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龍神の聖母-28

 『虚無』の魔力を纏うカーテナが老人の頭上数センチのところに達したその瞬間、突如として真っ白な光の壁のようなものにカーテナがぶつかり、さらに込めていた『虚無』の魔力の大半を打ち消され、甲高い音を立てて弾かれた。


 俺は『投影』で一度距離を取り、俺の攻撃を防いだ魔力を検めて、驚愕した。



『主様っ! この、この魔力は……』

「……どうなってる」


 通常の魔力を正の魔力とすれば『虚無』は負の魔力であり、あらゆる魔力に対して中和して『打ち消す』という強力な作用を持つ。それを『魔神』の出力で放出している以上、原理上この世の中で個として俺に対抗し得るのは、同じ『魔神』か同格の存在である『龍神』以外にあり得ない。

 ……いや違う。

 厳密には、可能性を持つ者がもう一人だけ居る。

 生来絶大な魔力を有し、強力な魔術を行使し得る能力を持っている存在。いつか、『龍神』となる者。

 『龍神の御子』、タカス・クリス。


「我らの六年に渡る悲願だ。こうでなくては」

「どうしてお前が、くーちゃんの魔力を……」

「言っただろう。龍玉だ」

「……まさか」


 最悪の想像が脳裏をよぎる。

 そして、その『最悪の想像』以外の理由では、今起きた現象に合理的な理由を付けることができなかった。

 突然視界が暗くなったような気がした。

 目の前の風景が、突然意味を伴わなくなった。ただそこにあるだけで、そこにあるモノが何なのかすら、俺は理解できなくなった。

 龍玉の材料は、龍族。

 この老人は、ついさっき、そう言った。

 それが意味することとは。


「『龍神』を素体とした龍玉は、膨大な魔力キャパシティと強力無比な魔力運用を同時に実現するだけの力がある。これを称して『神玉』。子供では若干性能は劣るが、それでもその力は絶大だ」

 

 老人が何か垂れているが、俺の耳は音を音として受容しつつ、その意味を理解することを放棄していた。

 沸々と汚泥のような感情が心の底の方から染み出してくる。かつて一度解放して以来、二度と表には出さないと決めたあの化け物のような感情が、ジワジワと俺の意識を食らっていく。

 『虚無』の翼が拍動する。視界が赤く明滅する。

 ほとんど衝動的に体が動きそうになるのを必死に堪え、俺は最後に残った理性を総動員して言葉を紡いだ。


「くーちゃんに、何をした」

「見ての通り、神玉を生成するための素体にした」


 魔力が溢れ出して体という枠から漏れだし、陽炎のように立ち上る。

 ドロドロとした化け物はきつく締めた蓋を完全に吹き飛ばし、嵐の前の静けさにも似た一瞬の平静を俺の心にもたらした。


「6年前、龍族の里を襲撃した際には取り逃した『龍神の御子』。それがどういう経緯か魔境超えを成し遂げるような化け物の手に渡ったと知った時は、我々も落胆したものだったよ。だが、今こうして神玉は我らの手にある」


 親を殺され、俺と同じく世界を飛び越えてきた男が預かり守り通した1個のタマゴ。将来神の名を冠する者になることを定められた、1人の女の子がその中で誕生の時を待っていた。

 東の国でくーちゃんが生まれた時、俺もその場に居た。突然天涯孤独となってしまった自分の境遇と重ねあわせてしまい、俺はあの小さな小さな白い龍に情が移ってしまった。

 アルキドアに厄介払いされたことを東国で知り、復讐の念すら抱いていた俺を最後に踏みとどまらせたのは、弱々しく鳴く小さな龍だった。守らなければいけないと思った。俺個人のくだらない自尊心なんかよりも、この今にも散ってしまいそうな儚い命を、たとえ何を犠牲にしても守らなければならないと思った。

 くーちゃんの親代わりとなってから、俺は元の世界に戻ることにはあまり固執しなくなった。もちろん戻れるものなら戻りたいが、まずはくーちゃんを一人前に育て上げてからだと思うようになっていた。

 あらゆるしがらみも繋がりも絶たれ、文字通り体一つでこの世界にやってきた俺にとって、くーちゃんは『全て』だった。それを、お前は奪ったのだ。

 なら、俺に全てを奪われても、文句は言えまい。

 

 漏れだした虚無の魔力は俺の肉体の周囲に滞留し、鎧のような形状を取りつつ循環を始めた。触れる物を呑み込むという性質を持つ虚無の魔力は、矛であると同時に盾にもなり得る。魔術に対する絶対の防御を誇るオリハルコンを矛として運用するジェラルドをヒントにしたこの形状変化は、インベルと融合して頑強な肉体を手に入れられたからこその魔力運用だ。かつての俺なら漏れだす魔力を翼の形にまとめ上げて動かすだけで限界だったが、今ならここまで細やかな制御ができる。

 相性というものがある。

 同じ一点特化型の力を操る『魔神』相手にこんな汎用的な力の使い方で相対しては、一点に注ぎ込める力の密度という点で負けてしまう可能性がどうしても否めない。だが、あの老人はくーちゃんの魔力を奪っているとはいえ、本質的には単なる人間だ。出力で勝る相手ならば、汎用性を追求した方が戦闘における選択肢が増える。


 あの老人は、敵だ。俺にとってはどうあっても必ず排除しなければならない、生存上の害悪だ。あの老人は、くーちゃんをモノ扱いし、挙句その生命と意志を玉一つに封じ込めるという愚行に出た。ならば、除かなければ。

 龍玉の素体となった龍族がどうなるのか、俺には詳しくは分からない。しかし一つ確かなことがある。魔力制御系を持ち得るのは生命体だけであるという真理とも言うべきルールがある以上、単に魔力を取り出す魔魂石とは違って、あの龍玉にはくーちゃんの命が残っている可能性がある。そうだとすれば、『龍玉化』という現象は広義には『怪我』の一種と考えることができるはずだ。

 ならば、方法はある。

 その方法を試すためにも、今はまず、汚い手でくーちゃんを握りしめる老人を、全力で排除せねばならない。


「カーテナ、ここからは常時『破魔』を使い続けろ。くーちゃんの魔力は俺1人じゃ荷が重い」

『分かりました。主様』

「何だ」

『絶対、3人で帰りましょうね』

「ああ、もちろんだ」


 俺は『投影』で己の座標を書き換え、老人の横合いに転移した。そこからカーテナを老人を覆う白い魔力のベールに差し入れる。目標は老人の首だ。しかし強烈な魔力の奔流がカーテナを押し戻そうとして、なかなか刃先が進まない。

 カーテナに『虚無』の魔力を注ぎ込む。

 白銀の刀身に黒い魔力が通い、周辺の白い魔力を一気に侵食し始めた。だが、あと一歩で刺し貫けるというところまで達した段階で、白い魔力がプロミネンスのように噴き出し、俺の身体を弾き飛ばした。

 

「ふむ、まだ思うように制御できんか」


 床材をゴリゴリと『虚無』の鎧で抉り取ってようやく止まった俺だったが、龍鱗のおかげで怪我らしい怪我は負っていない。鎧のように展開した『虚無』の魔力が白い魔力を粗方打ち消したため、不意を打たれたものの被害は皆無と言ってもいい。

 くーちゃんはまだ子供だ。当然俺はくーちゃんに戦い方を教えていないし、くーちゃん自身積極的に戦おうとしたことなどただの一度もない。だから、俺にはくーちゃんの魔力で何ができるのか、把握できていないのだ。大家に似た、白色の治癒に適した魔力だということは分かっていても、細かい特性までは分からない。何しろいずれ『龍神』となる者の魔力だ。そうそう簡単に分かるわけがない。

 ならば、体当たりでぶつかってどんな力なのかを知る必要がある。龍玉を持つ老人が魔力の使用方法を決めているのだろうが、魔力そのものはくーちゃんのものだ。その性質さえ見切れば、老人が纏う強力な防御網の破り方も、あるいは分かるかもしれない。

 いや、何としてでも破らなければならない。


 俺は、くーちゃんを守る者だ。この世界における俺は、くーちゃんの保護者であり、それ以下でも以上でもない。くーちゃんを守る上での障壁は、それがどんなものであれ、必ず除く。


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