8-2
女の腕が真っ白な床に落ちる。
紅の血がてらてらと輝き、まるで紅い湖に浮かんだ花弁のようである。
「ぐあぁぁぁぁぁッッ!!」
肩口から真下、腰のくびれまでを縦に切り裂かれたのは、エヴァであった。
リエイアをかばい、後方へと突き飛ばしたは良いが、自身がよけきることができず、大鉈に体を刻まれてしまったのだ。
失った場所を押さえてのたうちまわるエヴァを尻目に、ジョシュアは血でぬれた鉈をリエイアへと向ける。
「ひっ……!」
短く悲鳴を上げるリエイアは小刻みに震え、目じりに涙を浮かべている。
「もらった」
「リエイアちゃん逃げて!!」
両掌をマチルダとジョシュアに向け、コレットが叫ぶ。
そのとたんにコレットの両掌から風の大砲が放たれ、マチルダとジョシュアの鉈をはるか後方へと吹き飛ばす。
「ちいっ」
ジョシュアは空いた拳をきつく握り、コレットの頭に向けて、斧のような振り下ろしを行う。
風の防壁を作り出したコレットであったが、その壁はまるで豆腐のように簡単にえぐりぬかれる。
軌道がそれた拳はコレットの額をかすめ、そのまま下へと振り下ろされる。
「ッッ――!!」
コレットの額が裂け、血が滴る。
たまらずリエイアを背にしたまま、コレットはじりじりと後退する。
そして、ついに背中と胸が触れ合うほどの距離まで近寄った。
その時、腕の生えたエヴァが起き上がり、コレットの直前に歩み出る。
「なぜ手を出さない?」
それが誰に向けられたものなのかを理解できないのか、一瞬の沈黙が続く。
そして、リエイアがか細い声で沈黙を打ち破る。
「ボクは――」
「スカーフェイス」
言葉はリエイアに向けられたものではなく、マチルダに向けられたものだった。
遠方から、何をするでもなくジョシュアを見つめているマチルダは、笑みを浮かべる。
「手を出した方が良いか?」
口の端を釣り上げ、妖しくマチルダは笑う。
それに対応するように、エヴァが笑みを浮かべた。
「"出せるのか"?」
その言葉に、マチルダが眼を見開く。
「何を――」
「憶測だが……お前、もう既に魔法を使ってるんじゃないのか?」
エヴァの言葉に、コレットとリエイアが疑問符を浮かべる。
「そこの筋肉ダルマを維持するための魔法を使ってるんじゃないのか、と聞いているんだよ」
エヴァがジョシュアを指さし、言う。
「さっき斬られてわかったんだが、あれは人間にできる芸当じゃない。肩口から腰骨に食い込むまで切り込むなど、ましてや吸血鬼の骨格を切り取るなんて、クローシャの刃物でもなければできるはずはないだろう? それに、だ。コレットの魔法防壁を削り取るなんてのは、銃弾を防ぐ扉をえぐり取るようなものだからな。強度としては鉛くらいはあるだろ? そこでピンときたんだ」
みるみる内にマチルダの顔色が悪くなってゆく。
「つまり、だ。お前を先に殺せばおのずとこの戦いには勝てる、ということだ」
「やってみろクソアマァァァァァ!!」
マチルダが、吼えた。
だがその声も、長くは続かなかった。
ギチ、という音とともに、床に切り落とされたエヴァの腕がうごめく。
「やらせてもらうよ」
持ち主から離れた腕はドロドロと溶けだし、やがて緑の草を生む。
マチルダがそれを警戒しながら後ろに下がる。
ジョシュアがマチルダの前に出で、盾のように不動の姿勢を形作る。
「ただしコレットとリエイアが、だ」
エヴァは至極当然、といった様子で言うと、マチルダの判断が一瞬止まる。
そして、違和感を感じたマチルダは頭上を見上げた。
頭上には小さな雲が一つ、腕ほどの太さツララを吐き出していた。
コレットの作り出した雲にリエイアが魔法を使い、つららを形成したのだ。
「ひっ!!」
高速で顔面に迫る氷柱に恐れをなしたのか、マチルダは頭を両腕で抱えてしゃがみ込む。
しかし、マチルダを襲ったのは鋭く冷たい氷ではなく、ただの大量の冷たい水だけであった。
そして、魔力の途切れた一瞬の隙を見逃さず、エヴァが弾丸のような右手でジョシュアの体を打ち抜いた。
「ごほッッ!!」
ジョシュアの巨大な体が真上に浮き上がり、吐瀉物を撒き散らして地面に倒れた。
「私は無意味な殺生を好かん。殺すのは少ない方が良い」
エヴァがコレットとリエイアに目をやると、二人は屈託のない笑みを浮かべる。
その笑みを見たマチルダは、息を深く吐くと、首を垂れた。
「完敗だよ。私のな」
水を滴らせながら、マチルダが言った。
――――
暗い室内に稲光が走る。
孤児院の面接室にて、殺し合いが行われていた。
電球はとっくに破壊されたため、真っ暗な空間での殺し合いである。
「見えないわよ! 何とかならないの!?」
ミネルヴァが声を上げるが、宵川は何も答えない。
通常、落着地点を指定し、そこの大気の条件を変化させて雷を落とすのが雷魔法を使う上での基本となるのだが、こうも真っ暗であると対象の選択ができないのだ。
しかも、ウォルと双子は真っ黒な服を着ているため、輪をかけて目視しにくい。
だが、宵川がふるっているであろう刀の音と、それを防いでいるであろう甲高い金属の音をミネルヴァはとらえている。
「(金属に向けて落とすって言っても、宵川に落ちたらまずいし……)」
ミネルヴァが宵川に気を使うが、当の宵川は光を失った目で相手を見抜いている。
「(私なんかが出る場所じゃないのよねー、こういうの。私はもっと――)」
部屋に閃光がさく裂する。
完全に油断していたミネルヴァは叫び声をあげて床にうずくまる。
暗所に順応していた瞳は大きすぎる光の刺激を受け切れずに、くらんでしまったのだ。
「コットス!!」
既に光を失った宵川には効果がなかったようだが、どこからか銃声が響く。
銃弾はミネルヴァの体をそれ、後方の壁に突き刺さる。
彼女が銃弾の向かった方向に電流を放つが、手ごたえはない。
ミネルヴァは半狂乱になりながら必死に床を手で探る。
「とまれ! コッ――」
宵川の静止が早いか否か、ミネルヴァの左手首から上がぺしゃんこにつぶれた。
ウォルの魔法糸付罠が作動したのだ。
ミネルヴァの手首の上に、土の柱が降りろされ、まるでトマトのように血が床に広がる。
ミネルヴァが甲高い絶叫を上げ、潰された場所をいたわるように手で包み込んだ。
「コットス!!!」
ミネルヴァは体を小刻みに震わせやがてふっきれたような瞳を目の前の4人に向ける。
「まるで私たちが悪者のようではないですの?」
「悪者、なんですよ。罪人なんですから」
炎の灯りに照らされた双子は、まったく同じ調子で言う。
そのとたん、エテルの体が弓なりにのけぞり、はるか後方へと吹き飛び、壁にたたきつけられた。
「姉さ――」
同様にアルクも弓なりにのけぞり壁へと吹き飛ぶ。
再び部屋を暗闇が覆う。
「アハ! なぁんだ!! 簡単なことじゃないの!!」
愉快そうに肩を震わせ、ミネルヴァは笑う。
「全員! 感電死させた方が早かったわね! 宵川に気を使ってる場合じゃなかったわ!」
狂気をたたえた瞳で、ミネルヴァは笑う。
血に濡れた右腕で短い杖を振り上げた瞬間、刃の音が空を切った。
肉の切れる音と、重いものが落ちる音が響く。
「……気がふれたか」
パチン、という小気味良い音とともに、 部屋の中の殺意が消え去る。
ウォルは理解しきれていないのか、微動だにしない。
「……興が冷めた」
宵川はそれだけ言うと踵を返し、サーベルトの裏路地へと歩き出す。
「待て」
ウォルが小さく、声を絞り出した。
その言葉通りに、宵川は立ち止った。
「何をやってるんだ、おまえは――」
「拙者は、この女を好いてはおらんかった。ちょうど良い機会だった、それだけでござる」
真っ暗な部屋の中で、言葉が響く。
「これから、お前はどうするんだ?」
「……これからがあるとするならば、また貴殿らと死合いたい」
草鞋の音を響かせて遠ざかる宵川の言葉に、ウォルは笑みを浮かべた。
「解放軍はもうなくなるぞ?」
「もはやあのような組織に用はない。シェズナの兵器を用いた時点で、ある程度の失望をしていた」
それだけ言うと、宵川はウォルの探知できる範囲から消えた。
ウォルが事務室への扉を開き、灯りを差し込ませる。
部屋の中には、ショック状態で気を失う双子と、胴体と首が分かれたミネルヴァがいるだけであった。
「……幸運が重なってくれただけ、か」
ため息をひとつ落とし、ウォルは双子を両手に抱え、仮眠室に運び込む。
そして、ミネルヴァの死体に手をかざすと、床がうごめき、ミネルヴァを呑みこんだ。