6-4
真夏だというのに裏路地は日陰が大部分を占める。
背の高い建物は、以前人が住んでいた建物である。
だが、数年前のサーベルトの条例でこの地域では表通りに商業地以外は建てられていない。
サーベルト機密条例第16号、犯罪隔離の為の地域なのだ。
その場所でコツコツと靴音を響かせるのはアルクとエテルであった。
「兄上が負傷するとは、想定外でしたわね」
「しかも、相手を取り逃がしたのでしょう?ますます兄上らしくありません」
水溜りに靴が入り、ぱしゃっとしぶきを上げる。
どこまでも汚い、腐った水。
「不安な要素は二つ、ですわね」
「ええ。一つは彼女の恋人、リエイア・シューリエーに危害が及ぶこと。ですが、これは問題ないでしょう。仮にもアカデミーの生徒ですし、死神から防衛の方法は学習しているはずですから」
地面に散らばった注射器には目もくれず、アルクはそうつぶやく。
「問題はもう一つの方です。死神が病院で奇襲を受けること」
「レイナ・アーウィンのように看護師にも息がかかっているなら、その可能性が一番高いですわね」
ぴたりと、アルクが足をとめた。
彼の目の前には、燃えるような赤い髪に褐色の肌の女。
レイナ・アーウィンその人がアルクに向けて歩を進めていたのだから。
「レイナ・アーウィン……!」
「こんにちは。そう身構えないで頂戴。私はもうあなたたちに手を出さないわ」
裏路地の壁にもたれかかるようにして、レイナが言う。
「二、三お聞きしたいことがあるのですけど」
「構わないわ。なんでも聞いてちょうだい」
クルクルと赤い髪を指でもてあそび、レイナが言う。
「――病院の関係者に解放軍は?」
エテルは背中から白い包みを抜き取り、そう尋ねる。
罠だという可能性も捨てきれないからだ。
「大勢いるわよ。正確には私もわからないけれどね」
その言葉に、エテルはアルクに目配せをする。
アルクは踵を返すと、病院の方へ向けて疾走した。
「たとえば、どなたが?」
「そうねぇ……私と一緒にいた、あの男の人。あの人はケファウスのお医者さんだった人なのよ。軍医っていうのかしら」
余裕さえも見えそうな態度に、エテルはギリ、と歯音を立てた。
「宵川という人物のことは?」
カタカタとエテルの白い包みが小刻みに震えている。
「ヨイカワ? そうねえ……宵川……ああ! 思い出したわ! クローシャの男でしょう? あの人は――」
その瞬間。レイナの首に銀色の光が走った。
ピシュッ、という空気を切る音だけを発したそれは、レイナの首を切断すると空中で一回振られる。
パラパラと空中に赤の髪が舞う。
切断された躯はヒュウヒュウという風のような音を発し、落とされた首はころころと地面を転がった。
「仲間を売るとは、大した尼でござるな」
レイナの体の後ろから現れたのは、目元に包帯を巻いた男である。
宵川流、その人であった。
宵川は立ったまま絶命したの体を蹴り倒すと包帯を巻いた目でエテルを見つめた。
「さて、任務開始、でござるか」
宵川が踏みこんだ。
完全に視力を失っているだろう宵川だが、正確に、まっすぐにエテルへと突っ込む。
エテルがしゃがみ込んだ瞬間、バシュッ、という音とともにエテルの真上の石壁が切られた。
「っ――!」
「ふむ、身長が低い……先ほどの声から判断するに少女であるな?」
エテルは布を取り去り、銃口を宵川に向ける。
「大当たりですわよ!」
エテルが引き金に指をかけた瞬間、銃身が刀の背によって殴打される。
銃身はめちゃくちゃに曲がり、とても銃弾は射出できないであろう。
「鉄砲は封じた。これで勝負あり」
鋭く踏み込んだ後に返す刀がエテルの首元に迫る。
エテルは転がるように後ろにのけぞり、距離をとった。
「むっ……」
宵川が耳に両手をあて、集中している。
エテルはその瞬間に理解した。
「(音!)」
視力を失ってからまだ数日しかたっていないであろう男だが、既に変わりの"目"を見つけている。
その現実がエテルを恐怖させた。
思わずエテルは息を呑んだ。
「そこでござるか?」
包帯の瞳がエテルをとらえる。
「ッ――」
エテルが短く息をのむと、宵川が再び鋭く突っ込んできた。
一筋の血が、空中に溶けていった。
――――
「401号室……」
アルクは二度程ゆっくりとドアをたたき、中の反応をうかがう。
「開いていますよ」
内部からは穏やかなグライツの声が聞こえる。
アルクは扉を開けた。
白い病室、ベッドとテレビだけの簡素な部屋で、グライツは寝ころんでいた。
「ああ、アルクか。すまないな。こんな様で――」
「お耳に入れておきたいことがあります」
グライツの言葉をさえぎって、アルクは話す。
「病院にも解放軍関係者がいます。ご注意を」
ベッドのそばまで近づいたアルクのその言葉に、グライツは笑う。
「ああ、ありがとう。夜は気をつけているよ。それに、孤児院側の人間も何人かいる。ハイメロート公の 息がかかった人間がいるからな」
アルクの髪をわしゃわしゃとなでてやりながら、グライツが笑う。
からからとドアが開けられた。
「ん? お邪魔だったかい?」
けだるそうなセレスタが病室に入り、言う。
「いえ、とんでもない。アルク、ご挨拶をしなさい。こちら側の人間です」
その言葉にアルクはピンと背筋を伸ばし、セレスタの瞳を見つめた。
「アルク・エルージャです。はじめまして」
「セレスタ・オースだ。よろしく」
セレスタが手を差し出し、アルクがそれに応える。
「孤児院関係者かい?」
握手をしたままだが、セレスタはグライツを見つめる。
「ええ。その通りです。解放軍関係のことで」
「ああ、そうか。ならば詳しくは聞かないよ……ふぅ。さて、アルク君。包帯の交換と検査をしなくちゃだから、申し訳ないけれど――」
「いえ、お構いなく。伝えることは伝えましたから」
「そうかい?すまないね。ああ、もうすぐ退院できるよ。傷口がふさがったらすぐにでも、ね……ふぅ」
アルクは礼を言い、病室を後にした。
目を焼くような晴天の下、アルクは自らの家へと歩を進めた。
――――
「ふむ……まだ浅いな?かすり傷でござろう?」
エテルは二の腕から血を流していた。
まだ慣れ切ってはいないためか、宵川は高さと深さを誤ったようだ。
だが、一度切った後にはすぐに距離をとり、隙をなくしている。
「感覚からして上腕三頭筋。それも骨の感覚がないとなるとだいぶ浅いが……」
がくがくとエテルの左腕が震えている。
「筋肉はもう動かせないでござろう?」
ゆっくりと、宵川が刀を振り上げる。
「もう2寸、高めに切り込む。それで仕舞いでござる」
冷酷なまでの薙ぎが、エテルの首元に襲いかかる。
その瞬間、ガギンという金属の音が響き渡った。
「ぐうぅぅぅっ!?」
宵川は思わず刀を取り落とす。
刀はエテルの銃に当たったのだ。
初めからエテルは之を狙っていたのだ。
"好機"。
エテルは宵川に背を向けると、脱兎のごとく逃げ出した。
遠ざかってゆく足音を聞いた宵川は、小さく息を吐いた。
「は……っはっはっは! これは想定外でござるな。まあ、少女にしては粘った方でござろうか」
宵川は裏路地の石壁に手をつき、耳を当てる。
ためいきをついて刀を鞘におさめた宵川は、エテルの反対、日の下へと歩みを進めた。
――――
「兄さま!」
「姉さま?」
息を荒げたエテルがのんびりと歩くアルクに飛びかかった。
「どうなさいました?」
「宵川ですわ」
ちらりとエテルが傷口を見せると、アルクは目を見開いてエテルの腕を引いた。
もちろん、怪我をしていない方の腕である。
「きゃっ!?兄さま?」
「ご報告を。それが一番です」
憤怒を瞳に浮かべたアルクが、足早に孤児院へと歩を進めた。
鉄の扉のノブをひねり、針を飛び出させる。
アルクは乱暴に扉を押しあけると、エテルの手を引いたまま事務室の扉を開いた。
「世界さま、悪魔さま、それに姉上」
怒りに震える声でアルクが切り出す。
「姉さまが宵川に襲われました」
事務室で資料に目を通していた三人は顔をあげた。
「え!? エテルまで!? ど、どうしよう!? どうしようかしら!?」
「まずは治療をしてこい。ミハエル、頼んだ」
「ああ」
戸棚から消毒液と包帯を取り出しながら、ミハエルが言う。
「切り傷だが……上を一枚脱いでくれ。その方がやりやすい」
言われるままに、エテルは黒のメイド服を脱ぎ、白いキャミソールをあらわにした。
アルクがバツが悪そうに目をそむける。
ミハエルはエテルの傷口を見るなり、顔をしかめた。
エテルの二の腕は内出血を起こし、蒼く変色している。
おまけに、内部の血ではれ上がっていた。
「典型的な筋断裂の症状だな。痛むだろう?」
「いえ……痛みはだいぶ引いてきましたわ。でも、どうしようもない疲労感がありますの」
ミハエルが診察をしている間にエヴァは袋の中に氷と水を注ぎ、口を縛る。
「強いな、エテルは。だが、重症だ。上腕三頭筋断裂……長引くぞ?」
「覚悟の上ですわ」
まっすぐな瞳で、エテルが言う。
「治癒魔法は使えそうかね? 使えるならば筋組織の結合と復元だけでもやっておくと良い。だいぶ入院の期間は短くなるはずだ」
ミハエルの口から入院という言葉が発せられ、エテルは目を見開いた。
「世界さま!私は戦えます!どうか――」
「片手であの銃を扱うのは無理だよ」
ミハエルがエヴァの作った氷嚢を傷口に当て、言う。
ぱくぱくと口をあけるエテルに構えことなく、ミハエルは治療を施す。
包帯を氷嚢ごと巻き、傷口の上をきつく締めあげた。
エテルが小さくうめき声を上げる。
「ミハエルさん? 大丈夫なんですか?」
「出血がひどいからね。こうやって血管を収縮させて血流をおさえるのさ」
アルクが目元を押さえている。
「コレットとアルクはエテルを病院へ連れて行ってくれ。エテル、くれぐれも安静にな?」
「はい……世界さま……」
まるでお気に入りのおもちゃを取り上げられた子供のように、エテルは沈んでいる。
「行きましょう、姉さま」
「エテル、心配しないで。きっとすぐ良くなるわ」
二人は玄関を開け、エテルを招く。
黒のメイド服を纏ったエテルは、静かに孤児院から歩き出した。