2-1
サーベルト王国の北にはオイサートとウンテルリッヒ大帝国が存在している。もともとオイサートとはウンテルリッヒから独立した国である。
ウンテルリッヒは今、不況の中にある。そこで国土を縮小する政策をとったのだ。そうしてウンテルリッヒとサーベルトの間にできたのがオイサートである。まだ政治が整っておらず、オイサートは内乱の中にある。
今、オイサートで小さな村が燃えていた。黒装束の青年が、汗を掻きながら走り回っていた。
「誰か! 誰かいないか!? クソ!! 生きてる奴は!?」
泣き出しそうな目をして走っているのは、グライツであった。装束は熱によってチリチリと煙を上げている。
ある場所で、グライツが立ち止まった。街の中心、噴水の下で、一人の少女が地面にうつぶせに倒れている。
長い金髪が地面に広がっており、半分ほどが噴水の塀を乗り越えて噴水の中に沈んでいる。少女は体中から血を流し、満身創痍であった。噴水の水は吹き上がる事は無く、ただ赤い水が漂っているだけだ。周囲には人の気配、生物の気配は無い。
肉の焼けたような周囲の匂いに鼻を押さえながら、グライツはあわてて少女に駆け寄った。少女を仰向けにしてから手首と胸に手を当て、状況を探る。
「拍動は……弱いがある! 息もしているな! 呼吸器正常! 火傷なし! 意識は!?」
グライツの脳裏にある光景が浮かぶが、彼はそれを振り払うと少女が寝ている地面を砕き、柔らかい砂へと変えた。反射的に自らの唇を触ると、ベタベタと脂のような感触がした。
ぶるぶると小刻みにグライツの指が震え、カタカタと歯が鳴った。
「あ……ぅ……」
声に安心しながらグライツは少女に土で傷口を優しく覆い、応急処置の止血を施すと、砕いた砂で少女を包み、抱きかかえながら地面に転移の魔法陣を描いた。吹き飛ばされるように孤児院の隠し扉が開く。
「治癒魔法を! 早く!」
待機中の四人はわずかに驚いたようだが、詮索をすることはない。エテルの体が淡く輝き、光が少女を包んだ。
――――
ぱちりと少女の瞳が開いた。
リエイアよりも茶色に近い黒の瞳である。長い金髪は熱によってパサパサとしたものになっている。
血でぬれた服はすっかりと変えられ、真新しいジーンズとワイシャツを身に付けていた。
「気が付いたか?」
孤児院の休憩室には、グライツと少女、それにエテルの三人だけである。少女が目を開くと同時に、二人の顔に安堵の色が浮かんだ。
「ここは……?」
落ち着いた感じの、少女らしい声が部屋に響く。ベッドに寝ている少女が立ち上がろうとするが、激痛に顔をしかめた。
「追々話そう。まずは傷を治してくれ」
マントと装束を取り払い、ワイシャツ姿のグライツが安心したよう言う。
すると、寝ている少女の掌がグライツに向けられた。
「話しなさい。さもなくば……!」
少女の行動にエテルが警戒したが、グライツはそれを手で制する。
「いや良い、エテル。やってみろ。どれほどか見て――」
言い切らないうちに、グライツの身体がくの字に曲がり、壁に向かって吹き飛ばされた。
「ぐ……! く……ッ!」
グライツのワイシャツの腹の部分が引き裂かれ、砂で鎧を作っていたようだが、血がしみこんでいた。
「なるほど。風魔法の使い手か……」
「兄上!」
エテルの悲痛な声が響く。
「気にするな。後で治癒を頼む。エテルは報告を。なかなか良い使い手だ、お嬢さん。名前を教えてはもらえないか?」
まるでダメージを受けていないようにグライツは立ち上がった。さらさらと、装束の間から砂がこぼれ落ちる。
「バカな……」
少女が力無く言う。
「――コレット・リファール……です」
「良い名だ。俺はウォルフガング・シャンツェ。こっちは――」
「エテル・エルージャですわ」
エテルが扉を開け、出て行く。
「ここはどこなの?」
「永世中立国、サーベルト王国の中央市街さ」
グライツがコレットの横に立ち、顔を見おろす。
「まだ子供じゃないか。リエイアとそう……いや、16くらいかな?」
グライツが一人顔に手を当てながら考えるのを、コレットは不思議そうに見つめていた。
――――
「悪魔さま、世界さま、それに兄さま」
部屋から出たエテルは椅子に腰掛けている三人を呼ぶ。
「起きたか?」
エヴァが立ち上がり、そうたずねる。
「ええ。名前はコレット・リファール。風魔法の使い手ですわね」
エテルがアルクの隣に座る。
「先程の音はグライツ君かね? 派手に響いたが?」
ミハエルが、読んでいた本を置く。
「ええ。あの人、死神の『盾』を突き破りましたの」
エテルの言葉に、三人が目を見開いた。
「グライツ君が油断したか?」
「まさか、兄上に限ってそんな……」
「どちらにせよ、まずは奴に立ち位置を決めさせなくてはな」
エヴァが休憩室へと歩き出した。ゆっくりとノブをひねり、室内へと入ると、二人の視線がエヴァを捕らえる。
「卿、いかがなさいます?」
「まずは立ち位置を決めさせろ。それからだ」
壁に寄りかかり、エヴァはけだるそうにコレットを見る。
蒼の瞳と茶の瞳が交差する。
「仰せのままに。コレット、君には二つの道が与えられている。ひとつは、自らの正義を貫き、我らの家族となる道。もうひとつは、復讐に身を落とす道。どちらでも選べ」
静かにグライツが言う。
「つまり?」
「人を殺す組織に加わるか、それともカタギでいるか、だ」
究極に還元して言えば、こういうことになる。
「――そうね、私の村を焼いた男を許すわけにはいかないけれど、あなたたちの家族になるのも良いわね。どうせ生き残ったのは私だけでしょう? ウォルフガングさん」
「あぁ、残念ながらな……。すまない」
グライツが頭を下げるが、コレットは何とか起き上がり、グライツの肩を掴む。
「やめてよ、過ぎたことを責めたくないわ」
コレットはグライツよりも頭ひとつほど小さい。だが、自らの罪悪感からグライツとそう変わらずに見えた。
「今日からお世話になります、お姉さん」
そういうと、コレットはにっこりと微笑んだ。
「はっ、姉さんか」
エヴァが笑い、グライツが青ざめた。
「あれ? 私何か……?」
コレットが尋ねる。
「く、く、く! いや、良い。さあ、こっちに来い」
青ざめるグライツを尻目に、心から楽しそうな笑顔でエヴァが言った。