8-1
ガラスの割れるような音とともに、ミハエル達が空中から吐き出される。
エヴァとミハエル、それにティタニアは何事もないかのように着地するが、そのほかの3人は着地を誤り、背中や腹、頭から真っ白な床へと着地した。
「っでぇぇぇえぇ!! 開始早々ついてないぜ!!」
頭を派手にぶつけたアルフィが涙目になって叫ぶ。
だが、その言葉に反応できる余裕をもったのはティタニアしかいないようだった。
ティタニアは何か言いたそうに口を開いたが、口を閉じ、周囲を見渡す。
6人は、何もかもが真っ白な空間の中にいた。
上下も、左右も、床と壁の区別もつかないような空間である。
例えるならば、真っ白なキャンバスが正しいだろうか。
白よりも白い空間の中で、6人は周囲を見渡す。
「ここが、解放軍の本部か?」
ミハエルが真っ白な白衣のボタンをはずし、下に着込んだ青の軍服を露出させる。
「いかにも。どうもここは苦手である」
黒のソフト帽を目深にかぶり直し、ティタニアが応える。
「……気分が悪い」
「ええ……平衡感覚がおかしくなりそうです」
「ふらふらする〜!」
女性3人は、自らの服の色で意識を正常に保とうとしているらしいが、効果は薄いようだ。
そのとき、突然、白の部屋のかなたから男が現れた。
小さな小さな男が巨大化したように、である。
現れた男は、小柄な老人。
真っ白な部屋に融けこむような、真っ白な老人。
肌の色だけが周囲の白との異なりを見せている。
老人はニコニコとした人懐っこい笑みを浮かべながら、コツコツと杖音を響かせて孤児院の前へと歩み寄る。
「はじめまして、かな?」
目じりに笑い皺を刻んだ老人が、眼前の6人を見つめて、言葉を紡ぐ。
低くもなく、高くもない声だ。
「貴様――」
「あなた――」
「ああ、言わんとしていることはわかる。私を殺しに来たのだろう?」
臆する様子もなく、老人は言う。
「私たち、解放軍の目的は知っているかね?」
老人が疑問を投げかけ、エヴァが口を開こうとすると老人が笑みを浮かべた。
「ふふ、そうだ。善悪のない世界を作ること。これが目的だ」
そして、老人は驚いたように言葉をつけたした。
「君たちの目的もそうなのか? だが、手段と最終的な想像が違うな」
その言葉に、コレットとエヴァの顔から汗が流れた。
最悪の想像が、彼女たちの中を駆け巡っているのだ。
「まさか――」
「ご名答。私は心が読めるんだ。君たちがこれから何をするつもりなのか、そして何者なのか、全てが分かる」
エヴァとコレットがたじろぐ。
だが、ミハエルとティタニアはさして気にする様子もない。
「さて、あいにくだがそろそろ時間なのでね。ゆっくりしていくと良い。楽しませるためのピエロをたくさんつれているからね」
そして、老人は孤児院に背を向ける。
だが、2,3歩歩んだところでミハエルを見つめた。
「シェズナを利用したわけではない。あの兵器は私が描く世界を作るために最適だった、それだけだ」
それだけを言うと、老人はまたかなたへと消え去る。
孤児院の誰も、彼を追おうとはしなかった。
いや、追うことができなかったのだ。
彼がミハエルに言葉を投げかけたとたん、彼らの背後には数百人を優に超える、武器を持った人間がいたから。
戦いの火ぶたは切って落とされた。
「ひゃっはーッッ!! 箔がつくぜええーッッ!!」
無謀にも一人の男が剣を持ち、ミハエルに向けて突っ込む。
剣がミハエルの体に触れる寸前で、男ははるか後方にむかって吹き飛んだ。
「残念ながらそれは無理だな」
心から悲しそうにミハエルが言う。
「さて、では始めようか」
コレットとリエイアに視線をやったエヴァは、ミハエルに目を合わせる。
「掃除は任せたぞ」
「ああ、任された」
それだけを短くつぶやくと、エヴァが前方に掌をつきだした。
その瞬間、白い部屋に青々と茂った草木が生い茂る。
「行け! ミハエル!!」
6人の足元を避けるように茂ったその草木に、ミハエルはゆっくりと、まるで手に持ったペンを引き上げるようにゆっくりと掌を向けた。
白い部屋に白雷がさく裂した。
バタバタと兵士たちが床に倒れこむ。
大量の兵士たちは皆、水分を豊富に含む草木を伝った電流により、ショックを起こしているようだ。
「後は任せたよ」
ミハエルが軽くつぶやき、先ほど老人が去って行った彼方へと向かう。
エヴァとコレット、リエイアの3人は、目前でけいれんを起こす兵士たちを見下ろしていた。
「リエイア、お前は見るな」
エヴァがリエイアの顔に掌を当て、惨状から目を隠す。
ふるふると細かく震えるリエイアの胸中は、いかばかりであろうか。
それは、リエイア自身にしか、わからない。
こつ、と靴音が響く。
一人の女性と一人の男性が、倒れている男たちを見下ろしながらエヴァたちに歩み寄った。
距離にして20メートル、十分な間合いである。
男は手に巨大な鉈をもった、スキンヘッドの男である。
手に持った鉈は刃渡りにして1メートル、熊でも叩ききれそうな代物である。
不気味に鈍く輝く鉈を持つ、スキンヘッドの、巨大な男。
頭中にまがまがしい紋様が刻まれた、巨大な男。
くすんだ緑のトレンチコートで全身をすっぽりと包んではいるが、その下の筋肉の形が分かるほどに鍛え上げられた、見事な体系の男である。
女の方も異様であった。
白ともいえるような長い銀髪に、灰色の瞳の女。
ただ、ひときわ目を引くのは顔面の左上から右の下、こめかみの真上ほどから顎まで引かれた、一本の赤黒い線である。
一見して、刃物の傷だということが分かる。
「……一足、おそかったか」
まるで排水溝から水が吹きあがるようなこもった低音が男の口から吐き出される。
「収穫は有り、だな。3人も見つけられれば上等だろう?」
女はかすれた高音で言う。
エヴァの顔がみるみる曇り、しまいには軽く舌打ちをした。
「ここで貴様らが出るのか……最悪だよ、まったく」
エヴァの様子に、コレットとリエイアがわずかに困惑する。
「エヴァンジェリンさん、この人たちは――」
「"掃除屋"と"スカーフェイス"だよ」
その言葉に、男女はため息を吐く。
「俺たちの本名を知らないわけか」
「冥土の土産に教えてやろうか」
一つ息を吸い込み、二人が言う。
「ジョシュア・オルドー」
「マチルダ・ハーク」
その言葉と同時に男が鉈を構え、女が服の中から杖を抜いた。
それに対し、コレットとエヴァが構える。
うろたえるリエイアに向けて、笑みを浮かべてジョシュアが突撃した。
肉を切る音とともに、女が一人、血を吹き出しながら地面に倒れこんだ。
――――
同時刻、サーベルト中央市街の裏路地。
孤児院の扉が蹴破られ、内部に二人の人間が入り込む。
うす暗い内部を意に介する様子もなく、男が前に歩み、進んでゆく。
男の手の白刃がうす暗い白色の光を受けてきらめいている。
「ちょっと、待ってよ、宵川」
後から追うのは女である。
カジュアルな服装に見を包んだ、栗色の髪の女。
二人の正体は、宵川流と、ミネルヴァ・コットスであった。
「……いる」
光源は開け放たれた扉から差し込む日光とうす暗い裸電球だけである。
その中で人間を見つけられるのは、"光を失った者"のなせる業であろうか。
二人は開けた空間に出会う。
わんを伏せたようなドーム状の場所。
孤児院の"面接室"である。
うす暗い中、宵川が何もない空間で刀を一振りすると、それと同時に宵川の直前の地面から鋭利な土柱が立ち上った。
その光景にミネルヴァは固唾をのむ。
ごく、とミネルヴァの喉が鳴ると同時に、暗闇の中から男の声が響く。
「あぁー……厄介だな、お前は」
ひどく疲れたような、男の声である。
吹き抜ける風に人口声帯をつけたような声。
正体は孤児院の"死神"、ウォルフガング・シャンツェである。
宵川はその声を聞くと同時に、口元を釣り上げた。
「久しぶりでござるな、戦闘狂」
そして鼻をクンクンと鳴らし、再び笑みを浮かべた。
「それと、女子――」
火薬の炸裂音とともに火花が飛び散り、宵川の言葉をかき消す。
「ええ、お久しぶりですわね」
宵川に向けて放たれた銃弾は、宵川の直前で動きを止めた。
虚空に突き刺さるようにして運動エネルギーを放出しつくしたそれは、ころころと地面を転がる。
ミネルヴァが冷や汗をかきながら杖を構えている。
「もう一人は……む?」
宵川が眉間にしわを寄せ、耳を澄ます。
「男……しかし匂いはかの女子と同じ……」
部屋が一瞬だけ明るくなる。
紙が燃え上がるように激しい炎にうつされたのは、5つの人影であった。
「ここで、決着をつけよう」
ウォルフガングが言う。
「願ってもないことでござるな」
口元を釣り上げ、宵川は言う。
「濃い匂いですわ。鼻がねじ曲がりそうなほどの、罪の臭い。お・ね・え・さ・ん?」
顔がゆがむほどの笑みを浮かべたエテルが銃身をカタカタと震わせながら言う。
「あら、そう言うあなたは硝煙の臭い……香水の一つでもつけた方が良いわよ?」
くすくすと笑いながら、ミネルヴァが杖をエテルに向ける。
「あの……姉さま? 少し落ち着いた方が……」
いわゆる"女の戦い"から放り出されたアルクが、心細そうにつぶやく。
一人の不幸な少年を残したまま、殺戮パーティーは開かれた。
暗い暗い、闇の中で。