ギルド諜報部-04
定期連絡とタカス・ハルトの殺害任務を放棄して、既に3日が経つ。
内心どうなるものかと戦々恐々としていたけれど、この3日は特に何も起こらなかった。
私にはできなかった。
カーテナさんとくーちゃんの顔がチラついた。ハルトさんの家で食べたワショクの味を思い出した。料理に勤しむハルトさんの背中が浮かんだ。
後はナイフを突き立てるだけの距離にまで接近しながら、後数センチ刃を進めるだけというところまで行きながら、私はその『後少し』を実行できなかった。
「あ、ハルトさん、おはようございます」
ここ3日間、私は誰よりも早くギルドに出勤している。そうすれば、ほんの少しだけど、ハルトさんと会話するチャンスを得られるから。
きっと私には、あまり時間が残っていない。
「おはよう、今日も早いね。事務作業ならやっておくのに」
「いえ、クエストの内容を把握しておくのは受付業務でも大切なので」
もちろんただの建て前だ。
加えて言えば、私が今やっているのはクエストの確認ではない。私が居なくなった後にギルド業務が混乱しないよう私に割り当てられた業務を整理して、残った書類を片付けているのだ。
多分私は、重大な命令違反で殺されるだろうから。
もちろん黙って殺されるつもりは毛頭無い。徹底的に抵抗してやる。ハルトさん殺害へ向かうであろう戦力を、少しでもいいから削り取る。隠密活動メインの私にどこまで出来るかは分からないけれど、でも、やれるだけやる。
ハルトさんが殺されるなんて、絶対に間違ってる。
くーちゃんとカーテナさんとただ穏やかに暮らしているだけ。力を使うのは身内を守る時だけ。2年近く私はハルトさんを監視・観察してきたけれど、ただの1回でも、その力を理不尽に振るうことはなかった。
『魔神』だから。
それだけの理由で、人間社会に脅威だからという理由でハルトさんを殺そうとするギルドの方がよっぽど理不尽だ。彼には死んでほしくない。くーちゃんやカーテナさんと一緒に笑って過ごしていてほしい。
恋する女の強さを、見せてやる。
♢♢♢
「ハル、最近ハリカと仲良くしておるらしいの」
「エ、エリアルデ支局長……?」
業務の最中、エリアルデ支局長は突然そんなことを言いだした。
平坦な口調だったが、それが逆に恐ろしい。まるで、何か押し殺さなければ言葉に乗っかってしまうほどの激情があるようじゃないか。
「何でもハリカを晩餐に招いたとか」
「な、何でそれを!?」
「そんなことはどうでも良かろう。のお、ハル、妾が前に汝の家で食事をしたのは、いつのことじゃったかの」
主に俺のプライバシー的な意味でどうでも良い訳がないが、そんなことを言えるような雰囲気ではなかった。
俺はエリアルデ支局長の背後に、紅の眼を輝かせてこちらを睨み付けている真っ黒な龍を幻視した。
「ええと……、1週間ぐらい前?」
「あの時は妾は怪我しておったし、小僧も居ったからノーカンじゃ」
「ええと…………、1ヵ月ぐらい前でしたっけ?」
「そうじゃ! 妾はもう1ヵ月も汝の家に行っておらん。あの時だって、忌々しい変態に唇を奪われてからの記憶が無い。翌朝は慌ただしかったしの。つまり、妾は一度も汝の家でのんびりと食事を摂ったことが無い」
「ええと……?」
「鈍い男じゃの。妾も汝の家でゆっくりご飯を食べたいのじゃ!」
エリアルデ支局長の声は、大勢の冒険者やハンター、賞金稼ぎで賑わうギルド中に響いた。
喧噪がものの一瞬で静寂に変わった。
誰も彼もが俺の方を見ている。
「申し訳ありません、お客様。少々お待ちください」「すいません、ウチの職員が。ちょっとぶっ殺してきますね」「エリアルデ支局長を誑かしやがって、殺す」
受付業務に精を出していた男衆は、突然気色の悪い敬語を使って席を立った。事務処理に従事していた別の男衆は作業の手を止めると、首をポキポキと鳴らし始めた。
「ハハ……」
ヤバい。男衆の目が本気だ。本気と書いてマジだ。
思わず乾ききった笑いが漏れた。
ギルド利用者は俺に生暖かい視線を送ってきている。意味は大きく分けて2種類。「リア充死ね」、「グッドラック」。
女性の皆様方はひそひそ話に高じていて、誰も手を差し伸べてくれない。
当事者たるエリアルデ支局長は、周囲のことなんてどうでもいいと言わんばかりに、微妙に頬を膨らませて俺を凝視している。
マジものの危機を感じた俺は、こういう時のために用意しておいた『有給休暇申請書』を引き出しからそっと取り出し、拗ねたように口をヘの字に曲げるエリアルデ支局長に押し付けると、何も言わずに出口へと走った。
「逃がすな追え!」「ハァァァルゥゥゥトォォォ……」「殺す殺す殺す殺す!」「麗しのエリアルデ支局長に何晒しとんじゃド三下が!」
口ぐちに喚く男衆が後ろから追いかけてくる。
追いつかれた終わりだ。
『トール』や『魔神』なんかよりあれの方がよっぽど怖い。捕まったら何をされるか分かったものではない。
俺はギルドの建物から飛び出すとそこで直角に曲がり、建物の陰に身を隠した。すぐさま座標転移のイメージを練り上げると、俺は『投影』で自身の座標を書き換え、近くの森の中に逃げた。
さらに連続でイメージを練り上げ、俺は木々の陰に隠れるように、空間を跳躍する。
目指すは自宅。
エリアルデ支局長の爆弾発言によって活性化した男衆と仕事をするというのは、針山の上でタップダンスを踊るに等しい愚行だ。
申し訳ないが、今日は早退させていただこう。
とりあえず、我が家で夕食を食べたいらしいエリアルデ支局長を自宅に呼ぶ準備を整えなければならない。くーちゃんの戦利品も尽きてしまっているから、食材を買い足す必要がある。
そういう点でも、まあ、ちょうどいいだろう。
♢♢♢
恋のライバル・エリアルデ支局長の『妾も汝の家でゆっくりご飯を食べたいのじゃ!』発言には正直度肝を抜かれたが、しかし思いのほか私は落ち着いていた。
不思議な気分だった。
私は死に、エリアルデ支局長とのハルトさん争奪戦は不戦敗がほぼ確定しているというのに、何というか、あまり悔しくない。
この人だったらまあいいかなという、諦念にも近い感情があった。
或いは承認か。
この人だったら仕方がない、と、私はエリアルデ支局長の事を高く評価しているのだろうか。
どちらでも構わないのだけれど。
どうして私がハルトさんの家に行ったことを知っているのか、という疑問は、ギルド諜報部に所属していた私には到底無視できないものだったけれど、今となってはそれもどうだっていい。
そんなことよりも、私がハルトさんの家に行ったことが、あのクールなエリアルデ支局長に嫉妬心に火をつけたことの方が重要だ。
愉快愉快、してやったり、だ。
受付業務を淡々とこなしつつ、私は心の奥底でほくそ笑んだ。
ものすごい勢いで逃走したハルトさんだけれど、多分近いうちにエリアルデ支局長を夕食に誘うだろう。あそこまで求められて、それを無碍に拒絶できるような性格でないことは、この2年でよく分かっている。
さて、そろそろギルドの営業終了時刻だ。
書類の整理は既に終えた。私が居なくなっても最小の被害で済むよう色々と用意はしてある
ギルドから何かアクションがあるとしたら、恐らくは今日の帰り。
時間を考えると、夜の闇に紛れて暗殺を試みてくる可能性が高い。
しかし、夜の闇を味方につけられるのは私も同じだ。
ギルドを出る前に、精々準備をさせていただくことにしよう。




