魔神来襲-12
『ラグナロク』を安定化させる制御術式が効力を失い、何が起こるかも分からない疑似ブラックホールの解放が起ころうとしていた。
せめてカーテナだけでも逃がしたいが、砲撃を続けるトールの牽制に手一杯のカーテナは、そもそも『ラグナロク』が崩壊しそうになっていることすら気づいていない。
魔力をかき乱された影響で意識の集中が困難になり、とうとう『投影』による足場の維持までおろそかになり始める。
全身を浮遊感が包み、地面に向かって落下していく。
その体が、突然空中で縫い止められた。
「まったく、よく分かりもしないものを扱うからこうなるんだよ、高須君」
揺れる視界の向こうに、誰かが現れた。
誰かは炸裂の時を今か今かと待つ疑似ブラックホールの傍らに浮かび、手をかざした。
「あ……」
ぽひゅん、と間の抜けた音が鳴って、疑似ブラックホールは姿を消した。
「アスカ、そのデカいの壊して」
誰かがトールに手をかざす。
何が起きたのか、少なくとも魔術ではないことだけは分かるが、トールの全身が突然朽ち、銀色の金属光沢が失われていく。
何らかの機構に異常が出たのか、トールの砲撃が停止した。
「了解しました!」
トールの陰から黄金色の光を纏った少女が跳び出し、てっぺんよりも高い位置に到達すると、その金色の腕をトールの脳天に叩きつけた。
強化魔抗銀製で、ほとんどの物理攻撃を意に介さず、魔術も作用しないというインチキみたいなトールの機体。その堅牢なボディが、さながら繊細なガラス細工が割れるように、インパクトのポイントから放射状にひび割れ、砕けた。
同時に俺を苛んでいたジャミングも止まり、ようやく俺は、目の前にいる人間の姿を判別することが出来た。
着物のような旅装。あれは東国の標準的な服装だ。
俺と同じ、薄く黄色味を帯びた肌、黒髪黒目。ただし、容貌は十分若々しくても、その黒髪には若干白髪が混じっている。年齢にして、40代前半といったところか。
柔和な表情を浮かべるその男を俺は知っている。
東の国で出会った、俺と同郷の男。
科学の無いこの世界はもちろん、元の世界の基準に照らし合わせても最高水準の科学知識を持つ男。
「やあ、高須君。元気そうで何より」
そして、『魔神』と呼ばれる男。
梅宮雄哉、その人だった。
「何で、あなたが……」
「国王の意向で、ちょっとね。それよりも高須君、どうしたんだい? 大暴れしちゃって、君らしくもない」
「……」
「言いたくないなら当ててあげよう。アルキドアの皇帝を殺すつもりだね? 理由は……、君がここまで怒るってことは、クリスちゃん絡みかな」
何もかもお見通しか。
東国で重要な役割を担っているはずの梅宮さんがここに来たということは、そうしなければならない理由があったということ。助けてくれたことには素直に感謝しなければならないが、場合によっては、俺はこの人とも……。
「……俺を止めますか?」
「もちろん。弱肉強食がこの世界の節理ってのは認めるけどね。僕は目の前の殺人を看過できるほどこの世界に染まってはいない。君相手なら、なおさらだ」
梅宮雄哉という人間は、とても優しい。情に厚いというべきなのか。自分を殺すために遠路はるばるやってきた俺を、同郷の人間というだけで助けてくれた。今の俺があるのは、この人のおかげだと言っていい。
しかし、そんな恩人の意思に反してでも、俺には絶対に曲げられないものがある。
くーちゃんの平穏を守る事。
俺はそのためだったら、人殺しになろう。悪魔になろう。鬼になろう。恩人と対立してでも、目標を果たそう。
ジャミングによって消失していた魔力障壁と物理障壁を展開。『投影』による障壁の他に、魔術による障壁も張る。
知覚を加速。音速域の戦闘に順応できるよう、基本的な五感と思考を強化する。
「トールを壊してくれたことには感謝します。助けてくれてありがとうございました」
「礼には及ばないよ、これぐらい」
「だけど、俺を止めるっていうなら、俺はあなたを叩き潰してでも押し通ります。そこをどいてくれませんか? 宮廷のどこかにいるレガノア3世を、俺は殺さなきゃいけない」
「無理な相談だね。さっきも言ったろ? 僕は目の前の殺人を看過できないって」
「くーちゃんを守るために必要なんです。梅宮さん、どいてください。でなきゃ……、あなたと戦わなきゃいけなくなる!」
「どかない。僕は君をここで止める。生徒の過ちを正すのは、先生の務めだからね」
「そうですか……。残念です」
神級魔術、『神の火』の陣を展開。
続けて、『神の雷』、『神の裁き』の魔方陣を展開。
積層する3つの陣は連動して強く輝き、各々が司る魔術を発動する。
まず、上空から巨大な火柱が俺と梅宮さんの双方を巻き込む形で落下し、周囲を火の海へと変えていく。当然魔力障壁を張る俺は痛くもかゆくもない。
続けてプラズマを生み出すほどの苛烈な雷撃が注ぎ、オレンジ色に揺れる視界の一部を白く彩る。
最後に、あらゆるすべての生物に均等かつ致死にギリギリ至らないダメージを与える裁きの光が、火も雷の余波も、何もかもを呑みこんで顕現した。
しかしこれは、単なる小手調べだ。
「神級魔術をこんなにもたくさん……。流石だねぇ」
まともな五感では周囲の把握さえ困難な場で、梅宮さんの声が聞こえた。
光はかき消され、雷は突然止まり、火は見る見るうちに鎮まっていく。
一国の軍隊をまとめて滅ぼせるような魔術連撃を、梅宮さんは埃を払うようにいなし、かき消し、相殺する。
「ただ、単純過ぎるかな。もう少し事象の組成を誤魔化さないと僕には通じない。手本を見せてあげよう」
気付けば、梅宮さんがかざす手の前に、白い結晶のようなものがあった。
いつ生じたのか、全く気づかなかった。警戒する余裕も、ましてや対抗策を練る時間すら無い。
次の瞬間、俺の視界が白く染まった。そのフラッシュは長く続かず、ほんの数秒で晴れていった。
梅宮さんと俺の間の地面が抉れ、赤熱し、液化して泡立っている。
パキ、パキ、と音を立てて俺の物理障壁にヒビが入り、欠片が零れ落ちて消滅していく。
今、何が起きた?
「理解できたかい? できなかったのなら、君の負けだ。僕はこのお攻撃を後何度か繰り返すだけで君を倒せる。弱肉強食が節理なら、負けた君は僕に従わなきゃいけないはずだ」
「……っ、来いカーテナ!!」
「無駄だよ。彼女ならアスカに組み伏せられて動ける状況じゃない」
梅宮さんの手の動きに合わせて、比較的元の形を保っていたトールのボディ部分が浮かび上がり、無造作に脇に捨てられた。その向こう側、死角になって見えなかった所には、紅の着物を着た巻き毛の少女がいた。その下に、腕と頭を押さえつけられた金髪の黄色い装束を纏う少女が居た。随分とボロボロで、所々服が破け、その周囲が赤く染まっていた。
「殺してはいません。ご安心を」
抑え込む撒き毛の少女の方にはかすり傷一つ見られない。相当な技量差、もしくは相性が両者の間にはあったということだ。
信じられない。
迫撃戦ならば俺より強いはずのカーテナが、同じく身一つの少女に組み伏せられるはずがない。
しかし現実問題として、そこにはボロボロになり、抑え込まれたカーテナの姿があった。
「高須君、君の負けだ。今の君は、盲目的に動きすぎている。大抵の事には、殺人以外の解決策だってあるんだ。今の君は力にモノを言わせて安直な手段を採ろうとしているに過ぎない。そんなやり方じゃ、手ひどいしっぺ返しが待ってるよ」
「……だったら……」
衝き上がる怒りのまま、俺は叫んだ。
「アンタが戦争を止めてくれんのか!? くーちゃんを物としてしか見てない奴らを一人残らず叩き潰してくれんのか!!」
俺だって悩んだ。できれば誰も殺したくない。例えそれがどんなに屑であったとしても、もう誰も殺したくはなかった。
だけど。
「じきに戦争は始まる! 俺を狙う輩が動き出すまであと数日ってところだ! アンタは、言論や、道徳や、和平や、譲歩で、そこまで動き出しかけた国家を止められるってのか!?」
口では散々、他人の事はどうだっていいと言ってきたが、本当のところを言えば、俺はそこまで割り切れてはいない。
ノーリッド村の惨劇が国という規模で再現されようとしている。それを黙って見過ごせるわけがない。
学習はした。
『殺される前に殺す』
両手を血染めにすれば、少なくとも俺が守りたいと思う範囲の人間は誰も死なない。
「何もかも、一人で背負いこみ過ぎじゃ、この愚か者が」
突如響くよく知った声。
驚いて声のした方に顔を向けると、今まさに消滅していく転移魔術の魔方陣と、『神の鎖』で動きを封じ込めたはずのエリアルデ支局長の姿があった。
「久しぶりじゃの、小僧」
「ええ、お久しぶりです。エリアルデさん」
肩越しに会話する梅宮さんとエリアルデ支局長。
そんなはずはない。
確かに俺は、龍族といえどそう簡単には破れない神級魔術で動きを封じ込めたはずだ。
「エリアルデ……支局長……どうして」
「『龍王』をあまり舐めるでないわ。手心の加わった神級魔術を壊す程度、造作もない。ハルよ、妾は、汝から見て、そこまで頼りない存在か?」
「……いえ」
最高に心強い。俺が背中を任せられる存在が、頼りないわけがない。
しかしだからこそ、巻き込みたくなかった。俺が撒いた種の片付けに、俺の知人を巻き込みたくなかった。
「ならば、妾を頼れ。妾だけではない。テンペスタも、エアリアも、汝の頼みならば喜んで聞くじゃろう。1人では成し得なくとも、2人、3人ならば成し得るかもしれない」
「僕だって居る。君は決して1人じゃない。考えてもみなよ、高須君。皇帝以下首脳部を君が皆殺しにしたとして、それで戦争は止まるかな? 一時的に延期はされても、報復論が湧き上がって、結局は同じことになるんじゃないのかい? そうならないよう落としどころを見つけた方が、誰にとっても良いことだとは思わないかい?」
1人より2人、2人より3人。3人寄らば文殊の知恵。
俺と、梅宮さんと、エリアルデ支局長。『神殺し』、『魔神』、『龍王』。
「いくらでも方法はあろう。例えば、準備中の軍備を全て破壊し尽くすとか、汝、にそこの『魔神』に、妾やその眷属が連合してアルキドアに最後通牒を突き付けて和平に持ち込むとかの」
確かに、この世界で屈指の強者である俺達ならば、エリアルデ支局長が例示したようなことも、或いは可能かもしれない。
『殺さない』という道がある。
仲間が、俺にその道を示してくれている。
「本当に、それで、戦争は止まるんですか、くーちゃんは狙われずに済むんですか」
「してみせる。僕たちだって戦争は御免だ。そもそも僕は、『魔王』が予知した大戦争や化け……まあそれはいいや……とにかく、大戦争の回避を命じられてここに来た。東方8か国連合の全権も委ねられてる。大国アルキドア帝国も、実力未知数の東方8か国、神殺し、魔神、龍王とその眷属をまとめて相手取って勝てると驕るほど馬鹿じゃないさ」
梅宮さんは、右手を俺に差し出した。
俺は一歩一歩、赤熱した地面を『投影』で固めながら近付いていった。
後数回で魔神来襲編は終了です。




