8-5
白い床にどす黒い血が流れ出す。
ふたの無い、立てられた棺桶の中の男は、まだ生きていた。
足元から数センチ単位で棘を突き刺された男は、おおよそ人間が死に至る限界のところで生きていた。
生きているだけ、それだけの、肉塊であった。
四肢はびっしりと棘でおおわれ、胴体には内臓を避けるように棘が埋め込まれている。
顔面に至っては、眼球はおろか口内にすら、深々と棘が突き刺さっていた。
「アハ!! アッハハハハハッ! ハハハハハハッ!! ハハハハハ!! ッハハハハハッ!! ハハハハハハハハハハハ!!!!!」
殺人鬼を磔にし、"生まれてきたことを後悔させるほどの痛み"を与えた死神は、狂ったように笑う。
目の前の肉の塊を見つめ、赤黒い血の一滴までも見つめ、死神は笑う。
真っ白な部屋に死神の笑い声が響きわたる。
「 」
わずかに、死神以外の声が空気を震わせた。
その瞬間、死神の顔から笑みが消えた。
死神はショットガンを右手に持ち、素早く殺人鬼の足に向けた。
爆音が響き、硝煙の臭いが立ち込める。
「!――!!」
血を噴き出し、殺人鬼は声にならない声を吐きだす。
死神は冷たい瞳のまま、何回も何回も、弾を吐きだす鉄の筒を操った。
最後の1発を血まみれの脳天に押し付け引き金を引くと、桜色の脳が貫かれた棺桶から白い部屋に舞う。
それを見届けると、死神はショットガンを放り出し、血を吐いた。
ガチンという金属と床との衝突音とともに体中から血が流れ、魔力糸が消え去ろうとしている。
「おぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
血を流す口で渾身の叫び声をあげ、死神は棺桶に掌を向ける。
そのとたん、無茶苦茶な音とともに、棺桶が文字通りサイコロのような大きさに変わる。
肉がつぶれ、骨が砕け、血が流れた。
「あは……!」
かすれた笑い声をあげ、死神はうつぶせに床に倒れこむ。
殺人鬼の血が、死神の顔をぬらす。
安らかな表情を浮かべたまま、死神は瞳を閉じた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
――――
同時刻、螺旋階段の頂上。
階段の前には、白い扉があった。
取っ手にだけ金色の装飾が施された、真っ白な、扉。
息を荒げる3人は、エヴァを先頭として扉の内側に入る。
部屋の中、円卓に就いていたのは、二人の男であった。
一人は、真っ白な衣服の老人。
もう一人は、仮面の男。
「ずいぶんと速い到着だね」
老人が笑みを浮かべると、エヴァが喉を鳴らす。
『貴様に会うのが待ちきれなくてな』
震える手で、エヴァが老人を指さす。
「申しおくれた。私は、ウィルヘルム・E・アイゼクト。解放軍のトップにして、全て」
大仰な手振りで、老人、ウィルヘルムが言う。
『一つ、聞きたい。貴様は――』
「私が君たちと違うのは、最終目標だ」
静かに、ウィルヘルムの口から言葉が紡がれる。
「人間というのは、有史以来争ってきた。平和を掲げても、ことごとくそれを破った。人間は滅びるべきなのだよ」
その言葉に、仮面の男が息をのんで老人を見つめた。
「話が違うぞ!? ウィルヘルム!! 世界平和が目的だと言ったじゃないか!!」
ミストルテインは驚愕をあらわにして叫ぶ。
一本の光の矢が、ミストルテインの胸を貫いた。
一筋の血を仮面の切れ目から流し、ミストルテインは床に倒れこむ。
『ちょっ!!』
『え……?』
たまらずコレットとリエイアが駆け寄り、ミストルテインの傷をふさぐ。
ただならぬ気配、戦闘ではない気配を感じ取ったのだ。
「人間がいなくなれば、世界は平和になる」
にっこりと笑みを浮かべ、ウィルヘルムは言う。
その言葉に、エヴァは怒りをあらわにする。
『確かに人間にはクズが多い。だがな、人間が皆悪いとはかぎらんだろうが!!』
その言葉と同時にエヴァの体を光の矢が何本も、何十本も貫く。
がくんとエヴァの体が反るが、エヴァは踏みとどまった。
『しかも、その目的の為にシェズナを……他人を利用した』
そして、笑みさえ浮かべてウィルヘルムに歩み寄る。
ウィルヘルムの笑みが崩れた瞬間、エヴァがウィルヘルムにまるで弾丸のように突っ込み、首に細長い指を巻きつける。
『心を読んでみろウィルヘルム! 何故私が死なないのか! それと同時に、貴様の最期を教えてやる!!』
エヴァが吼えると、ウィルヘルムは冷や汗を流す。
「吸血鬼ッ!? それにこれは……!」
その反応に、エヴァが笑みを浮かべる。
『見えたか? 貴様の最期が。見えたんだろう? 貴様の最後は……』
ウィルヘルムの首から蔦が生え、首に徐々に絡まってゆく。
「ぐおぉぉぉぉっっ!!」
『絞首刑だ』
エヴァが靴音を立て、ゆっくりと部屋の外へ向かう。
その後ろではウィルヘルムが抵抗をしているが、青白い顔で引きずられている。
エヴァは蔦に変わった指先を螺旋階段の手すりからウィルヘルムごと、まるで縄を投げるように放り投げると、悲鳴が聞こえ、ゴキン、という骨の外れるような音が響いた。
頸椎が外れたウィルヘルムは、人間の機能を停止したのだ。
満足げにエヴァは指先の蔦を切り離す。
水風船のはじけるような音が響くと、エヴァは手すりに体を預け、コレットに向き直り、笑みを浮かべた。
『終わったよ』
ひどく美しい、笑みであった。
『こっちも応急処置は終わりました。でも、速く病院に』
『ミハエルの空間接続が無事ならば帰れるぞ。ああ、その前にシャンツェを回収しなくては――』
手すりから眼下に広がる白い空間を見つめたエヴァが、何かに気付いた。
白い床に広がる、赤黒いもの。
そして、その真ん中にある、黒い点。
『え……?』
エヴァの瞳がとらえたのは、ウォルフガング・シャンツェであった。
装束が無残にも破れ、血と肉と骨がのぞいている、死神であった。