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ぼっちーと オフライン  作者: あんころ(餅)
一の章、誰がその手を汚せといったか
11/24

[009] 確かめ〔6〕

     〔6〕


 初日の体験によって、アルシンは自己の身体が現実の生身に負けず劣らずの迫真さを体現してしまっていることを、衝撃とともに理解していた。

 だが、一体それが()()()()()()()であるのか。これを具体的に確かめるべきではあるものの、早計に着手するわけにもいかなかった。危険を伴うからだ。

 例えば、痛覚に関してであれば、己の身を殴ったりつねったりといった程度なら容易い。しかしその程度では、ゲーム時の痛覚緩衝仕様を明らかに突破した深度の痛覚かどうか、判断することが難しい。やるなら最低でも骨を折る、可能なら指の一本も切断してみるくらいのことが必要だった。また、出血や血液流動、内臓の実在を開腹観察してみる、といった確認なども有効だろう。

 手持ちの回復霊薬類がゲーム時と同じだけの効能を発揮するのであれば、そんな確認実験すら可能ではあった。しかし、もしその時になって治癒回復できなかったら。そのリスクがどこまでも付きまとうため、軽々には実行できない。また、痛覚次第では行動不能に陥って回復できぬまま“終わってしまう”かもしれない。これはアルシンが一人きりであることの弊害だった(むろん、一人であるからこそ確保できている安全もあるため、どちらが良いかなどは一概に言えない)。

 各霊薬の効能を確認するなら、まずは動物を用いて実験してみればいい。しかしこれも、現地の生物に接触すること自体にリスクがある。病原伝染の危険だ。ただ近づく、触れるというだけでも初期にはかなりの危険が見込まれることに加えて、回復系の霊薬を試すということはそのために負傷を与えるということで、当然だが出血も伴うことになる。感染の危険は一段と高くなるわけだ。ちなみに、豊富なアイテムストレージの在庫にもさすがに生きた生物は入っていないので、こればかりは現地生物を捕まえてくるしかないのだった。(ストレージに生きたものを入れられないのはゲーム時からの一貫した仕様である。とはいえ、ヨーグルトだのお味噌だのの発酵品、発酵途中の食材だのはしまっておけたりもするので、微生物さんの生物権について一部のプレイヤーの間で物議を醸したことがあったとか何とか)

 出血の有無を確認することにも、慎重を要した。ほんのちょっと指先を傷つける程度でも、状況次第では恐ろしい感染の原因となることもある。未知の風土病や伝染病が潜んでいるかもしれないことを考えれば、やはりこれも治療手段の確保とともに叶うなら免疫の適応を見極めるべきだった。

 そう、問題は免疫だ。アルシンの身体がもしも本当に生物化したがごとき状態になっているとしたら、その生物としての開始点は“あの目覚めた瞬間”からとなる。まさかゲーム時の仮想データ表現アバターにまで免疫も何もあるまい。だとすれば、この今の身体は、後天性獲得免疫に関しては「まっさら」かもしれないのだ。これは非常に恐ろしいことだ。ただし同時、「アルシン」は数々の能力も備えた身だ。【抗毒】【抗病】【抗呪】といった状態異常抵抗系スキルはしっかりと鍛え上げてあるし、各種耐性装備も充実している(なにせアルシン自身がそれらを攻撃に使う上、広範囲にバラまく戦法もよく用いるので自滅しないためにも必須だったのだ)。そもそも、素の能力としてのVIT(身命頑強)ステータスからしたって値がかなり高い(はずだ)。それら両面を併せて考えると――実に狂ったものの考え方ではあるが――むやみに恐れ続けることもないが段階を踏んだ確認を要する、という結論になる。その上で、獲得免疫が適応していくことも考慮に含めるなら初めの内は少し日数を置いて様子を見た方が良い、との判断だったわけだ。

 また、これら手順踏みを、時間をかけて消化していくことには意味がある。それは負荷の分散だ。生体の単位時間あたりにおける「処理容量」は有限であり、限界を超えてしまえば破綻する。なるべく小分けして少しずつ消化を試みた方が成功を見込めるのだ。しかもそれが自身の生命存続に直結する、かもしれないとなれば、いやでも慎重にならざるを得ない。なお、こうした理由もあって、これまで外出は用件が明確な作業を行うための必要最小限に絞っていたし、食料は全てストレージ内の既存物から賄っていた。

 そして、慎重を期して経過を観察してきた結果としては、特に病変兆候や発熱症状などは見受けられなかった。このことにひとまずの人心地をつけたアルシンであった。


 次の段階として、アルシンは動物実験に着手した。

 現在のキャンプ地から山裾を下った先に広がる大森林、そこに狩猟罠を仕掛けて小動物(森ウサギや猪など)を数匹捕らえてきた。これら小動物に対しなるべく距離を取りながら(長柄の槍や棒を使って)打撲、捻挫、切創、裂傷、骨折、四肢切断、開腹しての内臓一部切除、などといった各負傷状態における解剖的確認と痛感反応、霊薬使用による回復具合、および再生過程の観察を行った。また、出血の具合、失った血液の補填がどの程度起こるかについても知識の及ぶ範囲で確かめてみた。霊薬の等級によって対応範囲が異なるだろうから、その観点も含めてのパターン統計も試みた(実験計画法なぞ過去の記憶でうろ覚えもいいとこだったため、かなり無駄な工程を踏んでしまったが)。

 結果は、いずれも生々しい血まみれの(くだ)編み肉袋であった。その血臭といい、胃腸からは消化途中の摂取物から排泄物まで確認できたことといい、まぎれもなく生物としての実在性を備えていた。ゲーム時のような年齢レーディングや倫理制限に伴う表現省略など微塵もない。また、霊薬の回復力に関してはほぼ等級ごとの予想通りに発揮され、低級の薬では打撲や軽い切創しか治癒できず、中級のものなら切断された四肢を繋げ直し、高等品ともなれば失った四肢や眼球、内臓までもその場で急速再生してみせた。もはや再生というよりも復元と呼ぶ方がふさわしい現象の域だった。なお、この“復元”域の回復時には、失った血液も同時に補充(というよりも再生成か)されているようだ。

 ただし、回復再生の過程では苦痛をしっかり味わうようで、細かく計りようはなかったがどうやら傷を一瞬で負うのに比べて何倍か激しい痛覚に苛まれるようだった(おそらく神経と知覚が取り戻されていく過程を経るからだろうと推察した)。このため、麻酔薬の類いが用意できないものかと手持ちのレシピの中から工夫したところ、麻痺毒と昏睡毒を基にした全身麻酔および局部麻酔を用意できた。問題は医療器具としての注射器がないことで、傷口に直接かけるか予め服薬させるかといった使い方になる。注射器それ自体も作り出せないことはないと思うが開発の手間を考えると後日の課題とした。

 また、最高位の神秘霊薬エリクシール、死者の復活すら可能と謳われるこの究極霊薬が効能をどこまで発揮するか、これについても試みた。ただし、在庫には限りがあるため少数パターンしか試せなかったが。結果、首がもげた程度なら問題なく癒着修復の上で蘇生する。腹部の内臓が全損していようと全て再生復元するし、頭部の欠損すら脳組織ごと再生してみせた。とはいえ、脳の「中身」まで元通りとはいかないようだ。これは損傷具合にもよるようだが動物実験では細かい反応を確かめることが難しいため、あとは人間相手に試してみるしかないだろう。また、首から上を全消失、脊髄まで含めた中枢神経系の消失率がおおよそ六割を超える、心臓とその周辺の大動脈を含めた組織が全消失、こうした場合には傷口そのものは再生しようとするものの形成される物体はいびつで、生命活動が取り戻されることもなかった。究極の霊薬による死者蘇生といえども、物質的根拠を丸きり無視できるというわけではないようだった。死亡後の経過時間にもその傾向は見られ、心肺停止後おおよそ二十分以内であれば高い確率で成功するようだったが(試せた限りでは失敗しなかった)、半刻(約一時間)以上経過すると目に見えて成功率が下がっていき、半日も経つとほとんど成功しなくなった。丸一日経過してしまえば絶望的だろう。これらのことから、死亡状態からの蘇生復活は「死にたて」でかつ再生元となる肉体において脳、脊髄、心臓がある程度の原形を留めている必要があるということが分かった。例えば、腰から上の半身が丸ごと灰になっていたり粉々に飛び散ってしまった場合などには、蘇生できないということだ。よく似た形の肉人形であれば再形成させられるが。

 ちなみに、ゲーム時にはプレイヤー側に四肢が欠損するといったことはなく、部位ダメージについては該当箇所がエフェクトとともに灰色化して一定時間経過するか治癒を果たすまで動かせなくなる、というだけのマイルドな表現だった。モンスター側には部位破壊に伴う切断表現はあったものの流血は起こらずエフェクトで上手く誤魔化されていた。“死亡”に関しても同様で、プレイヤー側には死亡という状態そのものがなく「行動不能」状態だった。そのため身動きはできなくとも会話することはできた。「行動不能」からの復活は、霊薬ならエリクシールほどの高位品でなくとも可能であったし、治癒術なら中級術程度から可能であった(ただし低級な方法ほど復活時のHP値が低い、衰弱時間が長い、ステータスパラメータの弱体化も激しい、といったデメリットが大きかった)。そして、行動不能状態において任意実行するか時間切れとなることによって、予め登録されたホーム地点もしくはセーフティゾーンへ転移されての“復活”があったのだが……。今の状態下において、そんな復活に期待できるかと言えばとてもではないが無理だった。(かつてはいつでも確認できたはずの転移点登録先情報も、その影も形もなくなっていた)

 これら動物実験の結論としては、現地生物さんマジリアリィ生物、ハラワタをぶちまけた、おかげで霊薬効能も確認できましたありがとうございます、であった。なお、残った死骸の内、汚染が特にない身肉については後ほどスタッフ(アルシンさん)が美味しく頂きました。なむぅ。


 そして、アルシン自身の生体性確認である。

 まずは指先を浅めに刺し切ってみる。出血が起こり、わずか痛みが走る。刃物として最高の切れ味を誇る日緋色鉄(ヒヒイロカネ)製の短刀を用いたため切り口は鋭利で、無駄に痛むということもない。流血をしばし確認した後、傷口を霊薬で治療する。全て滞りなく済んだ。

 しかし、流血。治癒した後で流れ出た分が消えてしまうということもない。血臭も容赦なく漂う。この時点で既にして、ゲーム時とは異なる状態にあることを改めて思い知る。走る痛みも、気持ち悪さも。動悸とて乱れようというものだ。

 この先を試すには覚悟がいる。どこまでやれるものか、一つずつ試しながらも引き時を見誤らぬよう注意せねばなるまい。

 使用した短刀の刃部を水で洗う。煮沸済みの湯冷ましだ。一旦清潔な布で拭ってから、今度は熱湯にしばし着けて消毒する。そしてもう一度拭ってから、最後にアルコールを吹き付けての消毒を施し、改めて乾かす。アルコールは、医療用エタノールそのものはなかったため、食用酒の中から最も高濃度のものを選び、錬金術用の器具を流用して再蒸留、共沸限界濃度まで精製したもので代用している。ゲーム時には食用酒と言っても飲んで酩酊することもなく風味が近しいだけの模造品と思っていたが、この地で取り出してみればしっかりと酒であったし酔いも感じた。これは品が変化したということなのか、ゲーム時において酩酊処理に規制がかかっていたというだけなのか……。ともかく、衛生管理には細心を尽くすため、外界とは三重に隔絶したテント室内の中で可能な限りの周囲消毒を施した上で、大量の煮沸済みの湯冷ましや生理食塩水、沸かし続けている熱湯、消毒薬類、清潔な布やタオルなど、基本となる用具は潤沢に用意して、アルシンは今回の実験に臨んでいた。

 深呼吸を数回、眼差しを定め、今度は左腕の前腕部を深めに切りつけてみる。骨には届かない程度に。一瞬の引きつる何かと、数瞬おいて溢れ出す血流。不思議と痛みはそれほどでもない。これは現実での記憶とも合致する。傷を負った瞬間や直後に痛みを訴える組織は主に皮膚表層で、傷口が鋭く綺麗で無理に動かしたりもしなければ、肉の深層はすぐには痛みを感じないものだ。とはいえ、時間が経って一旦痛み出せば容赦もないが。また、骨まで届いた傷の場合は骨に通る神経が痛覚を脳髄へ切実に届けてくれるため、その場合には容赦のない悶絶級の痛みを味わうことになるわけだが。ともあれ、切った前腕部の傷に霊薬をかけて手早く治療する。痛みが顕在化して身動きし難くなる前に治してしまうべきだったからだ。霊薬を傷口にかけた際、瞬間的にはそこまでしみたということもなかった。だが、数秒かけて組織の再生が始まると、我慢できないという程ではないものの焼けるような()()()()が神経を苛み、再生が完了するまでの数十秒間は腕を押さえて悶えるハメになった。そうした主観を置いた結果としては、流血こそおびただしかったものの組織の再生には問題なく、良い霊薬を惜しまず使ったためか傷跡も残らなかった。

 さらに次の段階、これには躊躇を覚える。そのままでは痛みにのたうつことは避けられないため、麻酔薬も併用する必要があるだろう。

 心境を整えながら、短刀を再度消毒しておく。

 次の施術箇所は、左脚の太ももだ。まずは上流動脈に帯締めで止血を施し、その上で施術予定箇所の周辺に針状の穴を刺し開け、麻酔薬を塗りこむ。やはり注射器がないとスマートな手法とはいかないが、これは仕方がない。麻酔薬の量についても加減せざるを得ない。人体への最適分量が確かめられていないため万一にも効かせすぎるわけにはいかないし、また一定深度以上の麻酔はバッドステータスとして抵抗耐性スキルなどの対象となって無効化されてしまうかもしれない。それでは本末転倒であるため、自身への麻酔行為は気休め程度にしか出来そうにはなかった。

(まさか、こんなところで“能力”の高さに足を引っ張られるとは、な……)

 強力ではあっても万能ではない、そういうことなのだろう。都合よくはいかない。どこにだって落とし穴は潜んでいるかもしれないのだ。

 麻酔の浸透を待って、施術を続ける。

 手に持つ短刀の握りを確かめ、気合を入れて……一息! 己が太ももの肉をVの字に切りつけて、肉片を採取する。寸瞬の間を置き溢れ出る血を洗い流しながら、切り開かれた太ももの体組織を手早く観察する。真皮、皮下脂肪、筋肉層、そして血管らしき管の細密な走り様をそれぞれ見定める。なんとか目に見える太さの血管からは、すぐに血が溢れ出て見えなくなり、その度に洗い流し、圧迫止血する箇所を工夫する。総じて凄まじい情報量と実在感だ。どう見ても現実味のある生身としか言えない。痛みがだんだん酷くなってきた。失血に気も遠のきそうで、これ以上はまずいと判断。治療薬を切創部に降りかける。電流のような刺激が視界を白ませ、反射的に仰け反りながらも意地で歯を食いしばり声はあげない。一分ほどもそうしていたか……痛みが引き始めればすぐに治まった。切創部はほとんど完治間際であり、そうこうしている内にも跡形もなく元通りになった。しまった、再生過程を見逃してしまった。と、そう今さら気づいたアルシンであったが、もうどうしようもない。結果としてはここが限界の一線であったということだろう。これは仕方がないと諦めることにした。また、さらに次の段階として開腹しての内臓確認という手順を一応は考えてはいたのだが、その実施は明らかに無理を感じたため取り止めることとした。

 さて、切り取った自己の肉片を顕微鏡で観察してみる。本来はこうした用途のための器具ではなく、精密な細工生産を行う際に補助として用いるための双眼光学顕微鏡なのだが、倍率も十分足りているので流用させてもらった(なおゲーム時、こうしたレンズ関連をたくましく流用して偵察用の双眼鏡なども作られていた)。結果、肉肉しい細胞組織らしきうごめきも、血管と、血管に似た何かの体液運搬管らしきもの(リンパ管か?)の筋走っている様も、まざまざと観察できた。さすがに血液中の成分の赤血球だの血小板だのまでは拡大倍率的に見えもしなかったが。そのどこまでも省略されるところなく物質として確かに存在し続ける肉片と細胞、こんなものが仮想の再現知覚情報であるものか。それでも念のため半月ほど取り置いておき腐敗していく過程の観察をも重ねるべきだろうか? いずれにせよ自身の肉であったものを切り離して扱っているのかと思う度に腹底から込み上げてくるものがあり、いろいろと限界を感じるところであったが。


 この、今いる大地と己が身の状況を。どこまで現実として扱うべきか。まだまだ己一人の手が届く範囲における見地に過ぎず全てを断定してしまうことはできないが、少なくとも見分けを証しようがないほどの具体的な実在の構築がある。ならば、夢幻(ゆめまぼろし)と軽く扱い逃げることのできぬ、厳然たる事実として向き合わなければならないことがあった。

「ここで……この身体であっても。おそらく。死んだら、死ぬ。逃げられない」

 当たり前のことだ。だが、これまでどれほど認められていた? 執拗に確認を重ねた、その末に。ようやく逃げ道を塞ぐことで、己に確かな宣言を告げることが出来た。


 ここが己の生の前線だと、覚悟を決めるしかない。そして、その覚悟を決めたならば…………ここから先は、綺麗事ばかりではいられないだろう。

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