龍神の聖母-13
横倒しになった視界に映るのは、大きな白い彫像だ。白龍を象るその造形は細部まで細かく再現されていて、神々しさすら感じるほどだ。
カーテナの体に憑依したインベルに連れて来られた先は、薄く燐光を放つ壁面で構成された不思議な洞窟だった。空間全体に魔力が満ちているためか、『魔神』化を無理やり解除された直後よりも体調が少しだけ良くなっているように感じる。
その洞窟の中央に、鎮座する、眠る白龍の像。
しかしそれが単なる像でないことに、俺はもう気付いている。
「あれは…………」
「気付きましたか。あれが私の肉体です。術式で封印されているため、私があの身体に戻れることは二度とありませんが。言わば死体ですね」
インベルはその場にゴロリと横たわった。一体何をしているのか疑問に思っていると、カーテナの身体からインベルのゴーストのように透ける半透明の意識体が抜け出てきた。
『肉体と精神を分離するこの術式の名称は「犠牲」。元々は私のような使い方をするための術式ではありません』
インベルは宙を漂いながら、自らの肉体の許へと進んでいく。
美しい白龍の像に、俺はデジャヴを覚えていた。色こそ真逆だが、エリアルデ支局長の本当の姿にそっくりだ。滑らかな曲線を描きながらも堅牢さを感じさせる、美しい姿。翼で全身を包むようにして眠りにつくその身体からは、強いオーラを感じる。魔力ではなく、肉体そのものに宿る強大な力が俺に圧を与えてきている。
『タカス・ハルト、アナタに問います。アナタはクリスのために生き、クリスを導き、クリスに愛情を注ぐことを約束できますか?』
真剣な口調で問うインベル。
その手の質問に対する俺の答えは、いつも決まっている。
「……愚問、だ。俺は……くーちゃんの、ためなら……何だって」
もう声を出すことすら困難を伴っている。
インベルが何のためにこの場所に俺を連れきたのかは分からない。しかし、何かを目的としてここに連れてきたとしても、もうその目的は果たされないだろう。
俺は死ぬ。
身体の限界をとっくに突破している。あとは崩壊していくだけだ。
それでも俺は、かすれる声をひねり出す。
「本当の、母親には……勝てない…………けど、俺は…‥くーちゃんの……保護者、だから」
『それを聞いて、安心しました。アナタはやはり、クリスの親として十分な資質を備えています』
死に行く者に、安心して最期を迎えさせる。
そうじゃない。インベルはそんなことを目的としてここに招いたのではない。そう確信できるぐらいに、違和感がある。
何を目的として俺の『魔神』化を中途半端な形で終わらせ、何のためにここに招いたのか。
疑問は渦巻く。
『「犠牲」は2段階からなります。1つ目は肉体と精神を分離すること。2つ目は、他者にその肉体を与え、もう一度命を与えることです』
一瞬何を言っているのか分からなかった。
しかしすぐに合点がいった。
インベルは、俺にその肉体を与えることで死から救い、また俺が即時魔術を使えるようにしようとしている。ロラッタ山に行けば俺の体調を元に戻せる、とは、つまりそういうことだったのだ。
霊峰の内部に安置されたインベルの肉体と引き換えに、俺の身体を治療、もしくは俺の意識をインベルの肉体に移す。
そしてそれは、インベルが本当の意味で死を迎えることとイコールだ。
インベルが何故その意識を保ち続けられるのか。それは、厳密な意味ではまだインベルは死んでおらず、生命活動を行っているからだ。生命を支えるのは身体であり、身体が滅べば死を迎える。
「待て…………」
それじゃダメだ。
俺は、インベルにくーちゃんを返そうと思っていた。せめてカーテナだけでも遺し、インベルと共にくーちゃんを育ててくれればそれでいいと思っていた。
そのために死ぬ決意までした。その選択こそがくーちゃんにとっての最良であると信じて。
だが、これでは。
白い龍が、ぼんやりと燐光を放ち始めた。
『既に術式は発動しています。アナタの了解を得ることなく、このような勝手な真似をすることをお許し下さい。これは私の望みでもあるのです』
「望み………」
『私はあと数十年程度しかこの世界に留まれない、そう言いましたね。あれは嘘です』
「……!!」
『実際には、あと数年が限度でした。ならばせめて、心なき身体だけでも、少しでもそれがクリスのこれからに役立つなら、残していきたい。私はクリスに何もしてやれなかった母親です。だから、少しでもいいから、あの子のためになることをしてあげたい。アナタが重傷を負ったときから、私はこうすることを考えていました』
「やめろ……やめろ……」
『アナタはどこか、クリスと血の繋がりがないことに引け目を感じているようでしたが、アナタは私よりもきっちり親の役割を果たしていました。私ではなく、アナタが生き残ることをクリスは望むでしょう。アナタはアナタが思うより、他の誰かに大切にされていることを自覚するべきです、ハルトさん』
違う。そうじゃない。
俺は、自分の影をくーちゃんに重ねていたに過ぎない。元はといえば、全てを奪われ、裏切られ、唯一心の拠り所としていた目標すらも偽りであったことが分かって絶望していた俺が、同じく何もかもを奪われたくーちゃんに救いを求めたことから始まった。
カミラやエアリアに偉そうに説教した俺もまた、かつて憎しみに屈した汚い人間だ。この手で殺した人間の数は1人や2人ではない。自分が生きるために、俺は大勢を殺している。
こんな奴の許で育つよりも、本当の母親の許で育ったほうが、くーちゃんにとってはずっと良いことのはずだ。
しかしそんな俺の、最早身体の変調が激しすぎて言葉にできない内心とは裏腹に、術式は進行していく。
燐光が一際強くなり、呼応するように俺の全身を白い魔法陣の紋様が覆っていく。同時にインベルの精神体が少しずつ透明度を上げていく。
その姿は美しく荘厳で、いずれ神となる子を産んだ母としての威厳があった。
『クリスを頼みますね』
そう最期に微笑んで、インベルは消滅した。
♢♢♢
尖塔のような構造とドーム状の構造を幾つも持つ複雑で巨大なその建造物は、大聖堂と呼ばれている。
唯一絶対の救世主を『メシア』とし、彼、もしくは彼女が残したとされる言葉を元に成立した宗教、メシア教の中心となる聖堂だ。
その一室に豊かな顎鬚を蓄えた初老の男性のもとを、白を貴重とした司教服を纏った年若い女性が尋ねてきた。髪も肌も白く、目は碧い。その姿は幽鬼のような印象を見るものに与えるが、女性が持つ力を考慮すれば、その印象もあながち間違いではないのかもしれない。
男は顎鬚を撫でつつ、女性に問いかける。
「イザベラよ、『神玉』の製造はどうなっておる」
「あまり芳しくありません。術式をかけようとしたところ、異常に強力な障壁が展開され、術式の進行と『龍神の御子』への干渉を完璧に阻んでいます」
「タカス・ハルトが遺した術式か。死を迎えてなお刃向かうか」
「それについてもう2つご報告があります。1つ目、展開された障壁を支えている魔力はタカス・ハルトのものではありません。2つ目、『魔神』化したタカス・ハルトのものと思われる強力な魔力の反応がロラッタ山の麓で検知されました。タカス・ハルトは生存しているかもしれません」
「魔兵の攻撃を3発も受けて、生存できたというのか……。信じられぬな」
「タカス・ハルトと互角以上の戦いを繰り広げていたという老婆はほぼ無傷だったと報告されています。その老婆が治療したのでは」
「…………いや、確かに一度彼奴の魔力反応は消えている。死んだか、限りなく死に近いところまで近づかぬ限り、そのような状態になることはあるまい。『神の薬』でも立ち直れぬ状態から、どうやって……」
眉間に皺を寄せ、顎鬚を親指と人差し指で扱きつつ、男は呟く。
「障壁の解析と解除に要する期間は」
「解析自体は済んでいます。かなり古い術式をベースにした術式でしたので。問題は解除の方で、これには膨大な魔力が必要となります。この魔力を集積するために、およそ1週間程度必要と見積もられています」
「ふむ…………。イザベラよ、今動ける魔兵はどの程度だ?」
突飛な質問にもイザベラは淀みなくスラスラと回答する。
「およそ4部隊20名程度です」
「では、4部隊をアルキドア帝国帝都に投入せよ」
イザベラは眉根を上げて疑問を表情に現した。
「アルキドア帝国、ですか? お言葉ですが、そのようなことをすれば魔力集積にかかる時間が伸びてしまいます」
「逆だ。魔力集積にかかる時間を短くするために、アルキドア帝国に魔兵を投入する。目標はアルキドア帝国帝都、おそらくは主城に備蓄されている『魔魂石』だ」
男は乱れた顎鬚を元の形に整えつつ、邪悪な笑みを浮かべた。隣人愛を謳う宗教とその神に身を捧げる聖職者とはとても思えないその醜悪な表情は、男の本質を顕すようで、イザベラは震えた。
しかし内心は表に出さず、淡々と言葉を絞り出す。
「では、そのように手配いたします」
一礼し、部屋を後にするイザベラ。
その部屋は大聖堂の中でも最も立場の高い人物が常駐する、格式高い部屋だった。
その部屋の主は、『教皇』と呼ばれている。




