[022] 働いたら勝ちかなファ〔3〕
〔3〕
アルシンは駆け抜ける。あるいは疾風すらも超える速度で。
滅ぼした“巣”の位置からまず南西へ向けて移動。そこから時計回りに西から北へ、北から東へ、そして東から南へと巡回しつつ、ユークスタシラムの街へと帰還するつもりであった。
途中途中で見かけるゴブリンどもの内、一隊として機能を保っている隊長種付き(や、シャーマン種付き)のものを優先して狙撃抹殺していく。近寄る必要すらなく、遠間から投石するだけで十分であった。運よく生き残る普遍種については南の人里方面へ向わなければ放っておく。絶滅には追い込まない。これには理由がある。今回の反省点とも言える。
統制を失い逃げ散るゴブリンの普遍種どもは、おおまかに北の山岳方面へと退路を取っているようだった。アルシンが北から東、東から南へと森林秘境域を縦断する中で痕跡を調査しても、特に見当たるところはなかった。してみると、奴らはやはり北方から下ってきた一団だったのだろう。当初は森林秘境から縄張り変動によって漏れ出したのではないかとも考えられていたが、これには該当しないようだった。(ここ最近では森林秘境の“大物”をアルシンが短期に何体も狩り倒していたことから、その影響によって生息種ごとの縄張りに“荒れ”が生じている懸念などだ)
そうしたサツバツしい“仕事”の遂行とは別に、単独での遠慮加減を要しない高速走行はアルシンにとって並行しての楽しみどころとなる時間でもあった。特に、森林地帯などの立体障害物を駆使して走り抜ける“攻略”は、楽しい。
生い茂る木々の枝を蹴り幹を蹴り、あるいは突き立つ岩なども利用して。いかに藪や下草まみれの地面にはタッチダウンせぬまま跳躍段数を“勝ち越して”いけるかという、まぁ内心で勝手に楽しむスコアアタックのようなものである。くだらない子供じみた一人遊びに過ぎないが、意外とこういった遊び心はいい年した大人でも一つ二つは内心に抱えたままだったりするものだ。(そのこっそりと代表的な例が、電車の窓から過ぎて見える電柱の上をニンジャの影がニンニンでござる的なヤツだろう。アレは根強い、間違いない)
まるで螺旋か菱形を描くように、樹木ひしめく空間すらも風のごとく跳び抜けるアルシンの姿は、傍目にはどこの達人超人が急命を帯びて早駆けに挑んでいるのかといったくらいに見えるかもしれないが、しかしそうした姿の実態など内に一歩踏み入ってみればこんなものであったりする。
要するに、天然地形を利用したアスレチックレジャーのようなものだ。あるいは自前ジェットコースターか。
ちなみに、アルシンはこうして調査行も兼ねて森林秘境を通り抜ける中、ついでとばかりに薬草や霊草の類いを採取し、食材になる木の実や草の実、そしてキノコ類なども摘んでいた。足は止めず、高速に飛び交うまま寸瞬の着地に掘り出し、あるいは切り取っていく早業である。超人めいた運動能力をそんなところでこそ無駄に全開も辞さない男の姿がここにあった。
また、後ほど焼肉祭りでもしようかと鹿や猪などを数匹ずつ仕留めておくといったことも、むろん忘れずにこなしていた。もちろんです。
太陽がその下端を地平に沈め触れようかという頃、アルシンはユークスタシラムの街の東門に帰り着いた。
ラウノたち一隊と別れて出発した時刻は日が陰りを見せ始めた夕刻の入り端であったのだから、移動速度の凄まじさが推して知れよう。
東門の守衛たちが眼前に身を現したアルシンの手には、鬼の首を上端に括りつけた長い木の棒が握られていた。その長さは十尺余り(約3m)にも達し、太さ十分、樫材めいた頑丈そうな作りの棒である。その上端付近には短い交差横棒が十字状にかまされてあり、アルシンの討伐した上位酋長種の首級を括りつける土台となっていた。また、十字部の周辺には他の上位種どもからえぐり取った額の角をも紐で結び吊ってある。
この吊り角が互いや棒木に当たるたびカラカラと鳴らす音が場に響き、否応なしにも居合わせた者の視線を集めて目立たせる。そして凱旋を一目と悟らせるのであった。
むろんこれはアルシンの意図的な演出によるものだ。百の言葉を語るよりも、衆目自身に噂を走らせた方がよほど説得力がつく。
そんな首掲げ棒を肩にも置くように構えたアルシンが悠然と門前へ近づくところ、対して門の守衛たちは槍を手に寄ってくる。といっても別段、敵対姿勢というわけではない。単に標準装備としての武装がそのままであるというだけで、各々の顔に浮かぶ表情や仕草から察せられる雰囲気はむしろ友好的なものだ。アルシンは、街に関わり出してからの十日間で森林秘境域との行き来のためにここ東門を頻繁に出入りしていた。よって、その門衛を務める兵士たちの何人かとはそろそろ顔なじみと言ってもよいだろうというくらいには挨拶や、そのついでのちょっとした小話雑談などを交わしていた。
いま、門の手前で兵士たちの先頭に立ってアルシンへ向けて話しかけようとしてきている、薄茶色の髪を短く刈り込んでいる体格のがっしりとした壮年の男――おそらく一隊の隊長格なのだろうが、この男などもそうした顔なじみとなりつつある一人だった。名前までは知らないが。
「よお、“韋駄天”の。また派手なご帰還だが、なんで東門なんだ? 例の話絡みだとしたら北側だとばかり思っていたが」
片手をゆるく挙げながら呼びかけてくる男だった。北方村落からの被害報告を受け、ユークスタシラムの街は城塞拠点として警戒態勢に入っていたわけだが、その守備姿勢は当然のごとく北門を主軸としたものだ。こちら東門側は警戒を厳にしつつといえど兵数配備を極端に増員するというほどのこともなく、まだ続報もないだろう現状では半端な緊張感を持て余しているといった体だった。
男にうなずき返しながら、アルシンは答える。
「お役目ご苦労様です。はい、今朝方に動員となった北方の小鬼どもの件、その後のゆえもあって“巣”を掃討して参りました。あわせて“森”の側にも異変や原因痕跡などないか見回ってきましたもので、東門からの帰還となりました次第」
述べつつ、懐から空いている方の片手で通行割符と組員証を取り出し、いちおうと提示するアルシン。男の側もまた手早くチェックを済ませながら言葉を応じてくる。
「ははあ、なるほどなぁ。相変わらず、他の奴なら十日や半月もかかるだろうことを一日で済ませて帰ってきちまうのな」
そんな風に誉めそやしながらも続けては、いまじゃこうして慣れたようにも話せているがまっとうな基準がどこだか分からなくなっちまいそうで怖ぇ話だ、などとこれ見よがしに肩をすくめてくる男でもあったが。
対してはアルシンもまた肩を軽くすくめて応じながら。
「足の速さには自信がありますもので」
と適当に返すのみだった。こんなものは雑談めいた軽口に過ぎない。
やがて兵士の男が視線の鋭さを切り返しながら、アルシンの手に掲げられた棒の先を見やって言葉を向けてくる。
「それで? そんなものをわざわざ見せつけてるってことは――」
「はい。始末のほどは間違いなく。ただ、既に被害の及んでいた範囲もあり……。詳しくは組合を通して報告をまとめてさせていただきますので、ひとまずはこれにて」
「そうか……。まあ、仕方がない。通っていいが、あまり騒がしてくれるなよ? それと街中に汚れを落とすようなまねもなるべく避けてくれると助かるのだが」
「むろん血抜きは完璧ですとも。ご心配なく」
そう嘯いてアルシンは、軽く肩に担ぎ直すようにして見せながら。
兵士たちの視線もどこ吹く風と城門をくぐって――主たる城門棟には鋼鉄の落とし扉を三重に備え、また前衛城塔との間には空堀と吊り橋も配備した、実に強固として脅威の襲来に対抗せしめんと尽力された築城構造と言えた――そしてむろん、“騒ぎ”についてはそもそもが意図して見せつけることで周知を図るためのものなのだから、遠慮するつもりなど微塵もなかった。
この街の組合支部は東門寄りにある。つまりは、探索攻略の対象たる森林秘境に近い側というわけだが。そこまでのそれなり短い距離を歩む間にもアルシンは、街人たちの驚き剥いたような目をいくつと集めながら――
悠然とその歩を進めるのであった。
「しかし、まさか本当に一人で討伐まで済ませて帰ってくるとは、な」
担当員カレルヴォがそう呆れたような口調で言葉をこぼし向けてくる。
組合支部に帰還したアルシンはまず二階大会議室で全体への報告を終えたあと、さらにいくつか個人的な依頼ごとの相談があると伝えてカレルヴォと共に別室の小会議室へと場を移していた。そうして互いに机を挟んで座ったところ、口火を切って向けられた言葉がこれである。
アルシンは動じることなく応える。
「出発前にもあらかじめ伝え置かせていただいた通りのことです」
ゆえに筋は通っており、勝手な動きを取ったというわけでもないのだからアルシンが退いて見せねばならぬところなどなかった。
「むう……。たしかに、あの時さりげなく『別に倒してしまってもよろしいのでしょう?』などと言われて止めもしなかったが。しかし、まさか、あんな聞くだになぜだか不安ばかりが湧いてくるような言葉を、本当にその通りなどと……」
述べ濁し、悩みに詰まるかのようなカレルヴォ。これに対しアルシンはあっさりと肩をすくめながら。
「不思議なこともあるものですな」
そう答えるだけだった。
「……それで、依頼事の相談とやらは、なんだ」
やがて立ち直ったらしきカレルヴォが改めて問うてきた。
アルシンはうなずいて答える。
「今回の騒動で被害を受けた北方の村々に対して、いくつかの物資配給や金銭的援助を行いたく考えているのですが、その手配をお願いしたいのです。まず――」
と述べつつアルシンは、懐から一枚の羊皮紙証書を取り出し、眼前の卓上へと呈してみせる。
アルシンが組合口座へと預け入れの形をとっている資金の内、切りよく正金貨五百枚分の額面を取り扱ったものだった。
そのちょうど金額が書き記されている部分を指差して見せながら、アルシンは言葉を続ける。
「この内から金貨百枚分をもって、緊急的な支援物資……つまり食料や医薬品、毛布などといった当座をしのぐために役立つものですが、これを都市内から調達して輸送、またその輸送の上で要する護衛隊なども含め、まとめて手配をお願いしたい。なお、この支援分に対しては見返りを求めません。あくまで災害時の危急的状況に対する、無償の支援です」
一旦言葉を切って息を継いだところ、反論しかけるような気配を見せたカレルヴォに手の平を向けてとどめ、もう一つの言葉をアルシンは続ける。
「ですがもちろん、為政・行政の側からの対応が速やかに行われるようであれば、わたくしごときが出しゃばるつもりもありません。こういっては失礼かもしれませんがユークスタシラム市は特に大きな生産流通力を備えた拠点というわけではありませんから、物資の融通量やその価格に関して競合してしまいかねませんしね。そんなところでぶつかり合っても仕方ありません。とはいえ……果たして、この街の統治官さまはそこまで動きのよい方でいらっしゃるかどうか。問題はそこです。カレルヴォ殿から見られて、いかがですかな」
「うむ……。そうだな、やはりそこは、今日明日のというほどの迅速な差配を期待することは、難しいだろうな。場合によって領主様にも直接掛け合うことができる城下町ならともかく、ここのような地方都市の市長は、あくまで代官としての役を任じられた方であるから、どうしてもな」
辺境地の城塞都市ユークスタシラムにおける行政統治長は、統治官、つまり地方一帯の主たる領主から派遣されてきた役人、代官でしかなかった。名目上の権限こそ強くあるが、事前に予算の定まっていた計画事などではなく不意に大きく費用を要する事態ともなると(しかも緊急事態そのものは既に解決済みであくまで事後の処理に過ぎないとなると)、どうしたところで身動きの軽さといったものは期待が難しかった。
それでも十日といわず五日もあれば、何らかの実のある動きは引き出せるだろう。彼らとて決して無能一辺倒というわけではない。しかし今必要であるのは、今日の渇きと凍え、そして明日の飢えをひとまずしのぐための、巧遅よりも拙速たるべき一手だった。
即座こその求め。そこに他が動かぬならば、アルシンが動くまで。そうして……状況を制する“先の手”とも為すのだ。
アルシンは言葉を続ける。
「そして残りの金貨四百枚分、こちらは投資の形を取らせていただきます。一時的な貸付け、来期の作物の優先取引権、あるいは作付け品種の指定など、具体策はさまざまに取りうるでしょう。この実行役については街商人のどなたかに依頼したいと考えております。むろん任せるに足る方でなければ困りますが、組合にはそこのところの仲介をお願いいたしたく」
「話は分かった。だが……それほどの大取引となると、本来担うにふさわしい大店の旦那方はまだ先だっての隊商組みで出払っちまったままだからな。それでも選ぶとなると中堅どころから筋手を幾つとあわせでもしなければ……」
この出払い状況に関してはアルシンが起因する話でもあるので何をいう筋合いもなかった。つまりは街に着いた初日に持ち込んだ“大物”の本商いのために中央都市へ向けた規模の大きな隊商が組まれ、出発したあとの状況というわけだ。街経済の上層に位置する大店の熟練した商人ほど、その商人生命をかけた大一番として参加していた。
結果、現在のユークスタシラムの街の中は一種の空白階層が奇妙に生まれた状態だった。
一般市民の生活にとってはあまり影響も見えないだろうが、今回のように“大事”が起こったとなると物資の調達やらに無視できない足かせ重りかのごとくとなって表れてくる。
とはいえ、アルシンにとってそうした状況は悪いことばかりでもなかった。むしろ利用のしがいがあるとさえいえ、ゆえにうなずき一つを刻んで話を続ける。
「それで構いません。差配もお任せします。ただし一点――」
一息ため置いて、アルシンはあざとく秘めるようにも強調してみせた。
「この金ごとを最も上手く使いこなした商人殿を後日に改めてご紹介いただきたい。その方に“本番”の事業についてもお話しさせていただこうかと存じますので」
「……お前さん、いったいどこまで食い込むつもりだ? この際だから言っておくが、単なる冒険者が個人で考えるようなことじゃあないぞ」
「なに、手にした資金をなるべく有効に使おうというだけのことです。死蔵など趣味ではありませんし――こちらもこの際だから述べさせていただきますが、初日に大金を稼ぎすぎました。こんな額を丸ごと懐に抱え込んでいたところで害しかないでしょう? そんな次第ですので、裏事など特にもありません。そこはご安心なさっていただいて結構ですよ」
あっさりと答えてみせるアルシンだった。受けてカレルヴォは、はじめ「むう……」とうなって納得いかずやと考え込んでいたものの、やがてはうなずきを返すとともに依頼の請け負いについてはこれを認めるのだった。
金の使い道。立場によっては重要だろう。異論すら待つまい。だが同じように立場が変われば意味を失うということを理解できる者は、少ない。
そして同じく、いまのアルシンの持つ動機、心境を理解できる者も。たとえ言葉にして語ってみせたところで果たして届くものであるか。
そう……アルシンにとって、この地における財貨になど大した価値はなかった。価値を見いだす意味がなかった。なぜなら、どんなに貯めこんだところで――故国に持って帰れるわけではないのだから。
話はそれで終わりかとも思ったが、意外にも――とまでいってしまっていいものか――カレルヴォから別の話が振られた。
それは、アルシンが単独で探索行を幾度と決行していることの是非についてだった。
「……お前さんの実力は非常に優れている。隔絶しているとさえいってもいい。それは分かっている。だがなあ、本当にどこまでも一人でなどと。普通、冒険者というものは四名から八名ほどの一隊を組むものであってだな……」
カレルヴォの語り口は妙に説教くさいものがあり(というか、説教親父くささ丸出し感があり)、長々うんぬんと続けられた。どうも、カレルヴォとしては単に組合の担当員だからというにとどまらず、かつて自身が探索冒険者でもあったことの先輩としての視点があっていろいろと容れきれないものが溜まっているようだった。
アルシンとしては、衝突してまで反論するようなことでもないのだが……。とはいえ、受け入れて従うことの利もなかった。そもそも関心の薄い事項だということもあるのだが、なにより大きな理由は実際上の問題だ。それは。
「致し方のないことです。誰も私の速さには追いつけないのだから」
「それは……。たしかに、その通りではあるのだが……。しかしいつまでも単独で行動というわけには」
ぐうの音も出ないかのごとく一旦は打たれて萎れるカレルヴォであったが、しかしなおもって諦めようとしない。これには理由がある。表のまっとうな理由と、そして裏の理由が。
先輩として心配するようなところが皆無というわけではないだろう。そこは無理するまでもなく常人なら湧いて備わるものだ。だが組織人として役目に見定めるべき筋合いとなれば全く異なる視点も生じる。
たとえば、パーティ組みせず単独で動くということは、その行動を見届けあう相手がいないということを同時に意味する。普通、どんなに結束の固い一隊であっても、完全な一枚岩ということはない。当たり前だが別人同士の集いなのだ、どこまでも一心同体などということはありえない。
それが何をまた意味しうるか。弱み所や義理筋がそれぞれで異なるということだった。これもたとえばレンジャーなどの斥候職を担う者であれば、情報収集の筋手も兼ねて滞在する街ごとに裏仕事の元締め――いわゆるシーフギルド――に“あいさつ”を通しているはずだった。それは情報を買わせることのみならず、必要とあらば“売らせる”ことも可能であることを意味する。程度の軽重はあれ、だ。はたまた魔術師であれば出身元の学院や塔などの意向を無視することは難しいし、直接師事した相手ともなれば頭が上がるまい。戦士系職とてそうだ。“一人前”に鍛え上がるまでに基礎を仕込んでもらった師父筋に、先輩方、日頃の訓練相手やちょっとした小技を教えあった同輩など、なんとなった際に義理を無視できない相手などいくらでもいるものだ。
あるいは仲間同士で連れ立っていれば、どうしたところで会話事が漏れ聞こえてくるものだ。酒場で、依頼達成報告時のカウンターで、探索出発前に一卓を囲っての打ち合わせなどで、今回のこれは上手くいった前回のあれは失敗だったから次はこうしよう、お前はあそこをもうちょっとこう直せ、あのやり方は上手いなおれも真似させてもらおう、そんな話はいくらでも行われている。それは当然周囲の人間、組合内部であれば事務員や酒舗コーナーの給仕役たちにも聞こえており、また街中での騒ぎとてだんだんと伝わってくるものがある。
そうしたところを総合して、いまあの冒険者とそのチームはどんな具合であるかといったことに一定の判断を備えておくことも組合組織の仕事であり、そしてよい受付嬢というものはこれを加味して依頼仕事の割り振りを行うものだった。(たとえば護衛や特殊配送などの仕事には信頼第一であるし、討伐や探索の系統にしても失敗が即二次被害に繋がりかねない状況であればチームワークの怪しくなってしまっているようなパーティには任せられない)
普通は、そうなのだ。
だがアルシンにはそれらがない。一人だけ宙吊りだ。糸の切れたタコのように、次の瞬間どうなってしまうか分からない不安さが周囲から見ればつきまとうことになる。
むろんアルシンとてそれらの筋道に関して承知はしている。だから街中における物事――主に金銭の使い先に関わるそれら――は積極的に地元の既存利権に便宜を図っているし、個人ごとの融通もわりと甘く遇することから始めて関係性を構築していっている。しかし、そうはいっても野外における行動、探索行に関しては、単純な足の速さというものが数倍どころではない極端な差異を示してしまうため、どうしたところで実利の観点から帯同者を許容できる範囲にないのであった。この一点だけは、もう仕方がないと飲み込んでもらうほかない。
これらは本来、とても危険な話だった。おそらく話を振ってきたカレルヴォとて本当の意味では理解できていないことだろう。もしアルシンが自分から人物性や情報、そして利益を開示していかなかった場合、理解不能の脅威として見なされ孤立していった可能性が高い。そうなれば遠からず排斥の動きが生じ、そして衝突となる。だが最終的に武力をもって衝突となれば、アルシンに敵う存在などそうはいない。もしここユークスタシラムの街と周辺一帯を皆殺しにするとして、アルシンが全力を揮えば果たして四半刻(約30分)とかかるかどうか。それが騒ぎを発展させて領主とその兵、さらには国軍との衝突にまで至ったとしても同じことだ。アルシンは、“毒使い”なのだ。その本領において、自身の名に代表されるような凶悪極まる神経毒の類いとて幾種も使いこなせる。アルシンの側から積極的に“仕掛けて”ゆくとした場合、反撃どころか事態を把握する暇すら与えぬまま全住民を絶滅させてしまえることだろう。おおよそ呼気を行う生命体の全てが死に絶えたることとなる。むろんアルシンと同等域にまで至ったマスター級の実力者であれば、対抗は可能だ。だが力量がその半分にも満たない常人たちはひとたまりもあるまい。結果どうなるか。不毛と化した大地に、たったの十数人から数十人ほどだけが生き残り、そして互いを許せないと糾弾しながら殺しあう、そんな光景だろう。その後に残るものに何の意味があるのか。よしんばアルシン自身が唯一の勝者となれたところで、無人の荒野にただ一人立ち尽くしての勝利宣言、そこにどれほどの意味があるものか。
この観点と問題性を承知していればこそ、総合的に鑑みてアルシンは、野外活動は単独で走り抜ける、代わりにその分まで街中のことに関しては譲る面を大きく取る、として釣り合いに配慮しているというわけだった。ただまだ経過日数が短いために、傍目に見て内外のそれらの比重が感覚として納得するところにまでは至っていないのだろう。担当員としてのカレルヴォに関しても、今時点で無理にうなずかせるよりはもう少々の時間をかけて醸成を期待するほかあるまい。
アルシンは、ある種さえぎるようにも言葉を応じる。話を進めるためにも。
「“街の外”の探索行については、前述の通りではありますが」
間を切って呼吸を改め、そして続ける。
「しかし街の中での対応事に関してであれば。誼みを結んだ方々と協力し、分担してゆけることも多いでしょう。そう、たとえば姪御殿には、期待しておりますよ」
途端、最後の言葉にしかめ面と変じたカレルヴォが返してくる。
「あいつか。あいつのことは、今さらおれが何を言うのもしつこいかもしれんが……すまんが、いろいろと容赦してやってくれ。重ねて頼むよ」
「はい。とはいえそこまでご心配なさらずとも。大した器量かと存じますよ、彼女は」
「だからこそだ。身内にとっては心臓に悪いことを平気でやらかす。昔からあのやんちゃ娘ときたらだな……」
伯父としては心配することしきりなのだろう、カレルヴォの昔語り――という体を借りた単なるグチ――はどこまでも続きそうではあったが。
程よいところで切ってみせ、アルシンは話題を変える。
「それより、この後また裏庭を貸していただいてもよろしいでしょうか。凱旋というほどではありませんが、ちょっとした宴の場でも、と」
「ああ、まあ、構わんよ。お前さんの催し事は、なんのかんの皆にも評判がいい。だがこうも日を置かずとは、お前さんもけっこう好きものだな」
「効果的ですからな。それに、今回はたまたま近間で重なったというだけのことです。趣味として好んでいるという点に関しても否定はしませんが」
この場合の効果的とは、“達成”を周知のものとするにおいて、という意味だ。
話も終わって間が途切れ、どちらからともなく数呼吸ほどを置きあって、なぜだが肩を軽くも互いにすくめあった二人の。
「あとでお相伴にでも与らせてもらうとするよ」
「ぜひに。美味しく焼き上げてお待ちしております」
そんな会話の締め方だった。
さて、夕陽も暮れきった暗影のとばりを、かがり火と魔術で浮かべた光球の白き輝きによって退けて。
アルシンは冒険者組合支部の裏庭を貸しきって、バーベキューパーティーを開催していた。並べた鉄板や鉄鍋グリルの炭火によって焼かれた肉と野菜が音を立てる中、多少の煙った風の流れには思わず腹がうごめいて鳴り出しそうな臭いがたっぷりと乗っている。
目的は喧伝と慰労である。つまりは先だっての“巣分け”の疑いによって大きなゴブリン集団が襲来する危険性について街ぐるみで備えられていたことの解決を人づてに広めつつ、その備えの対応戦力として待機していた冒険者や衛兵たちへのごちそう配りだった。
ただし冒険者は現場へ出向く組ではなかった者たちしか残っていないし、衛兵たちは非番の者や当直でない者しか参加できようはずもない。
というわけで、人数規模はそこまで膨れ上がっておらず、せいぜいが五十人を少し超えたかといった程度ではあった。――本来の招待対象については、だが。実際にはご相伴に与ろうという者たちがさらに数倍は集まってきており、元が練兵や大型魔獣の解体などのため広く取られているはずの支部裏庭が粗方埋まって見えるほどの盛況ぶりとなっていた。
人が多く集まることは喧伝の目的にかなうことなのでアルシンとしてはむしろ歓迎ではあるのだが、それで本来の慰労対象たる者たちが食いっぱぐれることがあっては不満が生じる。そのため差配には気を遣う必要もあってなかなかに骨ともいえた。
そしてアルシンはこれら問題を力技で対処していた。すなわち、人の口が多いなら、それ以上に食材があふれていればいいじゃない、である。
組合支部に併設されている酒舗コーナーに加え、周辺一帯の食堂・酒場・屋台などから、ありったけの食材を買い求め調理器具も借り出し、また調理人として参加してもらえるならば賃金も払うとした。これならアルシンが今日の大宴会によって“需要”を掻っ攫ってしまうことにも商売人たちが競合してこない。
資金はすべてアルシン個人の持ち出しであるが、これもまったく構わないことだった。どうせ金は使いきれぬほどにあり、どちらというともっと使って社会に還元する必要すらあるのだから。なお、協賛は募らない。あとの諸事が面倒になるからだ。
焼きあがった肉に野菜、多少の魚料理に(地勢の都合で川魚が少量のみ流通している)、山羊乳のチーズなどと、豚のソーセージを茹でたり包み焼いたりした盛り合わせ、またスープも幾種類か。出来上がった順からどんどんと供されて群がった連中の口へと運ばれていく。調理人たちは十人近くいてもなお手が足らないかという忙しさであったが、そこはアルシンが補っていた。アルシンは【調理】スキルが高くしかも身体能力が超人級だ。その気になれば一級の調理人のさらに二十人分以上を一人で立ち働くことさえ可能だろう……質量ある残像が多重分身めいて増殖するような光景になってしまうだろうが。
しかもアルシンが調理すると、美味い。口にした者の常識に衝撃を叩き込むほどのとびきりの美味と化す。技巧もさることながら、調味料やスパイスを惜しげもなく使っているし、そもそもこの土地では普通には手に入らないだろう調味料類とてアルシンは幾種も大量に所持している。あまりあからさまには使えないが隠し味にする程度のことを臆するつもりもなかった。そして高スキルの魔化調理法によってHQな出来栄えが通常の品を何段も飛び抜けた域に至る。
つまるところ、一口でも食べたら魅了状態待ったなしである。
その暴走じみた食いつきっぷりは胃袋が物理的に満腹するまで止まるまい。アルシンとしても美味しい食事をうまいうまいとたらふく食べてもらうことは充実感のある行為であるため、この状況に否やはなかった。付き合わされている他の調理人たちからは泣きの入りかけた悲鳴だかうめきだかがこぼれていたが。
ちなみに、飲み物、特に酒に関しては、最初の乾杯のための一杯二杯だけを提供し、あとはもっと飲みたければ自分で買ってこいとした。泥酔されても困るだけなので回避する意味合いもあれば、この場だけで何時までも粘られるというのもさすがに際限がなくなってしまうので腹がくちくなった奴から他の酒場やらへ流れてゆけといった意味合いもある。
やがて一刻(約2時間)ほども経つころ。
当初に集っていた欠食おっさんどもは膨れた腹を抱えるようにしてくつろぐ体勢に移っており。ほかは衛兵の当直が交代した者たちがちらほら寄っていたり、調理や給仕に協力してくれていた者たちがその中での交代を作り休憩と食事を取るようになっていたりと、ぬるく緩んだようにも心地よい空気がただよって。
アルシンもまた調理の担当を一旦切り上げ、冷えたエールを一杯あおりながら場の外れの空いた一卓をせしめ、肉野菜盛りの皿をつつきながら周囲を見渡していた。この十分に出来上がった居酒屋のただ中のような雰囲気が個人的には嫌いでないのだ。特に野外で、また季節的に寒くもないというのがいい。ただしのんべたちに混ざって酔い語りしあうよりは、少し外れた位置から場を眺めているような過ごし方が好きだった。
それでも普通に飲み食べしていたら話しかけてくる者も多かったろうが、そこは身につけたスキルを活用して(無駄に)気配を溶け込ませていた。いまのアルシンを人々の中から見分けることはよほどの達人でも難しかろう……。内心で少し、ほんの少しだけ、得意がっていたりもしないこともないアルシンだった。顔にまでは出さないが。実に正しい能力の使い道ではあるまいかね、ふっふのふ。
そうしてアルシンは、よく訓練されたソロプレイヤーにありがちな、自ら勝手にお一人様モードを堪能しだす習性を存分に発揮し、場の賑やかさの陰に潜むかのごとくして和やかタイムを構築していた。
だがそこでふと気配を察知する。
視線だ。この広場の酒宴なる様を、敷地の外の裏路地から隠れながらも覗いている。ただし実際はまったく隠せていない。技量が拙いなどといった話ではなく、そもそもが素人以前の……つまりは、子供の覗き込みだった。
もう夜も更けつつある時間だ。子供が単独で街中にいてよい時刻ではなく、かといって親に伴われてきたならば一緒に入ってくればいい。
それが意味するところ……。覗いている子供らは一人ではなく数えれば十を超える。しかし互いに連れ立っているわけでもない。髪や肌はあまり手入れもされていない様子で衣服は古びており、なにより視線には弱くとは済まない飢えがこもっている。
豊かさが皆々にあふれゆくことなど遠く届かない都市であり社会だった。孤児か、あるいは親がいても貧困か、育児を放棄されているか。そんな階層に埋もれるような子供らはそれなりの数がいることだろう。現にアルシンも孤児院に出資していた。その出資によってこの街の孤児院経営は大きく舵を取り戻しているはずであったが、それまでが余裕がなさすぎた。アルシンが資本を動かし始めてからまだ半月と経っていないのだから、元から直接の庇護下にある子供以外にまで恩恵が届くには時間を要する。
そして、それでもなおすべてを救えなどしない。特に親がいるにもかかわらず困窮している子供の場合がやっかいだった。それは親ごとの救済ができなければ解決しないわけだが、だからといって既に歳の十分いった大人がこさえた借金やら浪費癖、賭博癖といったものまで面倒を見てやるのかといえば、そんな阿呆な話もない。
ならば親から引き離すか? それこそ阿呆だ。深く関わる積み重ねもない他人が手を出してろくな結果になるわけもない。子供の身柄も心情も、孤児院に放り込んで飯と寝床さえあれば万事よしというわけではないのだから。だいたいが孤児院の収容能力とて限られており、しかも下手に甘い基準を示せばここぞとばかりに子供を捨てにくる輩すら出始めるだろう。
万能の解決策などない。力と金があっても無限ではない以上、全体に対して及びうる範囲を見切って取捨選択を続けていくしかないのだ。
だから。いまアルシンにできることは。
アルシンは立ち上がると、使われていない卓の中から背の低いものを一つ選んで掴み取り、広場とそこに面した裏路地の境界付近、すなわち子供らが覗き込んでいる方へ近づくと。
だが敷地からは出ず、少しだけ内側の、目立ちにくい端陰のあたりに運んだ卓を置いて。それから何度か仮設調理場との間を往復し、卓の上に食べ物と飲み物、取り皿などを素早く並べてゆく。椅子は置かない。座り込んでしまうと居座り具合が目立ちかねない。
そうしてまた手早く子供らを呼び込む。この場の主催はアルシン自身であって別段誰はばかる必要もないとはいえるのだが、なにせ本来の主目的が戦士の労いだ。戦いに役立つどころか街の禄を食い潰すだけのような立場の子供が堂々と目に留まっては不快を覚える大人もいることだろう。それで場を台無しにしたくもなければ子供らが結局食いっぱぐれかねないので、目立たせぬままささっと済ませてしまうが吉であろうというわけだった。
アルシンのある意味で脈略もない招き入れに、はじめは戸惑うなり警戒を見せるなりしていた子供らだったが、香ばしく焼きあがった肉野菜炒めの大皿を一つ目の前に示してやれば鼻を鳴らすようにもして、思わず歩もふらりと寄ってくるのであった。そのまま例の卓まで誘導してやる。
結果として卓を囲んだ子供らは十数名。上は十代半ばの手前ほどから、下はまだ明らかに幼児だろう背丈の子までいた。見やったアルシンは小声でささやくように告げる。この一卓にあるものは好きに食べてよいと。私が許す、主催者だから問題ないと。ただしほかのところには動かず、足りないようなら持ってくるから私にだけ頼めと。
意味が分かった子も分からぬ子もいただろうが、結局のところ匂いの力は偉大だということだろうか。目の前のごちそうに目を奪われきっている子供らはとにかくうなずきを繰り返していた。アルシンは苦笑めいて立ち姿を少し崩すとうなずいて、子供らに食べ始めてよいと許しを告げた。
すぐさまに子供らは貪りだす。あまり急いて詰め込むと胃腸の受け止めが間に合わずかえって量を食べられなくなったりもするのだが、いまこの場でそんなことの声をかけても制止できはしないだろう。アルシンは少々の離れた距離から見守っていた。意外なことにと表してよいのかどうか、誰に言われたわけでもないのに年少の子の面倒を年長の子が見てやっていた。取り皿を配してやったり大皿から料理を確保してやったり。むろん一切省みずひたすら自らだけが獲物を確保せんとがっつくばかりの子もいるのだが、そうしたありさまを見かねるように役割の分担が生じてくるものらしかった。こうした人の習性といったものはなかなかに面白く、そして奥深い。
あとは、適当に持ち帰り用の包みも用意しておくか、とアルシンは考える。今日のこの場を偶然嗅ぎつけられた子供はどちらというなら少数であろうし、おそらく帰りを待っている兄弟などがいたりもするだろう、と。なんとなくそんな後ろめたげな視線をさまよわせている子が中にはいるのだった。それにもし、親がろくでなしの場合に子供だけ肉の焼けたいい臭いをたっぷり身に染みさせて満腹の体で帰宅したならばどうなるか。想像に難くない。だがまあ、“みやげ”が十分にあればそうした気をまぎらわさせる役にも立つだろう。
アルシンは調理場の方へ戻るとこれまた手早く調理を済ます。一時の混雑フル回転ぶりはさすがにもう見受けられないので、数人まだ立ち働いている調理人たちの隙間を縫うようにもして、普通ならけっこうな時間を要する焼き物、揚げ物、蒸し物など各種をまたたく間に仕上げていく。ついでに子供らの卓の上に配する料理も補充してやる。
すべて済ませば、のんびり陰に控えるように適当な壁に背を預け、はちみつ酒の一杯でも傾ければ気分もよかった。こういうときは辛口微発泡のお湯割りがいい。
眺めて過ごすままに時を任せる。
働けば酒が飲め、肉も食える。それが報いであり、そうして報いにたどり着けた者の陰では報い以前にどうにもならなかった者たちもいる。
どちらも見ようと無理すれば動けなくなるばかりだろう。だから今日のごとく、血なまぐささに手を尽くしたあとには、酒でも飲んで過ごす一夜であっていい。
はずだ。それを信じられなくなったとき、人はきっと帰るべきところを失っているのだろう。
アルシンもまた、故郷を失ったに等しい身だ。故郷に連なる一切合財を引き剥がされて。
この先に再び帰れるものかは分からない。独力を前提に考察するならば、正味なところ可能性は低いと見積もらざるを得ない。
だとすればこの地でどうするか。どう、生きてゆくのか。結局はその問いこそが重要で、それはどこでいようと変わらない問いでもあった。逃げる先もない。
この地、この時、この己。果たして新たに故郷たる何かを見いだすことができるだろうか。
――願わくば、次に飲む酒も美味たらんことを。
アルシンは内なるままにそうささやくと、夜空へ向けて杯を掲げた。




