龍神の聖母-12
「……インベル、何のつもりだ」
俺は打ち砕かれた魔法陣の残滓と、打ち砕いたインベルの、いや、カーテナの『破魔』の光越しに、カーテナの姿をしたインベルを睨みつけた。
しかしインベルは答えず、代わりにもう一歩踏み出し、俺に『破魔』を纏った腕を突き立ててきた。
慌てて避けようとしたが、タイミングを図ったかのようにまた全身を激痛が貫き、俺は硬直した。
緑色の光を纏ったインベルの右腕は、俺の胸を貫いていく。
「…………」
「私も覚悟を決めました。あなたには、是が非でも生き延びてもらいます」
カーテナの腕が俺の胸を貫いているというかなりショッキングな絵面にもかかわらず、俺は一滴たりとも血を流していないし、痛みもない。
それもそのはず、カーテナの『破魔』は『破戒』同様、切断する対象を厳密に限定した能力だ。その対象は、魔力。斬られたのは俺の肉体ではなく、俺の『魔神』としての魔力の方だった。
背から伸びた触手状の翼が崩れていく。黒い『虚無』の魔力が安定を欠き、消え去っていく。圧倒的な力であっても、それが魔力であるかぎり、『破魔』には勝てない。これは絶対のルールだ。
全身の力が抜ける。『魔神』化と引き換えに支払ったリスクが、今俺の全身を苛んでいた。人として大切な何かが傷ついたような感覚がある。
倒れかけた俺を、インベルが支えた。
「これよりロラッタ山内部の洞穴に転移します」
「…………ちょっと待て、お前、一体……」
何のために俺の『魔神』化を強制解除したのか。
その疑問を解消するような言葉をインベルが口にすることはなく、周囲を魔法陣に覆われ、俺はインベルに連れられて空間を飛び越えた。
♢♢♢
アルキドア帝国、帝都、皇帝執務室。
国の長であるカミラは今、ある男と相対していた。
魔抗銀の枷で両手両足を拘束されて椅子に固定され、白い囚人服を着せられた、30歳手前の男の名は、ライオネル。
左右にはパーシヴァルとエアリアが戦闘準備を整えた上で控えていることからも、男の重要性と危険性を伺える。
ライオネルは、国民の命を材料にして造られる魔具、魔魂石の開発者だ。
魔魂石の力に目を眩ませた先代皇帝は、民の命を際限なく消費し、魔魂石の増産を進めた。犠牲者の数は数千から数万と言われているが、はっきりとした数は分かっていない。ただ、城内に備蓄されていた魔魂石の数から考えれば、どんなに少なくても3000人は下回らないことは間違いない事実だ。
こうした皇帝の行いの陰で生まれた悲劇が、皇帝に反抗する勢力を育み、最終的には実子のカミラによってその凶行は阻まれ、先代皇帝は皇帝の位を奪われた上で処刑された。
すなわち、ライオネルは膨大な死を生み出した元凶であり、相対するカミラにとっては敵の中の敵とも言える相手である。
「これはこれは、皇帝陛下。ご機嫌麗しゅう存じます」
「貴様のせいで死にかけた。よもや、あのような器具まで開発していたとは。驚いたよ、ライオネル」
互いに互いを牽制する物言いは、片や皇帝、片や囚人となっても変わらない。
凛と立つカミラはもとより、囚われの身となったライオネルも、目の光は一向に衰える様子がない。
「あの器具を考案したのは、タカス・ハルトです。私はただ、彼のアイディアを形にしたに過ぎません、皇帝陛下」
「…………そうだな。確かに貴様はあの器具、『銃』を作りはしたが、実際にこの私を撃ったのは兄上だった。お前を責めるのは筋違いかもしれん」
カミラは柔和な微笑みを浮かべた。
しかし次の瞬間、微笑みは引き裂くような邪悪な笑みに変化した。さらにカミラの爪を具現魔術が伸長して5本の鋭利な切っ先を生み出した。
カミラはライオネルの首筋に爪の先端をピタリと当て、言う。
「だが、貴様が母の敵であることは明白だ。私は今も貴様を殺したくてウズウズしていることを忘れるな、ライオネル」
カミラの目に迷いの色が浮かぶ。
このまま爪を突き立ててれば、ライオネルを殺せる。しかし、本当にそれで良いのか。
逡巡の末、カミラは爪を離した。
脳裏によぎったのは、黒髪の魔術師の姿だった。
(こいつを呼び立てたのは、殺すためではない。必要な情報を引き出すためだ)
思い直したカミラは書類が山と積まれた机の、少しだけ空いていた隙間に腰をかけ、ライオネルに問いかける。
「貴様は『四役』についても研究していたな。その中でも特に『魔神』に注力していたようだが、その理由は何だ」
「おや、陛下も魔導兵器に興味がおありで?」
「質問をしているのは私だ。答えろ」
「これは手厳しい。陛下にも魔導兵器の素晴らしさを語って差し上げようと思いましたのに」
その言葉に真っ先に反応したのは、カミラではなく、パーシヴァルだった。
オリハルコンの剣を目にも留まらぬ速度で抜刀し、構えた。
「そうして先帝を唆したのだな。陛下に再び同じ所行を働けば、このパーシヴァル、陛下の意に反してでも貴様を叩っ切る」
「よしなさい、パーシヴァル。ハルトの意向を尊重なさい」
臨戦態勢に入っていたパーシヴァルだったが、カミラに命じられると、大人しく剣を引いた。しかし眼光は鋭いまま、ライオネルを睨みつけている。
「血気盛んで恐ろしいですねぇ。分かりました、真面目に答えましょう。私も折角助かった命をこんなところで捨てたくはありませんので」
「そうしてくれ。私も貴様の顔を見ていると潰したくなってくる。弾みで殺されんよう返答には気を付けることだ」
殺気が交錯する執務室において、しかしライオネルは余裕を崩さない。その根源は何なのか、カミラは不気味に思いつつ、ライオネルの言葉を注意深く聞く。
「陛下の質問に答えるためには、バックグラウンドからお話しなければなりません。構いませんか?」
「話せ」
「それでは。『龍神』や『龍王』、『魔王』は1つの時代に1人ずつしか現れず、厳密な意味で唯一の存在です。ところが、『魔神』だけは何故かそうではありません。歴史上、『魔神』と思われる存在が一時代に複数人出現した記録があることはご存知ですか?」
「知っている。今代だと、タカス・ハルトとジェラルド・アウリカルクムがそうだろう」
カミラは国の権力の全てをもぎ取る戦いの際、2人の『魔神』に協力を要請し、その目的を果たした。その力は、自身も吸血鬼として卓越した魔術の腕前を誇るカミラにして、想像を絶するものだった。
「その通り。両名は紛うことなく『魔神』です。ところが、両者には能力の性質以外に、無視できない大きな差異があります。何か分かりますか?」
「…………いや」
「『魔神』の力を自由に振るうジェラルド・アウリカルクムに対して、タカス・ハルトはその力を完璧には制御できていないらしい、ということです」
「制御できていない? 報告では、帝都上空に触れた物質を消滅させる黒い弾を打ち出す、未確認の魔法陣を構築したとある。あれは、意識的に発動した魔術ではないのか?」
「あのタカス・ハルトが、共に攻め入ってきたエリアルデやウメミヤ・ユウヤを見捨てるような真似をしますか? しかもその後、ウメミヤ・ユウヤは魔術ではない正体不明の力を用いて『魔神』化したタカス・ハルトと交戦しています。タカス・ハルトは『魔神』化したものの力を制御できず、暴走状態に陥ってウメミヤ・ユウヤとの戦闘に至ったと考える方が順当だとは思いませんか?」
「タカス・ハルトは、『魔神』の力を制御できていない。それこそがジェラルドとの大きな差だと」
「その通りです。では何故、タカス・ハルトは『魔神』の力を制御できないのか。私はタカス・ハルトが、本来この時代に現れるはずだった『魔神』ではなかったため、と考えています」
「……どういうことだ」
母に聡明なローラを、教師に高須春人を持っていたカミラは決して愚かではないが、しかし、ライオネルがどうしてそのような結論に至ったか、という部分をどうしても理解できなかった。
それもそのはず、現象と結論の間に挟まっていなければならない論理がいくつか抜け落ちている。
間を埋めるに至った論理こそ、ライオネルが『魔神』を求めた理由だった。
「私の祖父もまた、『魔神』です」
ライオネルの口から脈絡も何もなく放たれた言葉の意味をカミラの脳が理解するまで、優に5秒はかかった。
「『魔神』……?」
「このことを人に話すのは初めてです。私の名は、ライオネル・メリオール。私の祖父は、レオナルド・メリオールです」
レオナルド・メリオール。
その名に真っ先に反応したのは、カミラでもパーシヴァルでもなく、エアリアだった。
「人族こそ至高と称し、他族の迫害を正当化するあのクソ宗教の、裏のトップと呼ばれている男だな」
「さすがはかの『嵐龍王』の孫娘、そこらの人間とは知識の幅が違う。ですが、1つだけ訂正させてもらいましょう。私の祖父はメシア教の多数派を取り仕切る立場に居ます。他族迫害を表立って是とするゼノン派とは関係ありません」
「同じことだろう。抑圧された人族の自由を取り戻すという名目で、私の同胞がどれだけ殺されたと思っている」
「それに関しては言い訳できませんね。と、そろそろ本題に戻らせて頂きましょう」
ライオネルは横道にそれようとする会話の流れを強引に断ち切り、戻した。囚われの身にあっても芯を失わず、自分を保ち続けるその姿は、3人が見てきた過去のいかなる『悪人』とされる人々とは隔絶した差がある。
ライオネルは変わらない調子で言葉を続けた。
「私の祖父もまた『魔神』の力を覚醒させ、絶大な術を行使しました。しかし覚醒後数十年経っても、祖父は『魔神』の力を制御し切ることはできませんでした。『魔神』化と共に頭痛に苦しみ、時に自我を失って全てを破壊し尽くしたことがある、とも」
その有り様は、タカス・ハルトが暴走状態に陥った際に城内に居たパーシヴァルには、たやすく想像できた。
黒々と黒真珠よりも密度の高い漆黒だった瞳は赤く妖しい光を放ち、血の涙を流しているかのような顔の文様。夜空よりも黒い、『闇』としか表現できない何かを撃ち放つ、巨大な魔法陣。触れるものを片っ端から飲み込んでいく黒い触手のような翼。
普段の飄々とした様からは想像できない、まさしく悪魔のような姿だった。
「鍛錬が甘いのか。そう考えた祖父は厳しい鍛錬を続けました。しかし、その最中、祖父が成し遂げられなかったことを、まるで積み木を積むように易々と成し遂げた人物が現れました。その人物こそが、ジェラルド・アウリカルクム。そして祖父は確信しました。何故己が『魔神』の力を扱いきれなかったのか。何故1つの時代に1人きりと定められているはずの『魔神』が2人も居るのか」
「レオナルド・メリオールがその時代本来の『魔神』ではないから」
「その通りです。そしてそれは、タカス・ハルトにも当てはまること。おそらくはジェラルド・アウリカルクムこそがこの時代本来の正統な『魔神』であり、祖父とタカス・ハルトはイレギュラーとして出現した、いわば『魔神』もどきだと考えられます」
「なるほど……。タカス・ハルトが『魔神』の力を制御しきれないのは、彼本人の力量に問題があるわけではなく、最初からそういうものだった、と」
ライオネルは頷いた。
カミラは、ライオネルを支えている芯を、ボンヤリとではあるがつかみ始めていた。
「そしてそれは、祖父を絶望させるに足る、悲しい事実でした。魔術師としてひたすらに高みを目指し、純粋だった祖父に強烈な衝撃を与え、さらに畳み掛けるように悲劇が襲いかかりました。陛下、私が元々教会の孤児院から成り上がってきたことはご存知ですか?」
「ああ、知っている」
「何故私が孤児となったのか。それは、私の家族が戦争で全員殺されたからです。父も、母も、妹も。私は祖父の下で魔術の稽古をつけてもらっていて、突如戦場となった実家を離れていたので無事でしたが、祖父はこの一件で完全に壊れてしまいました。力を求め、戦いに走り、そうしているうちにいつしか今の立ち位置にまで上り詰めたそうです」
カミラの脳裏に『神殺し』とまで呼ばれた魔術師の姿が浮かぶ。彼がどのような旅路を辿って魔境を抜けたのかは分からない。しかし、何かを奪われ、それを取り戻すために魔術が必要なのだとかつていつになく真剣な表情で語っていたことをカミラは思い出していた。
語るライオネルには最早、最初のような軽薄な気配は無い。奸佞邪智の輩と思っていたその瞳には、強い光が宿っているようにカミラには感じられた。
「それでは最初の質問に答えましょう。私が『魔神』の研究に注力していたのは、『魔神』の力を制御する何かを明らかにしたかったからです。そのために手段を選ぶつもりは毛頭ありませんでした。魔魂石は魔力キャパシティを外付けにできるという点で期待していたのですが、残念ながら先代皇帝陛下に気に入られる以外の結果は残せませんでしたし、結果的にはあれが原因で立場も失ってしまいましたし」
「人の命を奪ってまで邪道の研究を続けた報いだ」
「そうかもしれませんが、私にとってはどうだってよいことです。陛下が亡き皇妃殿下のために力を振るったように、私は唯一残った肉親である祖父のためにこの頭脳を使うつもりです」
「そう言う割には、随分簡単に命を投げ出そうとしたようだが」
「あれはジェラルド・アウリカルクムを殺すためです。正統な『魔神』が死ねば、もしかしたら今居る『魔神』が正統の権利を手にすることができるのかもしれない。そう思ったのですが、よくよく考えれば、もしそうだとしたら、ジェラルド・アウリカルクムではなく私の祖父がその権利を得ていなければおかしい。私としたことが、浅薄に過ぎた行動だったと後悔しています」
カミラは全く悪びれる様子のないライオネルの顔を睨むように見据える。
権力欲や名誉欲に取り憑かれた者にはどうしたって纏えない気迫というものがある。揺るがない芯が中心に通っていなければ絶対に持ち得ない意思の力というものがある。
奸佞邪智の輩、悪逆の魔術師、非道の研究者であると思っていたライオネルに備わっていてはならないものを、ライオネルは確かに持っている。その正体こそをカミラは知りたかった。
何故多くの兵士や宮廷魔術師がこの男の減刑を命がけで嘆願しに来たのか。
その答えは今明かされた。
誰かにとっての大義が誰かにとっての悪となり、勝ったほうが正当を主張し、負けた方は悪人として蔑まれる。この世界はきっとそういう風にできている。
『憎しみに飲まれるな』
その言葉の意味を、カミラはこの時ようやく自分のものにした。
「ライオネル・メリオール、貴様の刑罰について、皇帝の戦時大権に基づき変更を加える。1つ、懲役刑30年を取り消す。2つ、全ての魔術的活動の禁止は取り消し、邪法研究を除く全魔術的活動を許可する。3つ、邪法を除く全ての研究成果を開示せよ。以上だ」
唖然としているのはライオネルだけではない。パーシヴァルもエアリアもまた、呆然とカミラを眺めていた。
そんな視線を全て無視して、カミラは1人、執務室を後にした。
悠然と歩くその姿は、『クソガキ』、『宮廷のいたずら小娘』、『おてんば娘』と呼ばれたかつての少女の成長を雄弁に物語っていた。




