。
パチン、パチン、と小さな火花を散らすその剣を、エリアルデ支局長は手に取った。
「まあ案ずるな、ハリカ。妾がジェラルドとやらを殺すことはあり得んよ。そこまで含めて妾の策じゃからの」
エリアルデ支局長はそれだけ言うと、紫電を纏いつつ常人には到底あり得ない速度で突進した。
詳しい原理は分からないが、多分私と同じように、魔力で身体能力を底上げしているのだと思う。
治療を終えたジェラルドは、両腕を金属化した。握りしめられたその拳は、もはや凶器だ。
エリアルデ支局長が剣を振るう。ジェラルドはこれに左の拳を合わせ、甲高い音と共に剣を弾いた。さらに右の拳を空いたエリアルデ支局長に叩き込もうとする。
エリアルデ支局長はこの拳を軽やかに身を翻して避けると、低い姿勢から切り上げるように剣を振るう。
カン、と高い音と共に、脇腹にクリーンヒットしたはずのエリアルデ支局長の剣が弾かれた。破れたローブから覗くのは、薄く黄色味を帯びた金属光沢。
「チッ」
小さく舌打ちをすると、エリアルデ支局長の周囲に藍色の魔方陣が広がり、その姿が一瞬で掻き消えた。かと思えば、私のすぐ前に現れる。
空間移動魔術。自分以外の使い手は、初めて見た。
「オリハルコン相手に魔術は効果が薄い。生半可な物理攻撃では傷一つ付かん。厄介厄介、実に鬱陶しい能力じゃの」
「あの人の力は、それだけじゃありません。あの状態のまま使えるのかは分かりませんが、神級魔術を複数扱えると聞いています」
「その程度の事では今更驚かんよ。神級魔術をバカみたいに連射する奴を知っておるのでな」
恐らくは、ハルトさんのことだ。
そうか。この人は、ハルトさんと一緒に戦ったことがあるんだ。
「これは、コウコウブツリとやらの出番かの」
聞きなれない単語を交えた言葉の後、エリアルデ支局長は懐から小さな金属製の球を数個取り出した。
何らかの魔術を作用させているのか、手を離しても、その鉄球は空中に留まっている。金属の球は不安定に浮かびつつ、1メートル程前に進んだ。
エリアルデ支局長が指をジェラルドに向ける。
直後、エリアルデ支局長と金属の球の間に雷が落ち、金属の球は赤い線に変わった。
少なくとも、私の目にはそう映った。
いや、違う。
これは、ついさっき、ジェラルドを吹き飛ばした攻撃と同じ。
ジェラルドは×の字に両腕をクロスさせて頭を守っていたが、舗装道を割砕きつつ強制的に後退させられていた。
×の字にクロスした腕に2か所、腹部に1か所、両脚に1か所ずつ、円形にローブが吹き飛び、金属光沢が露出している。その全てにおいて、中心に赤熱した何かが食い込んでいる。周囲のオリハルコンに熱を伝えて冷えたのか、赤熱した何かはすぐに固まり、くすんだ銀色の金属光沢を見せ、ジェラルドの身体から脱落した。
あれは、金属の球?
「先の一発で学習しおったか。これが効かんとはの。化物め」
「いや、効いている。大した威力だ」
金属光沢が消失する。後に残ったのは、見るも無残な内出血の痕。
しかしそれも、桃色の魔方陣が展開されると、すぐに修復されていく。
「キリが無いの」
エリアルデ支局長が、苦虫をかみつぶしたような渋面を作った。
圧倒的な防御力と回復力。盾と同時に矛にもなり得る術式。破壊しようにもそもそも防御力が高すぎて壊しきれないし、意識を奪わない限りはいくらでも修復される。
厄介極まりない。
ジェラルドは再び両腕を金属化すると、エリアルデ支局長へと突進してきた。
両腕が金属だ。重量はかなりある。そこに突進の勢いを上乗せされれば、いくら剣を持っていても、容易くふっとばされてしまう。
エリアルデ支局長は機敏に反応し、自身も魔力で強化された脚力を以てジェラルドに突っ込んでいく。
金属と金属が互いに最大速度で衝突した結果生じた音は、教会の鐘の音すら相手にならない爆音。エリアルデ支局長、ジェラルドは互いに吹き飛んだが、飛ばされた距離はエリアルデ支局長の方が大きい。単純に重量差が影響したのだろう。女性であるエリアルデ支局長に対し、ジェラルドは引き締まった体格の男性。いくらオリハルコンが軽い金属だと言っても、刀1本分の金属と腕2本分の金属では当然腕2本分の方が重い。総重量では、エリアルデ支局長の方が明らかに不利。
エリアルデ支局長が一際激しく紫電を散らし、青い光に包まれた剣の切っ先を空に向けた。
思わず身をすくませるほどの雷鳴が響き、剣に落雷。強い閃光が視界を覆い、私は思わず顔を腕で覆った。
剣が纏う青い光は一層強くなり、エリアルデ支局長が纏うそれを遥かに上回る激しさで紫電を放ち始めていた。
私一人の魔力なんか軽く上回る量の魔力が込められた剣。
エリアルデ支局長はその剣を、上段から振り下ろした。
空気が斬れた。地面が斬れた。
バチバチと紫電を散らす純白の何かがエリアルデ支局長の剣から放たれ、舗装道を跡形も無く粉砕しながら、ジェラルドを呑みこむ。
音は消えた。生じたのは、衝撃そのものと烈風。
余波だけでも私なんて消し飛ばされそうな威力だったが、私の全身に障壁が展開され、一定以上の衝撃や烈風をはじいていることに気付いた。私が自分で張った障壁は既に壊されている。エリアルデ支局長が施してくれたものだろう。
舞い上がった砂煙。ジェラルドの安否は分からない。
しかし。
「無駄だ」
声が聞こえ、砂煙が内側から吹き飛ばされた。そこに居たのは、表情一つ変えないジェラルド。
「俺に魔術は効かん。お前の底は知れた。投降しろ」
「誰相手に言うておる、若造が」
エリアルデ支局長は不遜に言い捨てた。
見た目にはエリアルデ支局長が攻めているように見えるが、攻撃はほとんど効いていないし、ジェラルドはこれといった反撃を行っていない。有り体に言えば、本気を出していない。
「ならば、邪魔できない程度に痛めつけるが、構わないな?」
「やれれものなら」
その言葉が合図となった。
再び両者は距離を詰め、打ち合いを始める。
金属化した両腕の攻撃を的確に剣で弾き、あるいは軽い身のこなしで避け、隙を狙って確実に斬撃を叩き込んでいくエリアルデ支局長。剣を両腕で的確に牽制し、生じたスペースに必殺の拳を打ち込もうとするジェラルド。
金属と金属が接触する音がリズムを刻み、両者はまるで踊っているかのようにステップを踏み、斬り、殴り、突き、押す。
一見互角に見えるが、実際はエリアルデ支局長が不利だ。
エリアルデ支局長の攻撃はジェラルドに当たってもダメージにならないが、ジェラルドの攻撃がエリアルデ支局長に当たれば致命傷になり得る。
クリーンヒットこそ避けているが、攻撃が掠る度に小さな傷が蓄積されているし、疲労だって溜まる。
危うい均衡はいつか崩れる時が来る。
両腕でエリアルデ支局長の剣を大きく弾き飛ばしたジェラルドは、強烈な蹴りをエリアルデ支局長の腹に叩き込んだ。金属化能力を持つジェラルドの蹴りは、金属の塊が腹部に直撃するに等しい。
「エリアルデ支局長!!」
宙を舞うエリアルデ支局長が落下する前に、私はようやく回復した雀の涙ほどの魔力を使用して身体能力を強化すると、地面とエリアルデ支局長の間に体を差し込んだ。
内臓が外に飛び出すのではないかと思うほどの衝撃に耐えつつ、エリアルデ支局長をしっかりと保持する。服が破け、背中が直接地面に擦り付けられる。
「う、うゥ……」
歯を食いしばって耐えようとするが、あまりの痛みに思わず呻き声が漏れる。
「ハ、リカ……」
しかし私以上にエリアルデ支局長の方が重傷だった。
口からは血が溢れ出し、呼吸は浅い。
「喋らないで……、ください」
明らかに肺が傷付いている。
人化の術は単に見た目を変えるだけでなく、体の構造までも人間に変える術式だ。当然、人間の弱点がそのまま適用されることになる。
肺が傷付いた状態が長く続けば、人間は死ぬ。
しかし、今の私には治療を施せるような魔力は残っていない。
どうすれば……。
ジェラルドが近付いてくる。
その攻撃を防ぐ手立ては、もう無い。
せめて、エリアルデ支局長だけでも助けよう。魔力はもう尽きた。だけど、できるできないは無視して、やろう。
生命力を削ってでも、奇跡を起こしてでも、その結果死んだってかまわないから、最後に1度、魔術を。
空間移動魔術。
どこか遠く、安全なところにエリアルデ支局長を移動させる。
大きく深呼吸をして、魔力を捻り出そうとした、まさにその時。
「来るぞ……」
息も絶え絶えのエリアルデ支局長が、掠れた声を出した。
直後、砂利を踏みつける音が聞こえた。
「! お前は……」
ジェラルドの前に立ち塞がる、フードを被った男が居た。いつ、どこから現れたのか、とにかく気付いたらそこに居た。
突如、私とエリアルデ支局長を桃色の魔法陣が囲う。一瞬攻撃かと疑い、体が強張ったが、すぐにそうでないことに気が付いた。
光の粒が傷の一つ一つに集まり、癒していく。なすがまま、私は不思議な心地良い光に身を委ねる。
『神の薬』……。
と、男がフードを取り、こちらに向き直った。
覚えがある、どころではない。私は、この人のために命を懸けたのだから。
「エリアルデ支局長、どういうことか後で説明してもらいますからね。ハリカさん、エリアルデ支局長を頼む。そこまでの傷だと、ちょっと時間がかかる」
「あ……」
……どうして皆、こう馬鹿なのだろう。他人のために自らを危険に曝す馬鹿。守りたいと思い、命まで懸けたのに、ノコノコと出てきてしまう馬鹿。
何もかも、思い通りに行かない。
だけど、ハルトさん。そんなあなただから、私はきっと惚れたんだ。
嬉しい。来てくれて、嬉しい。
不安と安心が入り混じり、自分でさえどう思っているのか分からないほどぐちゃぐちゃになって。
そんな中でも、私は『嬉しい』と思っていた。
桃色の魔法陣、『神の薬』の中でエリアルデ支局長は笑みを浮かべつつ、小さく言葉を紡ぐ。
「遅刻じゃ……減給にされたいのか……」
「勘弁してくださいよ、これでも全速力で来たんですよ」
『感謝こそすれ文句を言うなんてどういう了見なの、この泥棒トカゲ。主様が来なかったらどうするつもりだったのよ、バカ』
「なんじゃ……変態化け刀が、心配してくれとるのか……?」
『ハァ? アンタなんか別にどうなったって私は構わないし! ……ただ、アンタが死んだら、主様やくーちゃんが悲しむでしょ』
この声は、カーテナさんか。
姿が見えないということは、今は刀剣状態に戻っているのだろう。
名にし負う、古の妖刀へと。
「カーテナ、『破断』を纏え」
『はい』
ハルトさんが命じると、刀剣は黄金色の光を帯びた。
呼応するように、ジェラルドが両腕を再び金属化させた。いや、両腕だけではない。破れたローブから覗く生身の部分から顔に至るまで、全てが黄金色の金属光沢に覆われていく。意思を持って動く金属の塊。盾と同時に矛となるその肉体が、既に1つの兵器の域に達している。
やけに平坦な声音で、ハルトさんがジェラルドに問いかける。
「お前か? ハリカさんとエリアルデ支局長を痛めつけたのは」
「そうだ」
ハルトさんが纏う空気を一変させた。普段の穏やかさは影を潜め、恐怖すら覚えるような気配を放つ。
空気が渦巻き始める。ハルトさんの怒りが具現化したかのように。
「それだけ分かれば今は十分だ。半殺しにしてやる。覚悟はいいか、鉄屑野郎」
「お前こそ、わざわざ殺されに来るとはな。手間が省けて助かった」
人の枠を踏み越えた魔術師同士の戦闘が、始まる。
多めだと思っていた分量が、実は普通の範疇内だったことが分かったので、分割止めました。




