8-3
白い空間を、3人はひたすらに走る。
端のわからない部屋の中で、3人はひたすらに、走る。
「ミハエルさん! これ、何かの魔法なんじゃ――」
アルフィがミハエルの車椅子を担ぎあげながら走っている。
放つ言葉にはぜえぜえとした呼吸の音が混ざる。
「いや、それはないはずなんだ……あってはならない、私が探知しきれないなど――」
問答の最中であるが、先頭を走るティタニアが、ミハエルを担いだアルフィの前に腕を伸ばす。
ティタニアはソフト帽を手で押さえながら、鋭いまなざしで前方を見つめた。
「ティタニアさん? どうしたんです!?」
よもや裏切りか、とアルフィが警戒した刹那、何の前触れもなくティタニアの体の各所か鮮血が噴き出した。
「が……は!」
絞り出すような声を出し、ティタニアは真っ白な床に倒れこむ。
白い床を赤い血が染めてゆく。
「なんだこりゃ!? ティタニアさ――」
ほんの少しだけ時間をおいて、ティタニアに駆け寄ったアルフィの体からも血がほとばしる。
倒れこむ直前にミハエルの車椅子をおろし、なんとかミハエルは無傷で済んだようだ。
ミハエルは冷や汗を流し、周囲を見渡す。
腰にさしたレイピアと銃を抜き、左右に向ける。
「オーヴィシェル・ルイナ・アンクィリエ」
ミハエルの耳元で、男の声がささやかれた。
「くぅぅッッ!!」
ミハエルがうめき声をあげながら声の場所にレイピアを振るう。
しかし、そのレイピアは無情にも空を切った。
そして、あまたの傷がミハエルを刻んだ。
ミハエルもまた、白い床に倒れこむ。
「……孤児院のナンバー2、期待をしていたがこれほどとは」
男が立っていた。
白い部屋の中で、まるで絵本のページがめくられたかのように突然に、男が立っていた。
長い銀髪で、翠の瞳の男。
白のローブで、傷ついた仮面をつけている、男。
"処刑人"ミストルテインが3人を見下ろしていた。
「君たちには幕を下りてもらう」
ミストルテインが腕を振ると、3人の腹部に、ちぎり取られたような風穴があいた。
三人の絶叫とともにおびただしい量の血が流れ、床を更に血で染めてゆく。
流れた血は混ざりあい、複雑な色を作った。
「祈る時間をくれてやる。せめてもの情けだ」
ゆっくりと背を向け、ミストルテインは歩き出す。
一滴の血も、一滴の汗も流さず。
――――
エヴァとコレット、それにリエイアは走る。
スカーフェイスと掃除屋を生きたまま片付けた3人は、ミハエルのもとへ合流しようとしている最中である。
とはいえ、ただでさえ年齢が低く、新入りであるリエイアは早くもスタミナを切らしたようだ。
ぜえぜえと息を荒げ、ペースを落としている。
「おぶされ!!」
それを見かねたエヴァが半ば強引にリエイアを引きよせ、自らの背に担ぐ。
リエイアの黒の髪がエヴァの金髪に融ける。
コレットは金髪を振りみだしながら、必死にエヴァの後に続いている。
オイサートでの経験が役立っているのだろうか、息はあまりあがっていない。
突然、エヴァが足をとめた。
コレットも足を止める。
3人の目前には、紅で覆われた床と、その中に横たわる3人がいた。
「ミハエル!!」
エヴァがリエイアを担いでいることも忘れ、駆けだす。
勢いで投げ出されたリエイアは、濃厚な血の匂いに涙を浮かべて鼻をふさぐ。
コレットも駆け寄り、アルフィとティタニアへと向かう。
二人が紅に足を踏み入れると、ギチギチという粘り気のある音が響いた。
「おい! ミハエル!! 嘘だろ!? おい!! ミハエル!!」
エヴァがミハエルの胸倉を引き上げ、大声で怒鳴る。
胸倉を引き上げた瞬間、がくん、とミハエルの首が後ろに反る。
エヴァが視線を下にやると、腹部に握りこぶしほどの大きさの穴がぽっかりと開いていた。
「嘘だ……お前が死ぬはずがないだろ!? ミハエル!! 起きろ!! あのときのように起きてみろ!!」
エヴァが悲鳴にも近い声で叫ぶ。
エヴァの頬を一筋の雫が伝う。
雫はエヴァが膝をつく床にたれ、乾いた紅を溶かしてゆく。
「やめろ!! やめてくれ!! 私を置いていかないでくれ! また軽口を返してみろ!! ミハエル!!」
雫はとどまるところを知らず、とめどなくあふれては床に落ちてゆく。
エヴァの両腕はブルブルと震えているが、ゆっくりとミハエルを床へと寝かせた。
「ぐす……コレット、見ての通りだ……っく……死亡3人……っあぁ……うあぁぁ……!!」
エヴァが涙をぬぐうこともせずに、ティタニアとアルフィへと走り寄ったコレットを見つめる。
「えーと……エヴァンジェリンさん、大変言いにくいんですが……その、こっちの二人は――」
コレットが非常に言いにくそうに、ちらちらと床に倒れる二人を見やる。
「おいおいおいぃ、おいらたちにゃあ涙を流してくんないのかよーう?」
「ハイメロートの顔がにやけているな」
「よせ、エヴァに風穴を広げられてしまうだろう?」
男の声が、三種類聞こえた。
3人は生きていたのだ。
ミハエルは電熱により、皮膚を焼くことで傷をふさぎ、アルフィはティタニアの傷までも元素変換の能力で治癒させていた。
とはいえ、出血と欠損した臓器、骨までは無理だったようである。
3人の顔色は青白く、今にも倒れてしまいそうだ。
そして、エヴァだけが顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。
「総員に次ぐ。この件に関しての緘口令を布く。異論は受け付けん」
殺意の塊をむき出しにし、エヴァが周囲の5人をにらみつける。
アルフィもミハエルも、ティタニアでさえもだらだらと冷や汗を流し、首を縦に何回も振った。
「ゴホン……さて、ミハエル、空間魔法は?」
「いつでもオーケーだ」
エヴァが問うと、息の荒いミハエルが言う。
「孤児院につなげろ。そしてそのあとは病院へつなげてお前らを運び込む」
エヴァが言うが早いか、ガラス器具の割れるような音とともに、6人の前に黒い何かが現れた。
うごめく何か、という他にないそれは、真っ暗な扉にも、泥にも見える。
その内部からは一人の男が飛び出し、白い床に足をつける。
黒い髪の、色の白い青年。
「ウォル!!」
死神、ウォルフガング・シャンツェである。
「リエイア……良く無事で……」
温和な笑みを浮かべるウォルであったが、目の前の状況を見て顔色を変える。
「見ての通りだ。3人を担ぎこむぞ」
「5人、です。アルクとエテルもやられました」
その言葉に、エヴァは眉をひそめる。
「……ミハエル、病院につなげ」
再びガラス器具の割れる音がひびく。
慣れたようにエヴァはアルフィとティタニアを担ぎ、ウォルは車椅子にミハエルを乗せる。
5人が黒い空間の向こうに消えて1分も立たないうちに、ウォルとエヴァが仕事を終えたような表情で戻る。
「想像以上の損失だ」
「ですが、向こうも同様でしょう」
エヴァとウォルは部屋を見渡す。
本当にどこまでも続いていそうな空間であった。
「時に、卿は何故涙目で――」
ウォルが他愛もない疑問を尋ねた瞬間、エヴァが殺意の塊を向ける。
「花粉症でな」
有無を言わせぬ調子で、エヴァが言いきった。