ギルド諜報部-05
体表に物理障壁を1枚展開し、気配を遮断する魔術を2重に施して、私はギルドを出た。
障壁魔術は専門外だが、嗜み程度には扱える。ギルドが送り込んでくるような刺客に通用するかと言えば、正直厳しいと言わざるを得ないが、それでも無いよりはマシだと思う。
今夜は月が綺麗だ。真円を描き、夜に沈む森をうっすらと照らしている。
暦の上では春も終わりかけているのに、春先のように涼しい。思わず震えたのは、肌寒いからだと思いたい。
大きく深呼吸をして、私は歩み始める。
いつものようにギルドから西の方向に延びる舗装道を道也に進み、小さな専門店が軒を連ねる商店街を抜ける。その先にあるのは飲み屋や食堂が所狭しと立ち並ぶ繁華街。陽気に笑う酔っ払いや家族連れ、店先で宣伝するエプロン・バンダナ装備の店員、屋台を引くおじさん等、雑多な人々で賑わっている。
繁華街を抜けると、潮が引いたかのように人が居なくなる。
後方から響く喧騒が物悲しさを誘う、ボロボロの舗装道。
私は一層気を引き締めた。
ギルドからの接触があるなら、この舗装道から市街地の間だろう。人通りは少ないし、薄暗い。秘密裏に接触するにしても、暗殺するにしても、申し分のない立地だ。
進むこと、およそ5分。私の予想は的中した。
「ハリカ」
背後から、男の声が聞こえた。気配はなかったが、私はその男の正体をすぐに理解した。
「お久しぶりです、ジェラルドさん」
分からないはずがない。10年以上に渡って、私はこの人に育てられたのだから。
ジェラルド・アウリカルクム。
私の育ての親。ギルド諜報部の上司。
そして、ギルド最強の魔術師。
ここまでの大物魔術師を、高々1人の離反諜報員の始末のために送り込んだりはしない。恐らく、この人はタカス・ハルト殺害の命令も受けている。
「定期連絡はどうした。任務はどうなっている」
「……私にはできません」
黒いローブに身を包んだ金髪の男に向き直る。線の細い、ともすれば女性と間違えかねない容姿は一切の表情を持たない。冷たい光を宿した灰色の双眸を、私は見据える。
「タカス・ハルトは殺すべきではありません」
「それは我々が決めることではない。任務を放棄するつもりか?」
冷たい、けれど全くその通り。私が決めることではない。
だけど、
「ハルトさんの生き死にを決めるのは私たちではありません。だけど、ギルドでもありません!」
人の生き死にを人が決めようとすること自体、間違っている。
何がギルドだ。何が任務だ。力を隠し、ただ大切な家族と一緒に人並みの生活をしようとしている『人間』に『人類の脅威』のレッテルを張り付けて迫害しようとしているだけじゃないか。
私は、自分を育ててくれたジェラルドさんにも、ギルドにも感謝している。割り切れない思いがあるのは否めない。
だけど、今こそ勇気を持って否定しよう。
ギルドは間違っている。彼を殺すべきではない。
くーちゃんを、カーテナさんを、2人目3人目の『私』にしちゃいけない。
「……分かっているのか? 任務を『放棄』した諜報員の末路は……、教えたはずだな?」
魔術師ジェラルドの瞳に殺気が宿る。
……知り過ぎた諜報員がギルドに背いた場合の末路なんて、教えられなくとも分かる。
「もちろんです。だけど」
懐から、本来はハルトさんを殺すために支給されたナイフを取り出した。
制御した魔力を全身に通し、基本的な身体能力を向上させる。筋肉から神経に至るまで、凡そ運動に必要な全ての機能を魔力で強化する。当然、思考速度や五感までも。
「私はただ死ぬつもりはありません。ジェラルドさん、知ってますか?」
「……何を」
私の力量では、この人を止めることはできない。実力の開きは歴然としている。どう足掻いても勝つことはできない。
だけど、そんなことは関係ない。
精いっぱいの反抗期を迎えよう。最期の悪あがきを見せてやる。
「恋する女の子って、強いんですよ?」
AAA級、ジェラルド・アウリカルクム討伐クエスト。
戦端を開く。
地面を蹴飛ばし、推進力に変える。
空気がゼリーのように感じられるほどの速度を以て、私はジェラルドとの距離を一瞬で詰め、ナイフを胸元目がけて振るう。
その斬撃を、ジェラルドは危なげなく身を逸らして避ける。魔力による運動能力向上は見られない。素の身体能力だけで、私の攻撃を避けているのだ。
「ふっ!」
片足を軸に、全身にひねりを入れた。前方に向かうだけの推進力は円形に流れ、私はその勢いのまま蹴りを放ち、ナイフを振るう。
対するジェラルドは一切武器らしきものを取り出さない。ただ私の攻撃を避けるだけ。
取り出せないような状況まで追い込んでいるのなら御の字。ただ単に舐められているだけだとしたら、今のうちに勝負を決める必要がある。
高等魔術、『紅蓮』発動。
ジェラルドの後方に燃え盛る炎の壁を展開する。目的は後ろ方向への回避の妨害。
私は右手で持ったナイフに左手を添え、体重が乗るよう胸の前に構えると、ジェラルド目掛けて突進した。
両サイドに逃げる余裕は私の突進速度が奪った。
後ろへの退避は『紅蓮』が妨げる。
「ッ!?」
退路は断った。絶対に避けることはできなかった。
しかし、ナイフはジェラルドの身体に傷一つ付けつ事は出来なかった。
「まさか、俺の作ったナイフで、俺を殺せると思っていたのか?」
ジェラルドは避けることすらしなかった。
ただその右手で、ナイフの切っ先を止めた。
オリハルコン製のナイフは、柔らかい人の皮膚一つ切り裂くことが出来ず、そこで止まっていた。
まさか、魔術による強化?
いや、違う。魔抗銀を上回る魔力耐性を持つオリハルコンなら、魔術による強化を打ち破ることができる。仮に神級魔術であったとしても、単純に相性の関係で、傷一つ付かないというのはおかしい。
ギリギリと拮抗するナイフと掌を凝視していた私は、気付いた。
切っ先と接触している部分の周辺が、人体にはおおよそあり得ない、金属のような光沢を放っている。
「その手……まさか……オリハルコン……」
オリハルコンと拮抗するような金属は、オリハルコン以外には無い。
「そういうことだ」
掌全体が金属光沢を帯びた。ジェラルドはナイフを握ると、そのまま無造作に割り砕いた。
「俺はオリハルコンに魔術を付与する技術を持つ。当然、魔力による強化も行える。俺の身体を砕くことなど、お前には、できない」
ジェラルドの脚が唸りを上げ、私に迫った。
避けようと試みたが、その異常な速度についていけず、蹴りは私の腹を捉えた。物理障壁は、何の効力も発揮せずに壊れた。
「が……っ」
身体が宙に浮き、目算で20メートル近くも飛ばされた。
舗装道を無様に転がりながら勢いを殺し、ようやく止まることが出来たが、ダメージが酷い。
魔力で体を強化していなければ、内臓破裂で死んでいたかもしれない。
よろよろと立ち上がるが、呼吸がうまくいかない。ハッハッ、と短く息が漏れるだけだ。身体を使う攻撃は、とてもじゃないができそうにない。
ならば。
高等魔術、『紅蓮』、『滅却火炎陣』、『火焔』、発動。
『紅蓮』の炎の壁でジェラルドの四方を覆い、その壁を『滅却火炎陣』で補強。炎でできた檻の内部に、『火焔』による真っ白な炎を出現させる。
高等魔術3連発によって莫大な魔力を持っていかれ、遂に身体強化に回していた魔力も尽きた。
膝から崩れ落ち、舗装道を焼く炎の塊を凝視する。
これが通じなかったら、もう為す術はない。魔力は尽き、空間移動魔術はもう使えない。身体へのダメージは限界を超えている。
しかし、現実は無情だ。
私の目の前で、炎は八方に散った。散らされた。
「残念だ、ハリカ」
せめて火傷の一つでも負っていてくれたら、私の死は犬死ではなくなったのに、炎を打ち破って現れたジェラルドは、相も変わらず無表情で、そのローブには焦げ跡すらない。
「せめて、楽に死なせてやる」
一歩一歩、確実に距離を詰めてくる。
お終いだ。私は殺され、ハルトさんに魔の手が及ぶ。結局、私の死は無駄死に、犬死だ。
一筋、涙が零れた。
ハルトさんの家で食事をした時は、好きな人の家に行っているというよりは、何故だか家族に囲まれているようだった。かつて失い、長らく忘れていた、温かさを感じた。
あの温かさを、壊したくなかった。できることなら、守りたかった。
それも、もう適わない。
「ハルト……さん……」
思わず口を衝いて出たのは、思い人の名前。
うつむく私の視界に、黒いローブの裾が入った。これで終わり。私は私を育ててくれた人の手で、命を失う。
空気を断ち割るような音が響いた。




